第6話 二つ目の試練

 そう思っているのはリアだけではなさそうだった。回廊にいる者は手すりに身を預け、広間にいる胞奇子や調制士も遠巻きにしながら二人に注目していた。


 違いがあるとすれば表情だった。リアのようにクールに観察する者に、諍いを馬鹿にしたような目で眺める者。突如として開催の決まった見物を面白がっている者に、あからさまに喜んだ表情をしている者もいる。共通しているのは心配した様子がないことだった。当然といえば当然だ。求法院を目指した者は、同時に魔族の頂点を目指した者なのだ。試練が降りかかるのが嫌なら最初から参加しなければいい。


 突き放した思いでリアが見ていると下に動きがあった。少年が口を開いた。


「…船が…嵐で遅れて」


「船ぇ?」


 思いもよらない答えだったのか、ドロスが大仰に顔を歪めた。離れた場所のやり取りも密かに相転儀を駆使するリアにはよく聞こえた。


「船が何だってんだよ?」


 聞き返す声はボリュームが下がっているにもかかわらず場を渡った。広間は静まり返っていた。


「…ジャーライルからゼーナゴアまで行って、そこからギデルに渡る船に乗ったんだけど、嵐のせいで五日も足止めされたんだ。遅れたのはそのせいだよ」


 少年のか細い声も細工をしたリアにははっきりと聞こえた。


 ジャーライルはゼーナゴアの近くに位置する小さな島の集まりだ。どうやら少年はそこの出身らしい。最初に見た時の印象は間違っていなかったようだ。


 でも、あの子の言う通りだとすると、とんでもない能力の持ち主ってことになるんだけど…。


 少年を眺めながらリアが思案しているとドロスが同じ疑問を口にした。


「何言ってやがんだ! 五日も足止めされただあ? それが本当なら、てめえは森の前も含めて一日で抜けたことになるじゃねえか。あの森はそんな生易しいモンじゃねえんだよ!」


 ドロスが指を伸ばした手を突き出しながら威嚇した。


 言い分は正当だった。確かに求法院を取り巻く森は試練に相応しい難所だ。通り抜けるだけでも命が危うい。自身の言葉を証明するかのように、むき出しになったドロスの腕や脚、胸にも無数の傷があった。服もボロボロだ。傷跡が派手に残っているのは、相転儀の治療を受ける前に固着してしまったためだろう。中には大きく抉れている傷もいくつかあった。森に巣食う巨大獣との格闘の跡かもしれなかった。


 …もっとも、動作が鈍重で逃げられなかっただけかもしれないけど。


 リアは思った。


 危機とは何も正面から立ち向かうばかりが能ではない。身に迫る危険をかわしたり、予測や慎重さによって危機との遭遇自体を回避することも立派な対処の仕方だ。戦い方にはいくつもの答えがあり、正解は結果によって示される。ドロスの言い分は一つの回答を提示しているに過ぎなかった。


 観衆に取り巻かれた二人の言い合いはさらに続いた。


「大体、てめえがギリギリに着いたモンだから、男が一人余っちまうじゃねえか! どうすんだ、あ!?」


 ドロスの主張が核心に触れたようだった。あぶれるのを危ぶんでいるのだ。


 森の試練に挑む男性種は多数に及ぶ。対して求法院に待機する調制士は三十人。経験則で導き出された数字なので少なくなる場合もあれば多くなる場合もある。今回は一人多くなってしまったが、期限内に辿り着いた以上は少年も到達者だ。こちらの主張は難癖以外の何物でもなかった。


 よく言うわ。


 リアは呆れ顔になった。


 ドロスの到着自体遅かったのだ。少年が来なければ最終の到達者はドロスだった。場合によっては立場は逆転していたかもしれない。実際、服が間に合わず、いまだに帯姿のままだ。


 調制士や胞奇子が着る制服は相転儀で作る。各々の体形に合わせて作成するので身体によく馴染む。リアの制服も配給された時から違和感なく着用できた。ただ、昨日到着しているドロスが今も私服の理由は不明だ。製作自体はさほど時間はかからないから到着の遅さ以外の何か別の理由があるのだろう。


 …まあ、焦るのも理解できるけどね。


 調制士は胞奇子を理屈のみで選ぶわけではない。人としての相性という意味では好みの影響も受ける。いくら凶悪さを自認する魔族だとてあまりに粗暴だと敬遠する調制士もいるだろう。リアもその口だった。


 あいつと組むぐらいなら、他のどんな男性種でも受け入れる。


 心の中で断言した。


 最終日となり、パートナーの決まっていない調制士はさほど多くない。調制士の獲得は事実上、二つめの試練であり、時間が経過するほど困難になる。胞奇子同士の諍いも起こるべくして起こっていた。

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