第32話 夏実の特別編入試験2

 涼葉が会議室を見回して異論がないのを確認すると、夏実に問いかける。


「これからいくつか質問をしますので正直に答えてください。──向こうの学校はまだ退学していませんよね? 野球部はもう辞めたのですか?」

「野球部は辞めました。6月の終わりに」

「自主都合で退部すると、一年間は野球の公式試合に出場できないと聞きましたが?」

「それくらい仕方ありません。女でありながら男のマネージャーを守れなかった情けない自分が背負うべき、贖罪の一年間なんだと思います」


 その言葉を聞いた涼葉たちの表情が少しだけ緩んだ。


「……そう。つまり問題はあなたが兄さんへの贖罪を済ませていない、言い換えればケジメをつけていないということです。もちろん、渚ちゃんのように金を出せと言っているわけではありませんよ? わかりやすく言えば──」


 涼葉がこほんと咳払いをすると、


「──どのツラ下げて兄さんに会いたいって言ってんだ、このクソ虫がッッッ!!!!」


 会議室の窓ガラスがビリビリ揺れた。

 涼葉が放つケタ違いの殺気に、夏実が完全に腰を抜かす。

 涼葉の殺気のあまりの凄まじさに、この少女はきっと人を殺したことがあるに違いないと夏実は本気で思った。


 けれど涼葉は殺気をすぐに引っ込めて、こんな提案をしてきた。


「というわけで涼葉の提案としては、そうですね……兄さんの妹であるこの涼葉に一発殴られること。それでどうでしょう?」

「え?」


 その程度のケジメでいいのか、と夏実は肩すかしを食らった気分だ。

 そんな夏実は、涼葉の後ろで佐倉前三姉妹が盛大に顔を引きつらせていることに気付いていない。


「ええ。あなたがそれに耐えられたら、兄さんへの最低限のケジメをつけたということでいかがでしょうか? もちろん兄さんへの誠心誠意の謝罪は別としてですが」

「もちろん、ウチはそれで構いませんけど……」

「えっと、ちょっと待って?」


 話に割って入ったくずはの顔色が悪い。


「涼葉の言った条件は、もし呑むのならボクたちもそれでいいけれど、夏実はちょっと考え直した方がいいんじゃないかな?」

「考え直す……ですか?」

「そう。ボクたちは今度の甲子園予選で、聖鷺沼高校野球部をボコボコのケチョンケチョンに叩き潰すつもりだし、それをもって夏実のような野球部メンバーの禊ぎにしようと考えているから。……もちろん弟くんの追放を主導した監督やキャプテン、それに追放に積極的に賛同した男子マネなんかは当然許されないけどね?」


 だからそれでいいじゃない、とくずはが目で訴える。

 けれど夏実は納得しない。


「だからウチは殴られなくてもいいってことですか? でもウチは野球部辞めたから、その方法じゃケジメつけられません。それに一刻も早く西神田センパイには謝りたいですし」

「……涼葉はそうは見えないけど、パンチ力は本気でプロ顔負けだよ? ヘタしたら死ぬかもよ?」

「女に二言はありません。それにセンパイには結果的に、ウチが半殺しにされても仕方ないような酷いことをしましたし」

「涼葉はブラコンだから一切手加減しないと思うよ?」


 どの口が言うか、と反射的にツッコミかけるのをギリ踏みとどまった。


「当然です。手加減したらケジメになりません」

「……ダメだと思ったらすぐストップかけること。それだけ約束してね」


 くずはたちの手で会議室のテーブルが片付けられる。

 夏実はくずはたちが、何をそんなに焦っているのか分からない。

 女としてのケジメ。だから一発殴らせろ。

 じつはヤンキー上がりの夏実には、とても分かりやすい理屈である。


 涼葉は乳房こそ滅茶苦茶大きいが、それ以外は華奢な雰囲気の女の子だった。

 体育会系雌ゴリラとして日本中に有名な渚やくずはに殴られた方が、よほど痛そうに思えるんだけど。


「あの。ウチを殴るのは妹さんじゃなくて、渚センパイとかくずはセンパイとかでもいいですよ?」

「へえ……もしや、兄さんの妹である涼葉が殴るのではご不満だと?」

「そうじゃないですけど、できるだけ強く殴られた方がケジメになると思うので」

「そうですか。では涼葉の力を少しお見せしましょう」


 涼葉が会議室に備え付けられた飾り棚のケースを開けて、ゴルフ大会のカップと一緒にあったゴルフボールを四つ左手に持つ。

 ボールをそれぞれ手の指の間に挟んで、まるでマジシャンのように夏実の前で広げてみせた。

 意味が分からず夏実が見返す。

 涼葉が手指に力を込めた。

 涼葉の前腕が一瞬モリッと盛り上がった次の瞬間、全部のゴルフボールが涼葉の指の間ではさみ潰されていた。


「……え?」

「ふふっ。涼葉はこう見えて、ここにいる皆さんを合わせたよりも握力が強いんですよ?」


 無残にも破壊されたゴルフボールの断面が、今の破壊ショーが手品でもなんでもないことを雄弁に物語っていた。

 ──パンチ力は握力に比例する、と一般的に言われている。

 それが本当かどうはさておき、涼葉が地獄のようなパンチ力を持っているのは、火を見るよりも明らかだった。


「ではそろそろ殴ります……死なないでくださいね? 無理でしょうけど」


 ムリムリムリムリィィィ!! と夏実の本能が叫ぶ。

 ヤンキー時代に培われた危機回避能力が、一刻も早くこの場から逃げ出そうとガンガン警告を鳴らす。

 あの筋力のパンチは無理。マジ無理。絶対無理。

 破壊力エグすぎ。頭がパンって弾け飛ぶ。


 そんな夏実の動物的な警告を必死にねじ伏せるのは、ただケジメを付けたい──尊敬する先輩マネージャーともう一度仲間になりたいという、純粋な気持ちだけだった。


 涼葉がポキポキと指を鳴らす。

 夏実が恐怖で、本気で崩れ落ちそうになる。

 でも死んでもせめてカッコ良く、マネージャーに誇れる姿で死にたいから、なんとか立ったまま持ちこたえる。

 涼葉の口から、死のカウントダウンが始まる。


「3,2,1…………ゼロ!!」


 涼葉の豪腕が夏実を襲う。

 やっぱりダメだ。どう考えても死ぬわこれ。

 夏実が反射的に目を瞑って歯を食いしばった。


 そして覚悟した激痛が……………………………………来なかった。


「もう、仕方ありませんね」


 命を刈り取る涼葉の豪腕は、夏実の顔面わずか一ミリ手前で静止していた。


「今回だけ、兄さんを想う男気に免じてケジメとしましょう。警告しておきますが、二度はありませんよ?」


 夏実は、自分が九死に一生を得たことを知った。






 *男気……惚れた男子のためなら自分の命も惜しくないという、粋でかっこいい女性の生き様のこと

 

 *30話、31話は欠番です。

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