第58話 走る、歩く、走る、滑る
さて、現在俺が走っているのは何の変哲もない平坦なコースだ。何か仕掛けがあるのかと警戒していたのだが、肩透かしを食らった気分だ。俺はその平坦な道をトップスピードで駆け抜けていく。
制限時間ギリギリまで最初の部屋に止まっていたのにはいくつか理由がある。
1つ目は人が混み合っている中で走りたくないため。2つ目は視認できる範囲でコースの確認をするため。そして3つ目が火魔法の準備をするためだ。
部屋で待機している間に予め火魔法を用いて体温を上昇させることで血行を促進し、体を動きやすい状態にしておいた。
その恩恵もあってか、俺は他の受験生達を次々に追い抜いて初めの5kmを完走した。
給水エリアでボトルを1本貰い、すぐに次のコースへと入る。
2つ目のコースは、草木が茂ったジャングルのようなコースだった。生い茂った木や草、岩などが受験生達の進行の邪魔をしている。
「これは少し面倒だな...壁側に寄っておいた方がいいか」
このコースでは目的地までの効率的な道筋を見極める能力や、動きにくい状況において自由に行動できる運動神経などが試されているのだろう。
壁や天井、床に至るまで全て植物で覆われているため、少し中に入ると360°どこを見ても同じような光景が広がっている。そのため、方向感覚に狂いが生じやすいことは容易に想像できた。
壁に沿ってコースをゆっくりと進んでいくと、やはり方向がわからなくなったのかキョロキョロとしている者や逆走している者の姿がいくつか見られた。
俺は一度火魔法を止め、スピードは気にせず迷わないことに重点を置いてコースを進んでいった。しばらく進んでいくと、初めのコースよりもだいぶ時間が掛かったものの、無事に2つ目のコースのゴールへと辿り着くことができた。
給水エリアで水の補給をし、3つ目のコースの入口を見る。そこは床が土だった前2つのコースと違い、床には砂が敷き詰められていた。
「これも少し面倒だな」
俺はそのコースに入る前に靴を脱いで素足になる。
靴を履いたままでは砂をうまく蹴ることが出来ず、効率的に進むことができないだろう。靴を空間収納へ入れ、満を持してコースへと入る。
するとすぐ、猛烈な暑さに襲われた。
「なんだこの暑さ...」
蒸し暑さというよりは、直射日光にでも当てられているような暑さだ。
思わず上を見るが、太陽のようなものは見られない。室内に実際の砂漠のような環境を作ったのか?温度の管理はどうやっているんだ?そんな魔法があるのか?
そんなことを考えながら、俺は自分の周りに水の魔力を纏わせる。カイナミダンジョンの1-5層のときと同じ対策法だ。
自分の周りの温度を自由に変えられるので俺には外の温度など関係ないが、それが出来ない者にとってこの暑さは地獄そのものだろう。
「やっぱり皆辛そうだな」
コースを走っている最中には十数人の受験生とすれ違ったが、明らかにその速度は今までのコースに比べて遅かった。
俺の使っている技術はかなり精密な魔力操作が必要なもので、幼少期から行ってきた魔力操作の練習の賜物だ。アーネのような天才は教えたらすぐに出来るようになったが、普通はそう簡単にできるものではない。
「まあ俺には関係ないことだな。あと3kmくらいか?さっさと抜けるとしよう」
俺は自分のペースを守りながらコースを進んで行く。その間にも、速度を大きく落としている受験者を数多く見かけた。追い抜いた受験者数は今までのコースの中で一番多かったのではないだろうか。
3つ目のコースを走り終えた俺は、靴を履きながら水分補給を行う。その間に最後のコースの入口を見ると、今度は地面が氷でできていた。
「今度は氷か。ということは...」
なんとなくそれを察した俺は、覚悟を決めて最後のコースへと入る。
「やっぱり寒!!、って危な!?」
予想通りそのコース内はめちゃくちゃ寒かった。更に足元が滑りやすく、危うく転けそうになる。
「灼熱の砂漠の後に極寒の氷上...マジで性格悪いな。寒暖差ありすぎだろ」
この試験の発案者を恨みつつ、俺は急いで体の周りを火の魔力で覆う。幼少期から魔力操作の練習をしていて本当によかった。
「後の問題はどうやって進むか、だよな...」
氷の上で立ち尽くし、そう呟く。
先程の砂漠は進みにくかったものの、地面を蹴れば必ず進むことができた。しかし今、足元に広がっているのは大きな一枚の氷だ。氷との摩擦係数はほぼ0なので、それを蹴って進むのは難しいだろう。勿論スケート用の靴なんて履いていないので、氷の上を滑っていくことも難しい。
「となると、魔法しかないか。風魔法とかでいい感じに進めないかな。」
試しに俺は後方へ向けて風を送ってみる。
すると、体はゆっくりと前に進み始めた。
「お、意外といけるな。少し寒いけど、それは火魔法で何とかしよう。最後のコースだし多少魔力を使いすぎても問題ないだろ」
この選定試験が終わった後には本試験があるが、学園側は試験を受けていない推薦組との公平性を保つためある程度の配慮をしてくれるだろう。
「うぉぉぉ!!少し怖いけど、それ以上に楽しいなこれ!」
風魔法に込める魔力の量を増やすと、氷上を滑る俺の体はどんどんと加速していった。
なんだこれ、楽しい。レーシングゲームをしてるような感覚だ。やっぱり少し怖いけど、風を切る爽快感が段違いだ。
コースは全体として大きく左にカーブしているが、それは左右の風の強さを調整することで対応できた。そんな風に氷上の滑走を楽しんでいると、あっという間に前方にゴールが見えてきた。
最後の直線だ。
そのゴールまでの直線上には他に誰もいない。俺はラストスパートと言わんばかりに風力を上げ、ゴールへどんどんと近づいていった。
そろそろ減速するか。そう思ったとき、俺はあることに気がついた。
これってどうやって止まるんだろう、と。
「やばい、やばい、やばいってこれは!」
咄嗟に風の向きを逆にしてみるが、さして効果はない。気がつくのが遅すぎた。
やばいやばいやばい、誰だ、後先考えずここまでスピードを上げた馬鹿は!俺でしたごめんなさい!
