絆と苦悩の挽歌
@fujikon
絆と苦悩の挽歌
―――1994年、桜が満開となる季節になった頃、刑務所の刑期を終え、外に出たある1人の男がいた。
「……まだかな」
男はスーツ姿だった。まだ髪もそこまで伸びてなくて坊主っぽく、なのに体型や顔からは凄まじく感じる程に洗練された力強さを感じさせている。
見れば一目で分かるオーラ。その男が“ヤクザ”なのだと誰もが1発で理解してしまう威圧感があった。
―――そうしてる内に、黒い車が目の前で止まった。メルセデス・ベンツのセダン。漂う高級感は見る者には興奮すら与えるだろう。
車の運転席のドアが開いて、1人の男が出て来た。紫のガラの悪いスーツにリーゼント頭、それでもってネックレスやら指輪やらを身に着けたチャラチャラとした雰囲気の男だった。
「……! “修二”か」
「よう」
「……こういうのは舎弟が迎えに来るもんじゃねえか?」
「親父に頼んで迎えは俺にさせてもらったのよ。まぁ乗れや、親父が待ってる」
・・・
「―――ムショはどうだった、楽しく生活出来たか?」
「アホ抜かせ。楽しく出来る訳……まぁ、知り合いはいたからそれなりかな」
2人は笑いながら話し合っていた。どうやら2人は友人のようだ。それもかなり親交があるのか、どちらの態度にも何となく安心感を感じさせるものだった。
運転しているのは修二だ。快適な速度で東京へと車を転がしている。
「矢野のニィさんに田沢の叔父貴もいたんだろ? 元気にしてたのか?」
「……まぁな、ムショの中でも少し暴れ過ぎな気がしたがな」
男は修二の言葉で思い出した。刑務所の中でも一際輝いていた男達の姿を。暴れん坊で、なのに人柄の良い強い者達を。
「なぁ修二、ここ最近“神郷会”の奴らで死んだ奴はいるのか……?」
「……ここ最近はいねぇよ。10年前から殆ど死者は出てねぇけど、4年前に気合いの入った奴が鉄砲玉になって死んじまったよ」
「……そうか。何かと済ませたらそいつの墓参りに行くとするか」
「関係無い奴なのにか?」
「組の為に死んだんだ。誰かが弔ってやらねぇと眠れねぇだろうよ」
組の為に若い衆が死んだ。それは男にとってとても辛い事だったらしい。さっきまで楽しげな顔をしていたのに、悲しげで切ない顔をしていた。修二もミラーからその顔を見て、何とも言えない表情をした。
「……お前がそう思う気持ちも分からん訳では無いけどよ。折角外に出たんだから最初は楽しめよ。いきなり暗い雰囲気にすんのもどうかと思うぜ俺は」
「すまねぇ」
「まぁ、アレだ。お前は仕事こなして帰って来たんだ。幹部のポストも用意されてるらしいしよ、好きにすりゃいいだろうよ。それでいいじゃねえか、“良太”」
男の名前は良太だった。彼の人柄を表すような名前だ。
「幹部ね……正直実感が無いよ」
「だろうよ。まぁ最近は俺も幹部に任されたが、何かとするぜ。それでも若衆の時みたいに外で暴れまくる訳じゃ無い。色々と儲けだとかそう言う方面で忙しくなる」
「お前は成金じみてるから大丈夫だろ」
「言い過ぎだ」
そうやって互いに笑う。彼らは昔を思い出していた。誇れる過去というモノでは無いが彼らからしたら誇らしい記憶だった。
夜の繁華街、酒臭い街の中、数人で暴れた日、激しい銃撃戦。まるで生きた心地のしない日々だった。いい車に乗っていいスーツを着て街で大手を振って歩きたい。彼らの互いの夢は元々似たり寄ったりだったのだが、互いに転機が訪れたのだと認識していた。
修二は稼ぐ為に必死となり、良太は“男”を目指した。
そうこうしている内に東京に着く。街並みはそこまで変わりはしていないものの、雰囲気は変わっていた。女性の服装、街端を歩くワルの姿、そしてどことなく感じるジメジメとした暗さを良太は感じていた。
「……にしても10年で街もエラく変わったな。こんなに雰囲気悪かったか?」
「バブルが弾けちまったんだよ。金回りは悪くなって景気もクソ喰らえ、若い奴らもイカれた奴らばかりだし、ヤクザ以外の組織まで転がりこんでんのさ」
「ヤクザ以外……?」
「ヒスパニック、チャイニーズ、ロシアン、コリアン、コロンビアンにイタリア系のアメ公共だったりと、外国のギャングやマフィアが日本に夢掴みにやって来てるのさ」
「それ以外に言えば、もっと若い奴らもヤバいだろうなあ。どこから仕入れたか分からないクスリやハッパまで売ってるらしいしよ」
「クスリにハッパだと……? 俺らの頃だとシンナーくらいしか売るもんが無かったろ? どうなってんだよ、今の奴らは……」
現在の裏社会の状況に虚しさを感じ、良太は嫌な顔をした。かつては裏社会にも秩序があり、ルールがあったのに、最早そんなモノは無いと言わんばかりの現実に過去との差を感じた。
どんどん車は進んで行って、新宿に入る。高層ビルが更に立ち並んで行く光景は10年ぶりでかなり壮大にすら感じるようになっていた。
「親父は元気か?」
「おう、相変わらず武闘派よ」
「それなら良かったぜ……」
