第176話 招待状
コンコンッ
イヴェルが出て行った後、保健室の扉からそんな軽い音が鳴った。
「アルトに用事があったんだけど…出直そうか?」
その扉を軽く開き、こちらを覗きながらそう言ったのはセインだった。
「いや、いい。…用件は何だ?」
「そう?なら、遠慮なく」
思考を切り替えるため頭を数回振って答えると、セインは扉を開けて静かに保健室内へと入ってきた。
「えっと、アーネさんは——」
「あー、すまん。出来れば話は手短に頼む。今は少し疲れててな」
セインは本題の前にベッドの方を見て何かを言いかけたが、俺はそれを横から遮った。
流石にそれらを聞く余裕はない。
「……分かった。じゃあ早速本題に入っちゃうけど実はね、王宮からアルト宛に招待状が届いているんだ」
「…どうしてだ?俺は王宮と関わることなんてしてないぞ」
王宮からの招待状、という物騒な言葉に疑問符を浮かべる。
王宮から招待されること?全く思い当たる節がない。…なんだろう。嫌な予感がする。
「それが聖王国での件で———」
そんな疑問に、セインはその理由について語り始めた。
セイン曰く、聖王国の関連していたアイラ誘拐事件及び寝たきりになってしまったオスカーについて、それらの顛末を彼はグレース国王へ包み隠さず全て話したらしい。
それを聞いた国王はセインを、アイラとオスカーの2人を救った国の英雄として叙勲式を行うことにした。
まあそこまでは納得できる。しかしそれにセインは何を血迷ったのか、自分よりも表彰されるべき者がいるとして俺のことを国王へ推薦したらしいのだ。それに対し、国王は叙勲式への俺の招集を何故か認め———
「それで、3日後の叙勲式にアルトが参加するのかを聞きたくて」
話をそう締め括り、セインは一切れの紙を差し出した。その紙の中心には大きく招待状と書かれている。その差出人は——王宮から。それ専用の印が押してあるので間違いない。
正直な話、とても面倒だしすぐにでも断りたいのは山々なのだが、そう言うわけにもいかない。
「...国王陛下からの招待を断れるわけないだろ。分かった、招待を受ける」
俺はセインから、その差し出された紙を渋々受け取る。
この招集を指示したのは国王陛下。
招待状とは書いてあるが、実質的にはこちらに拒否権などあるはずがない。これはただの召集令状だ。
「ありがとう。当日は僕も王宮にいて、アルトと一緒に表彰を受ける予定だから。あ、当日は変装とかしないでいいからね。国王陛下にはちゃんと黒髪の青年だって伝えてあるから」
「ああ、分かった」
きっとそれの意味をよく分かっていないであろうセインは、それを渡すとすぐに保健室を去っていった。残されたのは、右手に握られた赤い紙切れ一枚のみ。
「今更、国王陛下様が俺へ叙勲だってよ。…ここを退学になったのは誰のせいだと思ってんだ」
セインを見送った後、俺は目の前のベッドに向けてそう語りかける。
しかし、それに対する返事はない。そのベッドで眠るのは綺麗な顔のまま眠り続ける少女、アーネだ。
学園の屋上から飛び降りたアーネは、何故か全く無傷の状態で花壇の中心に倒れていた。
しかしその一方で、それ以降彼女は目覚めることなく、ただベッドの上で大人しく眠っている。
彼女が無傷であった理由と、目を覚まさない理由。それらには全く別々の理由がある。
まずは前者、屋上から飛び降りた彼女が無傷であった理由。それは、彼女の付けていた青色のピアスが原因だった。
俺がアーネを発見したとき、花壇に倒れていた彼女の隣には、バラバラになったピアスの残骸も共に散らばっていた。
初めは着地の衝撃で外れたものかとも思ったのだが、鈍い音の届く前に見えた青色の光。それとはどうも無関係だと思えなかったため、その破片を集めて調査することでそれの効果を調べた。
その結果、そのピアス型の魔道具が”着用者への致命傷を一度だけ肩代わりする”という効果を持つものだと分かった。きっと屋上から飛び降りたアーネへの衝撃を、そのピアスが全て肩代わりしてくれたのだろう。あのときに見えた青い光は、その効果が発動される時に発せられたものと考えるのが妥当だ。
これを持たせた奴が何を考えているかは全く分からないが——今はそれについて考える余裕はない。
そして後者、アーネが目を覚さない理由。それは——彼女の心が原因だ。
前述のように、ベッドで眠るアーネの体には何の異常もない。それはドクターのお墨付きだ。だが、彼女は未だその目を覚ます気配がない。
それについてドクターの見解によると、アーネの心自体が目を覚ます事を拒否していることのだという。
詰まるところ、アーネの精神は既に生きることを放棄してしまった。バラバラになってしまった彼女の心は、その体の主導権を握ろうとしない。
完璧な体があっても、それを動かす電池がなければ機械は動かないのだ。
「…」
ふと、俺はアーネの隣のベッドで眠るシエルの方へ視線を移す。彼女の耳につけられたピアスは淡く黄色い光を発光し続けており、きっと何かしらの効果を発動しているのだろうが——俺にはそれの効果が良いものであることを祈ることしかできない。
改めてにはなるが、シエルの目を覚まさない理由はアーネのそれとは全くの逆———その体の主導権を邪神と取り合っているためだ。
同じ部屋、隣り合うベッドで同じように眠り続ける2人の少女。
一方はその体を使う事を放棄し、もう一方は今もその体の主導権を巡って争い続けている。現れている症状は同じなのに、その原因は全くの真逆。何とも嫌なコントラストだ。
「…もしかしたら、王宮お抱えの医者とかに2人を診てもらえるかもしれないな」
急遽、3日後に入った面倒な予定のことを考えて思う。王族の2人を救うのに協力したのだ。それくらいの報酬はあっても良いのではないだろうか。
だかやはり、国王がわざわざ俺のことを招待するなど少し嫌な予感はするが…
「まあ、信じてみるしかないか。取り敢えず、それまでは死ねなくなった…その後は、気分次第だが」
俺は一人そう呟き、無心のままで再度アーネとシエルの寝顔を眺めるのであった。
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