第七条 性魔術陳列罪
事件現場は二階の一室だった。入室したのは香奈々とアラディアと敬雅の三人だけ。ドアを閉めると、魔女は不可視化を解いた。
被害者たる長男に当たる人物の部屋らしい。
これといった特徴はない。流行のバンドやアイドルのポスターが少々、最新ゲーム機や音楽プレーヤー、本、箪笥、棚……。などなど、あり触れたものがあるだけだ。
当然遺体はもうない。
「被害者は、二〇代前半のサラリーマン。パジャマ姿で壁際の机に備え付けられた椅子に掛け、デスクトップ型パソコンと向き合って死んでいた。これまでの犠牲者たちと共通して、外傷はなく死因は不明」
香奈々が、説明しながら遺体の座っていた形跡を白線で囲われた椅子の後ろまで歩く。
「部屋は密室、窓もドアも内側から施錠されていたわ。出勤の時間になっても起床してこない被害者に疑問を抱いた家族が、本人がそういう場合にだけ使用を許可していた合鍵で開けたら――」
「死んでおったか」隣に並んだアラディアが先を紡ぐ。「自殺か家族が怪しまれるところかのう」
「自死や他殺の形跡はもちろん、事件性はない。これがなきゃね」
香奈々はパソコン横のマウスを小突く。すると消費電力を抑えるために暗転していた画面に光が灯った。
表示されたのはエロサイトだった。
「おい!!」
二人の女性の後ろで緊張しつつも様子を窺っていた敬雅は、慌てて飛び退いた。
「ナニしてんだよ!」真後ろの壁まで後退して両手で顔を隠しつつ、指の隙間からちらちら覗きながら抗議する。「んなもん映すんなら、事前に警告するなりしてくれ!!」
二人の女性は平然と、いやむしろ呆れたように振り返って敬雅を観察した。
「なによ今時、ウブな少年ね」肩を落として香奈々がほざく。「発見当時ガイシャが閲覧してたサイトを映しただけじゃないの。高校生ともなれば、こんなもの覗いたことあるでしょ?」
「あんたが言うな! こないだ、条例違反がどうのって脅した警官だろうが!!」
「変なことを意識するのう」アラディアも冷静に言う。「わしらとこういうものを拝見するとよからぬ感情でも湧くんじゃないかと逆に疑うぞ。問題はこの一点だよ」
魔女はパソコンのモニターを指差し、空いた手で男子高校生を招く。
こんな反応をされては敬雅も迂闊な態度ではいられない。咳払いをしてどうにか心を落ち着け、もう一度二人と一緒に画面へ注目する。
アラディアが示していたのは、エロ動画のすぐ下に表示されているバナー広告だった。――別のエロサイトの。
「やっぱエロじゃねーか!」
今回はどうにか一歩退くに留めたが、さすがに怒鳴る敬雅。もっとも、二人の女性はまたもや平静だ。
アラディアは付言する。
「落ち着け。どこかがおかしかろう」
この状況自体がおかしいが。促された男子高校生は、疑いながらも三度確認してみる。
バナーはやっぱりエロサイトだ。
セクシーな巨乳女性が裸で自慰を繰り返すけしからんGIF動画。リンク先の『UF BIGCP♥』とかいうサイト名もそれに合わせて強調されている。〝ウフッ ビッグカップ〟と読むらしく、ルビが振ってあった。たわわな女優を見る限りそういう意味だろう。されど、アラディアは傍らに表示された記号のようなものを指している。
アルファベットを組み合わせた紋章じみたマークだ。少し悩んで、それがおそらくUFBIGCPの文字を組み合わせたものだと気付く。
「これはシジル魔術だよ」
「シジル?」
魔女の発した聞きなれない単語を、敬雅は反復する。
「ある願いを英文で作り、重複する文字を除外して、残ったアルファベットを組み合わせたものよ」答えたのは香奈々だった。「現代でも特に意識されず、いろんなメーカーのロゴマークとかで使われてるわね」
