間話 川中島ちゃんの憂鬱、あるいは渚の新人男マネ採用試験3

 くずはに指名された男子が意気揚々と渚に近づいて、癒しマッサージを開始する。

 けれどその男は、すぐに顔を顰めることになった。


「うわ……渚センパイの筋肉、マジでカッチカチじゃねえかよ……!」


 渚は新人男マネ候補の試験官を引き受けるに当たってこの三日間、日頃にも増して激しい練習をしたうえで、癒しマッサージを受けていない。

 極度に疲労した状態を揉みほぐして癒やせてこそ、本当の癒しマッサージであるからだ。


 ──というのは建前で、実際は昨日まで野球部唯一の男マネである西神田が旅行に出かけて留守だったので、渚を癒しマッサージしてくれる相手がいなかっただけである。

 ちなみに旅行の相手は佐倉前家の次女と三女で、サルも一緒に入る混浴露天風呂につかって夜はキャンプファイヤーだとかなんとか聞いていた。

 大自然を満喫しながらたらふく食べて、食欲を満たした後はバッチリ性欲も満たすって寸法か。野外プレイか。クソ羨ましすぎる。


 そして渚はこの週末、体内で荒れ狂う性的衝動もしくは肉欲をなんとか鎮めるべく、全力でトレーニングしまくっていた。

 その結果、渚はいつもにも増して全身の筋肉がカッチカチに固まっているだけの話なのだ。試験のためでもなんでもない。


 でも建前は大事だ。

 その建前をちゃんと利用して、試験が終わった後には男子マネージャーに「ボク、試験のために頑張って準備した」とかなんとか言って、頭ナデナデされながら極上トロフワ癒しマッサージを受ける気まんまんの渚である。

 計算高いなどと言うなかれ。

 強力なライバルが多すぎる現状では、隙を見て貪欲に動かなければ、美味しい果実にはありつけない──


 一人目の男が全力で、渚の腕や肩をなんとか揉みしだこうと悪戦苦闘を続けていると、今までピクリとも反応していなかった渚がついに口を開いた。


「……ひょっとして、もう始まってる?」

「──!!」

「……さっきから、ボクの身体がペタペタ撫で回されてる。でも全然揉んでこない。とても不快……」

「な、なんだとっ!?」


 男が思わず声を荒げたが、イヤホンから音楽を垂れ流しにされている渚の耳には届かない。

 その直後、くずはに「私語厳禁!」と殺気まじりに注意された男は腰が抜けて、その場に座り込んでしまった。

 目隠しをされた渚は、もちろんそんな男の様子に気付くはずもなく。


「……ただ腕や肩を摑んでいるだけ。凝り固まった部位も、ボクの筋肉の付き方もまるで関係なし……稚拙、幼稚、不愉快……こんなの癒しマッサージでもなんでもない、ベタベタ撫で回してるだけ……」

「……う、うううっ……」

「……才能ゼロ。時間のムダ。身の程知らずもいいとこ……とっとと次に変わって欲しい……」

「……く、くそうっ……! くそがあっ……!」


 さんざん渚に罵倒された男が、とうとう座り込んだまま泣き出してしまった。

 しかしくずはは同情など一ミリも含まれていない冷酷な声音で、


「で、エントリーナンバー一番、どうする? まだ続けたい? ボクも時間の無駄だと思うけど?」

「…………」

「続けたいなら好きなだけ続けなさい。ギブアップならとっととどいて、邪魔だから。それとも力尽くでどかされたいかな?」

「…………」


 最初の男が泣きじゃくりながら渚の元を離れる。

 そんな男の様子は、他の男子どもにも大きな衝撃を与えていた。


 なにしろその男、元聖鷺沼高校野球部の男マネ一年の中でも、中心になってイキり倒していたメンバーだったのだ。

 それに野球部のレギュラーメンバーでない、先輩男子マネージャーの癒しマッサージを受けたことのない部員たちには、その男の癒しマッサージは大好評だったはずで。

 少なくとも男たちの中では、その男は渚の癒しマッサージマネージャー候補の筆頭有力候補だったのである。


 そんな男が、歯牙にもかけられずあっさり不合格。

 ならば自分はどうなるのか。

 男たちの中に、悲壮な緊張感が一気に高まる。


 そんな彼らの心中が手に取るように分かる川中島は、心の中でこっそり悪態をついたのだった。

 遅すぎるっつーの。


 ****


 当然のように男どもが全滅した後、くずははダメ押しとばかりに10人纏めての癒しマッサージを命じた。

 さすがに10人がかりなら渚に一矢むくいられるのでは──そんな願望にも似た淡い期待は、すぐ粉々に打ち砕かれることになる。


「……ひょっとして二人がかりでやってる? もうちょっと多い? ……どっちにしろ、不快感が増しただけ……」

『………………!!!!』

「……ゴミはいくら増やしてもゴミ……うざい……ちょっとでも期待したボクがバカだった……」


 ──渚はもちろん、渚がただ一人『マネージャー』と呼ぶ男子の天才を疑ったことはないのだけれど。

 それにしてもあまりの癒しマッサージの落差ぶりに、元野球部男子マネージャーのアホどものレベルは、かなり低かったんじゃないか? という疑いをずっと持ち続けていた。

 つまり普通の男子はあのアホどもより、もっと癒しマッサージが上手いんじゃないのか、と思ってしまったわけである。

 もちろんそれは渚の勘違いで、そのアホどもの癒しマッサージは十分に男子の平均レベル以上なのだけれど。


 だから渚は、今のマネージャーレベルとまではいかなくても、それなりに使えそうなら喜んで男マネを迎え入れるつもりだった。

 そうして男マネが増えて、癒しマッサージをする人間が倍になれば、ひょっとしたら今のマネージャーを自分専属にしてもらえるかも……?

 そんなヌルすぎる夢を見てしまったのも、渚が今回の試験に賛成して、試験官まで買って出た理由である。


 けれどその結果は、がっかりの一言に尽きた。

 渚の唯一認めるマネージャーは、やはり孤高の存在だったのだ。

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