嫌な顔から笑顔になった。良太としても世話になっている恩人が10年間、顔を見ていないとは言え元気である事を聞いてかなり嬉しかったようだ。
新宿に入っていよいよ、自分達のホームグラウンドに着きつつある。
歌舞伎町。アジア最大の歓楽街。眠らない街。多くの風俗店や飲食店で溢れたこの街の雰囲気も10年振りだが、この街だけは未だにバブル景気と言わんばかりの騒ぎようだ。店の呼び込みの声が窓を開けていなくても聞こえてくる。懐かしい喧騒だ。
「懐かしいなぁ、ここだけバブル景気なのか?」
「まさか、ここだって昔よりは不景気よ」
「有り得ねぇ! これで弾けたってのかこの街は……相変わらず最高だ」
良太は興奮気味だった。それを見て修二も笑う。
「ま、10年振りの歌舞伎町なら興奮してもおかしか無いか。お、もうすぐ事務所だぜ。用意しとけよ」
「ん、ああ、分かった」
歌舞伎町の広い道から狭い路地へと入っていく。それに伴い車のスピードも遅くなっていく。
そして、ある建物の前に車を停めて、修二はシートベルトを外した。
「よし、出るぜ」
「おう」
そして、修二は前から車が出て良太は後ろから出た。太陽の光に照らされている目の前の建物を2人は見る。その建物は、10年という歳月を経て外に出た良太からすれば最早家も同然であり、そして最も落ち着く場所であるだろう。
「―――帰って来たのか、本当に」
良太はそれを実感した。
目の前にある建物………“神郷会系松原組”事務所。全ての始まりとも言えるその場所に帰って来れたのだと、喜びに溢れていた。
「修二」
「何だよ」
「……」
良太の表情は、それでも真剣な表情だった。喜びの方が勝るだろうと思っていた修二は、ほんの少し心配気味に返事した。
「思ってた事があるんだ」
「言ってみろよ」
「……俺は今までやってきた事をよ、刑務所で後悔してたんだ」
これまでに無い真剣な表情で、良太は語り始めた。
「殺し、暴力、親に掛けた迷惑だとかさ……色んな事がフッと思い出してよ、凄く辛い気分になって、今にも死にたくなっちまった。よくよく考えれば、敵の幹部を殺した。だから組に帰る時には褒められるんだって言う免罪符にしてたからなのかもしれない」
「でも刑務所の中だと、不安で不安で仕方なかったんだ。本当に正しかったのか? 色んな嫌な記憶が頭の中を爆発して、最初の1年はホントに地獄だった」
「……人を殺した。組の為だって、そんでもって帰れば、組の為になったんだから幹部になれるかもしれない、けどそれでいいのかってなったんだ」
一息置いて、良太はもう一度口を開いた。
「俺は確かに、現に幹部にはなれた。けど、そんな事で俺って存在が確定しちまうの何か嫌なんだ」
「単なる、我儘みてぇな話だけどもな……散々色んな人に迷惑掛けといて自分だけ報われて、名を残して何になんのか分からなくなっちまったのさ」
「……このまま俺は、俺であっていいのか?」
良太はそう言った。だが、修二はただ黙っていた。陽射しのせいでその表情は良太には見えなかった。
「おい、修―――」
「甘えんなよ、お前」
「え?」
「分からない? 迷惑掛けた? 不安だ? ふざけやがって、そう言って自分の業から逃げようとする方がダメに決まってんだろうが」
「それならそもそもヤクザなんかにゃならなきゃ良かったんじゃねえか? ア?」
「最後まで貫き通すのが男なんじゃねえのか? 極道じゃねえのか? どうなんだ、オ!?」
「―――それでも生きなきゃなんねえんだよ、悪い事を引き摺ってでも、生きてかねえといけねぇんだよ、今更怯えてんじゃねぇ」
「……」
修二は怒っていた。今更逃げ出したいと言う事と何ら変わりない良太の発言に、怒りを抱いたのだろう。友人の腑抜けたその姿に、どうしようも無い感情を抱いたなな違いない。
その怒りは良太に響いたのか、暗さこそは無いものの、その顔には自分の言葉に対する様々な感情が見え隠れしている。
「悪い、ふざけた事抜かしちまったよ」
「ホントだよ、言って良い事と悪い事があるっつーんだよ」
「―――お前を待ってる奴だっていんだよ」
「お前の苦しみや辛さを分かち合える奴らはいんだぜ? お前だけじゃねえさ。それなのによ、自分だけ辛いみたいに言うなや。俺達がいんだからよ」
修二は良太に顔を向けた。その顔は、晴れやかな笑顔だった。
「厳しい世界だからこそ、苦しむのは当たり前だろうが……何の兄弟分だってんだ。それに、親父も皆もいる。だからよ」
「1人で苦しむんじゃねえ」
「……」
「そうだな、お前らがいるんだな」
「―――幸せもんだな俺は」
「おう、幸せもんよ」
そう言って、2人は歩いて行く。
「事務所ん中で親父が待ってるからよ、ちゃんと礼を言えよな」
「ああ……当たり前だ」
良太は晴れやかだった。心も、表情も、10年間の苦痛と恐怖を乗り越えた、強い男の顔になっていた。
そしてそれを見る修二の顔も、どこか誇らしげな表情をしている。
―――とても強い、絆はそこにあった。
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