第34話 アーネと出会い

私の名前はアーネ=エルトリア。

アルクターレという街に母と妹の3人で住んでいる、ごくごく普通の平民だった。1ヶ月前までは。


1ヶ月前、私はあるお婆さん——あとから聞いた話だが、とても有名な魔法使いらしい——に水魔法の才能があると言われた。確かに私は水魔法を使うことができたが、家事の手伝いなどでしか使うことはなかった。


その時の私は、お婆さんの正体を知らなかったし、魔法というものに対しても詳しくなかった。だから私は、そのお婆さんの言ったことをあまり本気にしていなかった。


私が事態を正しく理解したのは、それから数日が経ったある日のお昼のこと。二人組の男達が私の家を訪ねてきたときだった。


鳴らされたチャイムに、家の扉を開いたのはお母さんだった。


「こんにちは。私怪しいものではないんですけれども、この家にアーネって言う女の子がいますよね?その子と少しだけお話しがしたいので、通してもらってもよろしいですか?」


2人組のうち眼鏡をかけた細身の男が、玄関に入るなりそんなことを言った。


「あなた達はどちら様ですか…?どうして、アーネのことを知っているんですか…?」


お母さんがそう尋ねると、筋肉質なもう1人の男が苛立ったように声を上げた。


「あ?ババア。お前はごちゃごちゃ考えないで、さっさとガキを出せはいいんだよ!」


「おいやめろ、ケビン。大変失礼致しました。しかし彼の言う通り、とやかく言わずにアーネちゃんをすぐに差し出した方が身のためですよ?でないと...」


眼鏡をかけた男はそう言うと、不意に玄関に置いてあった花瓶に拳を打ちつけた。その花瓶は粉々に割れ、破片の割れる音が家中に響く。


「次は貴方が、この花瓶のようになってしまうかも知れませんよ?」


水で濡れた拳をハンカチで拭きながら、男は薄く笑う。


脅しだ。眼鏡の男はお母さんのことを脅迫して私を差し出させようとした。


「...................ません。」


少しばかりの沈黙の後、お母さんは掠れた声で言った。


「はい?」


「アーネなんて子はこの家にいません!ですからお引き取りください!」


眼鏡の男が聞き返すと、お母さんは今度はハッキリとした口調で叫ぶように言った。


「何言ってんだ、ババア!この家にいるって調べはついてんだよ!」


「ですから!そんな子はこの家にはいません!お引き取りください!」


お母さんは私のことを守ろうとしてくれた。例え、暴力で脅されていたとしても。


「...それが、貴方の答えということでよろしいですか?」


「...答えも何も真実です。どうぞ、お引き取りください。」


「そうですか。それは残念です。」


それだけ言うと眼鏡の男は拳を握り、それを大きく振り上げた。

その男の目は、確かにお母さんのことを捉えていた。それを見ていた私は、居ても立っても居られなかった。


「水よ来たれ—水生成アクア!!」


部屋を飛び出した私は、唯一覚えている水魔法——水生成アクアを男たちへ向けて放った。


「ブババババハッッッッ」


私の放った魔法はケビンと呼ばれていた男に直撃し、その男は家の向かいの壁に打ち付けられて動かなくなった。


「アーネ!どうして!」


こちらを向いたお母さんが叫ぶ。

ごめんなさい。私を守ろうとしてくれたのに、無駄にして。


「...貴方がアーネさんですね?」


眼鏡をかけた男はその拳を下げ、私へと確認を取る。本当はこちらの男を狙ったのだが、外してしまった。


「私が狙いなら私だけを狙って。家族に手を出さないで。」


「貴方が大人しく私たちについて来てくれれば、私たちは貴方の家族に危害は加えませんよ。一緒に来てくれますね?」


「…分かった。」


私は玄関へと歩いていく。


「アーネ!来ちゃ駄目!」


「お母さん。ごめんね。」


私はお母さんに謝ってその隣を通る。

靴を履いた私は、ゆっくりと男の差し出した手を取る————


「水よ来たれ—水生成アクア!!」


「このッ、クソガキッ!」


フリをして、その男に水魔法を放つ。

眼鏡の男はケビンと同じように向かいの壁に衝突した。


「くそ!お前ら、あのガキを追え!ケビン、お前はさっさと起きろ!」


眼鏡の男は意識があったようで、周辺に控えていた仲間達にそう指示を出した。


それを聞いた数人の男たちは、すぐに私を捕まえようと迫ってきた。


「水よ来たれ—水生成アクア!!」


家を飛び出した私は水生成アクアを使いながら、次々と迫ってくる男たちを蹴散らして逃走した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



家を飛び出してからどれくらいの時間が経っただろうか。追ってくる男達から逃げるために入り込んだ路地裏で、道に迷っていた私はそんなことを思った。辺りはもうすっかり暗くなってしまっている。