「んなことで願望が叶うのか?」敬雅はさっそく、シジルとやらの効能に疑問を呈する。「だいたい、なんで広告に載ってんだよ」
「無論、効果をもたらすには通常相応のやり方がある」即座にアラディアは回答した。「シジルを強く意識してから消えていく様をイメージし、あとは忘れるとかな」
聞けば、GIF動画はそいつを再現しているようでもあった。広告の他の部分に紛れて、シジルとやらが出現と消失を単純に繰り返している。
さらに問うてきた。
「君は〝セイ〟魔術を知っておるか?」
「セ、セイ? どのセイ? 聖? まさか……」
唐突な単語に、男子高校生はまた混乱する。
アラディアは即答した。
「セックスの〝性〟だよ」
「直球!」
反射的にツッコむ敬雅だった。同級生は例によって意に介さず、平然と続ける。
「アレイスター・クロウリーの性魔術が有名かね。性交の際の恍惚感を、魔術に応用しようという試みさ。それをシジル魔術の初歩で利用できるんだよ。図形を眺めながら自慰で絶頂にでも達すれば、瞬間的に脳裏へ焼きつくからね」
「当然のようになに話してんだあんた」
もはや恥じるを通り越して、男子高校生は毒づく。ともあれ、解説の内容は呑み込めた。
つまり、このサイトを閲覧しながらナニをした人間が視界の端に移っていたシジルで無意識に効果を受けたというのだろう。
「ようするに、オナ――」
「言わんでいい」
詳しく言及しようとした香奈々の口を、敬雅は手で塞ぐ。はぐらかそうと、別なことを確認した。
「魔術が実在すんなら察しはついたよ。まあ殺人事件の捜査くらいなら協力しても悪くない。で、次はどうすりゃいいんだ?」
問いに香奈々は答える。
「ある程度、調べはついてるわ。このバナー広告から飛べるリンク先のサイト運営会社にガサ入れしたの、刑法一七五条の拡大解釈でね」
警察の裁量次第でどうとでも判断できうる、いわゆる猥褻物関連の法律乱用だ。権力嫌いの不良としてそのくらい知っているので、さっそく敬雅は不機嫌になった。
「結局、
「わしのドイツ出張中にそれなりの仕事はしていたようだが」アラディアが口を挟む。「そやつらの連絡先とやらはどうじゃったんだ?」
「電話番号もメールアドレスもなにもかも消されてたわ。魔術的痕跡も、残念ながらわたしたちでは手に負えなかった」
「そこまでとなると相応の大物だ」溜め息をつき、魔女は愚痴る。「もとよりわしくらいしか相手にできんか」
「ますます気に食わないな!」
割り込んだのは敬雅だ。
「別件捜査だのドイツへ出張だの、どういうことなんだ。やっぱあんたらは隠し事が多すぎる!」
「ドイツ出張に怒るのはわからんな」
いくらかもっともだった。悪法乱用が気に入らずについ感情的に他のことも混ぜてしまった。
とりあえず言い訳する。
「だってホラ。ドイツ旅行とかなんとか、あれだろ。公費乱用とかだろ」
「違うわい」魔女は呆れた。「自腹だ、ドイツは故郷で里帰りだよ」
「そ、そうか」
意気消沈した敬雅だが、香奈々は鋭く突いてくる。
「いいえ、こんなので法の乱用とかぬかす時点で迷惑だわ。わたしにはやっぱり、彼じゃ捜査に支障をきたすとしか思えない」
「んなら、こっちから願い下げだぜ!」
「落ち着け」睨み合う女刑事と男子高校生の間に入って、魔女は諌める。「敬雅は将来の魔法律界に必要な人材だ。とりあえず」
そこで少女はパソコンの画面を顎でしゃくった。件のアダルトサイトが表示されたままだ。
「エロ動画製作会社とやらに行ってみようじゃないか。わしと敬雅がいれば解決の糸口をつかめるかもしれん」
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