第3話

 日曜日。


 気怠い体に鞭を打って早起きし、眠たい目を擦りながら身支度を整えて、俺はとある場所へと向かって車を走らせていた。


 何の目的があってその場所に向かうのか。


 それは、インターネット上で出会った人物、“Sさん”に会うためである。


 先日、会社の後輩に薦められ、半ば強引に始めさせられたマッチングアプリ。


 そこで出会った夕陽の画像をプロフィール画面に設定している女性と、俺は何故か仲良くなってしまった。


 そうして、数日の間メッセージのやり取りをした結果、今日、なし崩し的に顔を合わせる約束をしてしまったのである。




 信号が青から黄色に変わるのを目視し、赤に変わる前にブレーキを踏んで停車する。


 白線の真上に跨る黒の愛車。


 ギアをパーキングに入れた後、俺は静かに溜息をついた。


 本当に、会ってしまってもいいのだろうか。


 そんな迷いが、心の奥底に巣食っていたのだ。




 何かトラブルに巻き込まれたらどうしよう。


 美人局とかだったらどうしよう。


 色々な意味でモンスターみたいな人だったらどうしよう。


 考えれば考える程、杞憂にも似た不安が膨れ上がっていく。


 


 そもそも、顔も素性も知らない人間を簡単に信用してしまっていいのだろうか。


 まぁ、チャットで話した感じだと悪い人ではなかったように思う。


 けれど、それはネット上の話であって、現実での彼女が必ずしもそうであるとは限らない。


 本当に大学生の女の子なのかも怪しいところだ。


 最悪、男が好きなおっさんが来たとしても文句は言えない。




 悩むくらいなら、いっそ会わなければいいだろうと自分でもそう思う。

 

 頭では分かっていた。


 けれど、それでも俺は理性的になれずに、会話をしている時に感じた安寧にも似た居心地の良さを言い訳にして、こうして欲望のままに車を走らせてしまっている。


 バカだなと、思わず自分を鼻で笑ってしまう。




 信号が青に変わり、ギアをドライブに入れてゆっくりとアクセルを踏む。


 けれど、交差点を過ぎたあたりですぐにまたブレーキを踏んだ。


 週末の仙台の道路は混みやすい。


 元々の人口が多いせいもあるが、週末は県外、特に東北六県の人間が仙台に遊びに来て一極集中状態になってしまうからだ。


 いつもだったらうんざりするような渋滞。


 けれど、今日だけはそれが救いのように思えた。


 行くか、行かないか。


 会うか、会わないか。


 どっちつかずの迷ったような時間が、今の俺には必要だったのだ。




 × × × × ×




 目的の場所につき、駐車場に車を停めて深呼吸をする。


 そうして心を落ち着かせた後、スマホのパスコードを解いてアプリを開いた。


 一件のメッセージ。


 もちろん、“Sさん”からだ。




「早めについてしまったので、先にお店の中に入ってます! 奥の席に座っているので見つけてみてください。白い服を着ているので!」




 そう、報告めいたメッセージが俺のスマホに受信されていた。


 いるのだ。


 数メートル先に、彼女が。




 その事実は、車のシートにもたれかかる俺の腰を少しだけ重くした。


 まるで、地球の重力が1.5倍になってしまったのかと思うくらいに。


 それくらいに、俺は怖気づいてしまっていた。


 というか、Sさんは怖くないのだろうか。


 こんな、見ず知らずの、おっさんに片足を突っ込んだような男に会うのが。


 ……いや、今時の若者にとって、ネットで出会った人間に会うだなんて事は何もおかしな事ではなくて、普通で、簡単で、朝飯前のお茶の子さいさいな事なのかもしれない。


 きっと、そうなんだろうと思う。


 今の若い子達はネット社会と共に生まれ育ってきた。


 インターネットは全ての答えを教えてくれる。

 