心の中で懺悔をしても、スピードが落ちることはない。
「アピャァァァ!!!」
そんな奇声を上げながら、俺は最初に説明を受けた部屋へと突っ込む。それに伴い、床は氷ではなく元々の硬い石のようなものに戻った。
俺の上半身は慣性に従いそのままの速度で前へ進もうとするが、その一方で地面に接している足は地面からの摩擦を受けて大きく速度を落とす。
つまり、
「ヘブンッッッ」
俺は盛大に転倒した。
「だ、大丈夫ですか?」
盛大に転んだ俺へ、誰かが声をかけて来てくれた。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
痛む体に鞭を打ち、俺はなんとか立ち上がる。
「あ、貴方は」
「あ、ミルトさん?でしたっけ。ご苦労様です」
俺に声をかけて来てくれたのは、Bグループへ選定試験の説明をしてくれたミルトさんだった。
「あ、はい。それで合っていますよ。貴方の方は大丈夫ですか?かなりの勢いで転んでましたけれど...」
「なんとか、大丈夫みたいです」
俺は両肩を回し、屈伸などして自分の体の調子を確かめる。奇跡的に大きな怪我はないようだ。
「えっと、ミルトさんはずっとここに居たんですか?」
体の調子も確かめられたところで、俺は少し気になったことを質問する。
部屋へ飛び込んだ瞬間、部屋の中を見る余裕はなかったが流石に声をかけて来るのが早すぎる。
「厳密には違いますが、基本はそうですね。私たち審査官は給水エリアの管理や、受験生に何かあった際の救出、走り終えた受験生の案内などのために待機してます。他の給水エリアにも他の審査官の人がいませんでしたか?」
彼女は丁寧にその質問に答える。
そう言われてみれば居たような気もする。正直、給水エリアでは次のコースのことに集中していたため、あまり周りを見ていなかった。
「咄嗟に助けてあげられなくてごめんなさい。試験官の受験者への介入は禁止されてて、手助けをしちゃうと助けられた受験生は棄権されたと見なされちゃうので。私たち試験官は自分で助けを求めて来た子か、本当に危険な子以外は極力手出しをしないようにしているんです」
なるほど。だから彼女は意図的には俺のことを助けなかったのか。叫び声も聞こえてたはずだし、試験官に選ばれるくらいの実力者だ。助けようと思えばどうとでもなっただろう。
「いえ、大丈夫ですよ。元はと言えば速度を出しすぎた俺が悪いんですし。ところで全部のコースを走り終わったらどうすればいいんですか?」
「あ、そうでしたね。お疲れ様です。完走おめでとうございます。結果は最初に集まった校舎前での発表になるので、一旦そこで待機をしておいてください。外へはあの扉から行けますので」
ミルトさんはそう言ってゲートの方を指す。
「ありがとうございます。因みに、俺が何番目にゴールしたかとかは...」
「ごめんなさい。順位に関することは何も言えません」
「ですよね。困らせてすみません」
単刀直入な質問に、ミルトさんは申し訳なさそうに回答を拒否した。
まあ予想はついていたが。
というか、校舎の前に待機している人数で大体の順位は分かるんじゃないか?やはり俺は天才だったか。
「まぁ貴方の記録はきっと、歴代で過去最速だと思いますけどね」
地上へ転送される直前、彼女は何かを呟いたが、考え事をしていた俺はそれに気がつかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゲートをくぐると、そこは待機場所に指定されている校舎の目の前だった。そしてそこには、
「おい、誰かポーションを持って来てくれ!魔力切れを起こしているみたいだ!」
「こっちには冷水と氷嚢を頼む!熱中症を起こしている!」
「新しく患者が来たぞ!誰か迎えに行ってやれ!」
受験生と見られる大勢の人々と、怪我人などの治療にあたっている大勢の医療従事者の姿が見られた。
「君!体の調子はどうだ?喋れるか?」
どうすればいいのか分からず突っ立っていると、医療従事者と見られる男性がこちらへ喋りかけて来た。
「あ、はい。大丈夫です。あの、ゴールした受験者はどこに待機していればいいですか?」
「もうゴールしたのか!?はやッ......いや、なんでもない。受験者はあちらの方で待機をして貰っている。特に異常がなければ、君もあちらで待機していてくれ」
「?、はい。わかりました」
そのまま指示された場所へ向かうと、そこにはざっと1000人ほどの受験生が待機していた。きっとリタイアした受験者とゴールした受験者のどちらも、ここへ集められているのだろう。くそぅ。これでは順位が全くわからないではないか。
中には包帯などを巻いている者もいるが、それだけでリタイアをしたとも限らない。ゴールをした後に治療を受けた可能性だってあるのだ。
「結果は正式に発表されるまで分からないってことか...」
待機中の集団へ混ざった俺は、少しだけドキドキとしながら結果発表を待つのであった。
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