今思えば警備団の在留所に逃げ込むなどの手段もあったと思うが、逃げている時にそんなことを考えている余裕など無かった。


今の自分の場所がわからない。どうすれば家に帰ることが出来るかもわからない。魔法を使いすぎたせいか身体が重い。

そんな状態で、私は路地裏を彷徨う。


「あー、やっと見つけたよ。」


「ッ...!!」


そして遂に私は追っ手に見つかってしまった。それは奇しくも、昼間に家に訪ねてきた二人の男だった。


これ以上魔法を使えば倒れてしまう。感覚的にそう悟った私は魔法を使わず、走って男達からの逃走を図った。しかし私は既に体力も大きく消耗していたため、それから数分後には男達に路地裏の行き止まりへと追い詰められいた。


「やっと、魔力が尽きやがったか。お得意の魔法も魔力が尽きたら何もできないだろ。さっさと諦めな。」


「いやー、疲れたっスね〜。手間をかけさせやがって、このクソガキが!」 


眼鏡をかけた男が勝ちを確信したように告げ、それにケビンが同調する。


「ハァ...ハァ... 誰があなたたちなんかに投降するものですか!」


私は絶対に最後まで屈しない。

私ははっきりとした口調で男たちに抵抗した。


「あー?自分の立場わかってないのか、このガキは。こっちが優しくしておけば、図に乗りやがって... 依頼主には傷をつけるなって言われてるが、ある程度の躾は必要だよな?

オイ、分からせてやれ。」


すると、眼鏡の男は苛立ったようにそう言い、指示されたケビンは威圧的にこちらへ歩いてきた。


魔法はもう使えない。最後の手段として自らの拳を固め、私はそれを振るった。


「キャッ...」


「おいおい、魔法が使えなきゃそんなもんか!そんな生温い攻撃が俺に当たると思ってんのか?舐めてんのかよクソガキィィ!!」


しかし私は殴り合いはおろか、喧嘩も碌にしたことがない。そんな私の拳が喧嘩慣れしているであろう男に当たるはずもなく、私の拳はすべて空を切った。


それを全て避けたケビンは大きくその拳を振り上げる。これを避けることはできないだろう。私とこの男の間には嫌でも分かる程の実力差があった。



ああ、お母さん、自分勝手な娘でごめんなさい。リーネ、貴方は私の分まで幸せに生きて...。


私が覚悟を決めて目を瞑った。そのとき、


ズドン!!


何かが上から落ちてくるような音がした。


「あ?」


「え?」


「あー、一つ質問なんだが。子供しかも女の子に手をあげるとか、どういう了見だ?」


恐る恐る目を開けると、つい先程まで私に拳を振り下ろそうとしていた男は目の前で白目を剥いて倒れていた。

そして男の立っていた場所には、私と同じくらいの歳の少年が眼鏡の男と睨み合うようにして立っていた。


少年は私に背を向けていたので顔はよく見えなかったが、真っ黒な髪の毛が特徴的な少年だった。


「…おい、テメェ何者だ?ケビンはお前みたいなガキにそう簡単に倒される奴じゃないと思うんだが」


「お前らみたいな奴に名乗る名前なんてない。それに俺はまだ修行中の身だ。ケビンだっけ?この人がただ実力不足なだけじゃないか?」


眼鏡の男の言葉に少年は物怖じせず、淡々と言葉を返す。


「さて、このまま、ここで気絶してるケビン君を持ち帰って、俺たちを見逃してくれれば穏便に済む話ではあるんだけど」


「こっちもそういう訳にはいかないんだよな。そっちこそお嬢ちゃんをこっちに渡せば、命だけは助けてやるぜ?」


「だってさ、君、あっちに行きたい?」


振り返ってその少年は私に聞いた。


正直そのときの私は、突然流れ込んできた情報量に頭の整理ができていなかった。しかし、少年の質問に対する答えは決まっていた。行きたいわけがない。私は首を横に振った。


「交渉決裂だね」


「そうか、残念だ」


眼鏡の男はそう言うと、すぐに地面を蹴って少年に迫った。


「おっと、危ない」


少年はそう言って眼鏡の男の拳を易々と受け止めた。更に、眼鏡の男の腹を軽く殴る。それだけで男は勢いよく吹っ飛び、壁に打ち付けられた。

あれだけ軽い力で、成人があれほど飛ぶはずがない。少年が魔法を使ったことはすぐに分かった。


そして壁に打ち付けられた眼鏡の男はピクリとも動かなくなっていた。あまりにも呆気なく、一瞬で決着がついた。


「死んでないよな?うん、多分大丈夫。手加減したし、でも念のためさっさと逃げようかな」


「あ、あの、」


眼鏡の男の方を見て独り言を呟いていた少年に声をかけると、彼はこちらを振り返った。


「あ、君大丈夫だった?色々聞きたいことがあるんだけど、とりあえずこの場を離れないといけないから、付いてきてくれるかな?」


この少年は私のことを狙っているわけではない、そう確信した私は、その少年に付いていくことにした。


これが私と黒髪の少年——アルトさんとの出会いだった。

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