 そんな価値観を、幼い頃から持ち続けている。


 だから、そこで結ばれる出会いや縁に何の不安を持たずに、信じて決して疑わない。


 多分、こんなに身構えているのは俺だけなのだろう。


 世の人間達はもっと適当に生きている。


 でも、それでも、アナログ人間の俺にはハードルが高かった。


 素性の知れない人間に、自分を曝け出すのが怖かった。


 情けないけれど、それが“本田蒼”という人間の性質だった。


 いや、ただ単に俺がオッサンなだけなのかもしれないけど……




 葛藤して、自分にセルフでツッコミを入れて。


 そうやって散々弱音を吐き出して、ようやく覚悟を決めた。


 これ以上Sさんを待たせるわけにもいかないだろう。


 意を決して、俺は車のシートから重い腰を上げた。


 勢いよくドアを閉め、カギを掛ける。


 ズンズンとコンクリートの上を進み、ガラス張りのドアの取っ手に手を掛けた。


 何てことのない、最寄り駅の近くにあるチェーンのファミリーレストラン。


 中に入ると、店員さんが「お一人様ですか?」と声を掛けてくる。


 その問いかけに、「待ち合わせしてるんですけど……」と答え、店内を見渡した。


 入口の近くの席から、ぐるりと白い服を着た人物を探してみる。


 すると、レジとは対角線上にある窓際の席。


 そこに、白のワンピースにカーディガンを羽織った若い女性を見つけた。


 おそらく、あの人だろう。




 店員さんに「いました」と伝えると、「ごゆっくりどうぞ」と一礼してバックヤードに戻っていった。


 軽く会釈をして、俺も店の奥へと足を進める。


 バクバクと妙に脈打つ心臓を抑えながら、ゆっくりと窓際の席に近づいていく。


 その人物はスマホをいじるのに夢中になっているみたいで、まだ俺の存在には気がついていないみたいだった。


 席の目の前まで近づき、ふうっと息を吐いてから声を掛ける。




「あの……」


「………!」




 すると、やっとこちらの存在に気がついたのか、彼女はスマホから視線を外し、覗き見るように頭を上げた。


 少しだけ香るバニラのような甘い香り。


 薄黒く艶のある、ウェーブがかったショートヘアの髪の毛から覗くとろんとした二重瞼。


 イメージよりもだいぶ童顔で、正直面を食らった。


 けれど、二十代になったばかりなら有り得なくもない。


 大人ではないけれど、子供でもない。


 Sさんは、そんな容姿をしていた。




「もしかして……本田さんですか?」


「はい……えっと……“Sさん”ですか?」


「は、はい、“S”です……」


「ど、どうも……はじめまして……」




 お互いにおどろおどろしながら、初めましての挨拶を交わす。


 よそよそしい態度に少しの気まずさを感じながらも、俺はホッと胸を撫で下ろしていた。


 よかった。


 とりあえず、おっさんではなかった。


 それに、学生というのも嘘ではないみたいだ。




 “Sさんは嘘をつかない人間だ”




 その事実は、俺に幾分かの余裕を生み出してくれた。


 おそらく、Sさんの言動と現実に齟齬がなかった事に安心したのだろう。


 嘘をつかない。


 そんな当たり前の事が当たり前のように行われた事で、僅かばかりの信用が、俺からSさんに対して築かれたのだ。


 うーん……我ながらチョロい……


 けれど、まだまだ油断は禁物だろう。


 こういう若くてかわいらしい女性だからこそ、美人局や宗教の勧誘という可能性を疑わなければならない。


 しっかりと見極めろと、自分の心に警報を鳴らす。




 そのまま、お互いに席に着く。


 ズボンのポケットに入っていたスマホや車の鍵、タバコをテーブルの上に置いていると、気を利かせてくれたSさんがメニューを渡してくれた。


 「ありがとうございます」と言い、メニューをパラパラとめくってドリンクバーを注文する。


 何か頼みますかと聞こうとしたが、テーブルの上に置いてあるコップの中にメロンソーダが入っているのが見えたので、何も聞かずにメニューを元の場所へと戻す。


 食事は話が盛り上がってからでいいだろう。


 話が全然盛り上がらずに、飯が出来上がるのだけを待つだなんて事になったら目も当てられないし、万が一、Sさんがヤベー奴だった時に飯のせいで逃げ遅れかねない。


 そう判断し、無言でお互いの顔を見つめたまま数秒の時間が過ぎる。




 ……………………。




 ま、まずい……何を話していいか分からん……


 よかった……ご飯頼まなくて……




 実際に本人を前にして、何を話していいのか分からずに嫌な汗をかいた。


 アプリではあんなに気軽に話していたのに、一体どうしてしまったのだろうか。


 そんな疑念を抱きながら黙っていると、Sさんが遠慮がちに口を開いた。




「あの……今日は来てくれてありがとうございます……嬉しいです……」


「い、いえ……」




 不意に放たれたその一言に、俺は衝撃を受けた。


 久しく忘れていた、ときめきのようなこの感情。


 誰かに感謝される心地よさに、同世代の異性と接する緊張感に、俺は酔いしれてしまったのかしれない。


 端的に言うのであれば、すごくドキドキしていた。




 体温が少し上がり、余計にかいてしまった汗を手で拭いながら、微妙な空気をとりなすように一言、ボッソと言葉を吐いた。




「コーヒー、来ないなぁ……」


「へ?」




 俺がそう言うと、Sさんはキョトンとした表情を浮かべた。




「注文したの、ドリンクバーですよね?」


「え? はい、そうですけど?」




 Sさんがそう聞いてきたので、そうだと首を縦に振る。


 すると、Sさんは少し引き気味に俺に言った。




「ドリンクバーなので、自分で取りに行かないと……」


「…………あ! そうか!」




 Sさんのその一言で、俺は自分がしてしまった言動のおかしさに気付いてしまう。


 大学を卒業して以来、ファミレスを利用するような機会が減った事。


 そして、Sさんの言葉に舞い上がってしまった事。


 それらの要因が重なりあって、すっかりドリンクバーの制度を忘れてしまっていた。


 慌てて席を立ち、ドリンクコーナーに向かう。


 コーヒーが注がれたカップを手に持ち席に戻ると、Sさんが笑えるのを堪えながらこちらを見ていた。




「ファミレス、初めてなんですか?」


「いや、久しぶりに来たんで忘れちゃいました……」


「そうなんですか……ふふふ、本田さん、やっぱり面白いですね」


「いや……すいません、お恥ずかしいところ……」




 顔から火が噴くくらいに恥ずかしい思いをした。


 けれど、そのおかげか、俺とSさんの間には先程までの嫌な緊張感、互いが互いを品定めするような空気がなくなっていた。


 少なくとも、Sさんは人を騙したりするような人間ではないなと、そう感じた。


 それが分かったのなら、恥を掻いてもよかったかなと、そう思う。




     × × × × ×




「あ、わかります! あれも面白かったですよね! やっぱり漫画は少年漫画に限ります!」


「少年漫画、ヒット多いからなぁ……」




 その後、俺達はアプリ内で話していたようなくだらない話をダラダラと続けていた。




 近所でおいしい店の情報、おすすめのコンテンツ、好きなお笑い芸人などなど。




 女の人と話すときはもっとこう、流行に乗った話をしなければいけないのかと身構えていたのだが、全然そんな事はなく、男友達と話すような、少年と話しているような感覚が佐藤さんとの会話にはあった。


 ちなみに、佐藤さんというのはSさんの事で、タメ口で話しているのは、「私の方が年下だと思うので、タメ口でいいですよ」というSさん改め佐藤さんからの要望があったからだ。


 顔を合わせてから数分で名前を教えてくれたり、年上の人間を立ててくれたり。


 アプリで話している時から思っていたが、どうやら佐藤さんはサバサバした性格の女の子らしい。


 だから、こんな俺でも話しやすかったのかもしれない。





 漫画談義が一段落した辺りで、俺はテーブルに置かれた煙草の箱を引き寄せた。


 一本取り出して口に加え、火をつけようとして……やめる。




「あ、ごめん。外で吸ってくる」


「タバコですか? いいですよ、吸って。ここ喫煙席ですし」


「いや、でも」


「私は構いませんよ? パパも吸ってましたし」




 そう言ってくれる佐藤さんの言葉に甘えそうになったけれど、それでも踏みとどまり、俺は咥えたタバコを箱の中にしまった。




「やめておくよ」


「そ、そうですか……」




 今のご時世、タバコは時と場を弁えて吸わないとマナー違反になってしまうのだ。


 特に、女性や子供の前で吸おうだなんて言語道断。


 タバコを愛する者として、最低限のルールは守っていきたい。




「優しいんですね、本田さんは」


「いや、ただのマナーだから」


「私を気遣ってくれたんですよね? わかりますよ、そんなの。ありがとうございます。」




 そう、にこやかな笑顔を浮かべて言う佐藤さんを見て、俺は何だか気恥ずかしくなり、そっぽを向いた。


 褒められ慣れていないせいか、それとも佐藤さんから発せられる謎の癒しオーラのせいか。


 若いのに、そんな風に人を気遣えるなんて大したものだと、そう思った。


 やっぱり、佐藤さんと一緒にいる時間の居心地は悪くなかった。




「あ、照れてますね」


「いや、違うよ」


「ふふ、本田さん可愛いです」


「大人をからかうんじゃありません」


「あはは……ごめんなさい。……でも、健康面を考えるとタバコはあんまり良くないかもですね……どうして、男の大人の人ってタバコを吸うんですか?」


「何でって……まぁ、スーッとするって言うか、ストレス解消って言うか……」


「ストレス……社会人って、そんなに大変なんですか?」


「うーん……まぁ、大変だと思うよ。人間関係とか色々」


「うえぇ……」





 俺の話を聞きながら、舌を出してしかめっ面になる佐藤さん。


 何て顔してんだ……と思わず吹き出しそうになったのを、コーヒーを啜って誤魔化した。




「人間関係か……私も最近高校で……」




 けれど、我慢したのも束の間。


 その瞬間に佐藤さんから放たれた言葉を耳にし、結局、俺は口に含んでいたコーヒーを吐き出した。




 ……は? ……え? 高校?




「……え? 高校って?」


「…………あっ!? ち、違います! 間違えました! あの……大学で……あはは~」




 俺の問いかけに、しまったというような表情を浮かべた佐藤さん。

 

 すぐに自分の発言を訂正するが、どことなく胡散臭いと言うか、何だか動揺しているように見える。


 まさか……いや、まさかな……




「えっと……佐藤さん、大学では何を勉強してるの?」


「えっ……大学でですか……えっと……」




 探るように、確かめるように佐藤さんにそう聞いてみる。


 すると、佐藤さんは目をぐるぐるとさせて、しどろもどろになりながら言葉を紡いだ。




「え、えっと……福祉系の……」


「福祉系の?」


「福祉系の……勉強です?」


「何で疑問形なんだ……」




 疑問形に疑問形で返すくらいに、佐藤さんは動揺を隠せていなかった。

 

 え……なんだ……何か隠してんのか?


 こっちまで不安になって、疑うように佐藤さんを見つめた。




「わ、私、飲み物取ってきます!」




 すると、逃げるように佐藤さんが席を立った。


 怪しい、絶対に怪しい。


 訝しむような視線を送り続けていると、そんな俺の視線に引きずられてか、それとも急いで立った反動のせいか、机の上に置いてあった佐藤さんの手帳型のスマホが地面に落ちて俺の方に転がってきた。


 落ちた衝動で、ケースの内側に入っていたであろうカード類も床にぶちまけられる。


 席を立ち、それを拾い上げようとすると、佐藤さんが小さな声で「あっ、待っ」と言葉を漏らした。


 けれど、時すでに遅し。


 不思議に思いながら、俺は落ちたカードを拾い上げる。


 見るのも悪いかなと思ったけれど、どうやっても拾い上げる時にカードの情報が目に入ってしまうので、あえて堂々と、カードに印刷された文字を読んだ。


 


『学生証  黒松高校 2年3組 佐藤 里奈』




 最期まで読んで、俺は言葉を失う。




 ………………え?




 ……いや、ちょっと待て……こいつ……







 高校生じゃん…………

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