第一章

第2話 三十一人目

     

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 あれは…。


 大広間を見下ろす回廊にいたリーゼリア・バザムは、一つの人影に気づいた。


 求法院には舞踏会を開けるほどの大広間があり、回廊は大広間を取り囲むようにして頭上高く設けられていた。天窓のあるドーム状の天井はさらなる高みにある壮大な造りだ。広間と回廊は磨きぬかれた石の床で、広間には直線と曲線が絡み合った紋様が全体に描かれていた。並ぶ窓にも典雅な装飾がある。回廊を縁取る手すりも同様の装飾を施してあり、大きなスリットのある形式のために下の広間を見通すことができた。回廊の手すり近くにはいくつかの小ぶりのテーブルと対面で対になった椅子が置いてあった。リーゼリアは、その一つに座って朝食の後の時間を過ごしていたところだった。


 人影は大広間の正面に複数ある入口の一つから入ってきた。広間と回廊には他にも朝のひと時を過ごす人間たちの姿があり、人影は注目を一身に集めることとなった。漂っていたひそやかなざわめきが消える。戸惑うように視線を落とした人影は扉を閉めても入口から離れようとはしなかった。遠慮げに広間の様子や壁際にいる人間たちを窺っている。


 人影は一人の少年だった。歳は同じぐらいなのに女性種のリーゼリアよりも背は低い。小柄な体にフードのついた革のジャケットを着て、腰にはジャケットを押さえつけるようにバックルのついたベルトをはめている。土色のボトムに同色の靴を履き、胸元で口紐のある布袋を両手で抱えていた。服は着古し、他のどのアイテムも使い込んで傷んでいる上にひどく汚れている。求法院へたどり着くための過酷な旅の果ての姿だった。取り分け人目を引いたのは帯だ。ベルトの上からそこだけ鮮やかに緋色の帯を締めていた。緋色の帯は胞奇子の身分を証明する臨時の装いだ。求法院に到着して間もない胞奇子はみな、一時的に身につける。


 胞奇子とは森の試練に挑み、定められた期限の間に求法院に行き着いた者だ。到達者と呼ばれることもある。正式に胞奇子を名乗るためには、ある条件を満たす必要があったが、求法院にたどり着いた者は胞奇子と同等の扱いを受ける。汚れ傷んだ衣服が少年の素性を雄弁に物語っていた。


 …あれが、最後の到達者。三十一人目か。


 リーゼリアは頭をもたげた関心のままに少年を眺めた。

 体と同様に小さな頭を包む髪の毛は栗色だ。額はばらけた前髪で隠されてわずかにのぞく程度だった。黄色種の肌は東方の出自を想像させた。


 ケシャフかゼーナゴアあたりだろうか?


 求法院のある中央大陸ギデルの東には多数の島が存在する。思い浮かべた二つの島は比較的大きく、住人には黄色種が多い。少年のまとう衣服も海辺の住民を思わせた。頭から被るタイプのジャケットは自然に囲まれた生活に適している。


 今日は魔界の王を選出するための『王選び』、別名『血の一年』に属する日だった。正確には魔王の後継者たり得る者を選ぶための期間の内、最初の七日間の最終日に当たる。魔王の座を望む若き魔族は、求法院を取り巻く奥深い森を七日という期限の間に自らの力のみを頼りに踏破しなくてはならない。森はギデルの過半を覆い、内部は獰猛な鳥獣、毒虫、人さえも糧とする食肉植物たちの巣だ。その剣呑な森を制覇してみせることが胞奇子となるための最初の試練だった。昨日の到達者は二名。初日から数えてきっかり三十人だった。決められているわけでもないのに不思議とこの辺りの数字に落ち着くのが『王選び』の恒例だ。森を抜く者は日をかけずに抜け、手間取るような者は大抵脱落するために時間が経過するほど到達者は少なくなる。最終日の今日、求法院にたどり着いた者がいるという噂は、朝早くから求法院の内部を駆け巡り、胞奇子と調制士たちの耳にも届いていた。リーゼリアでなくとも関心を持つのは当然だった。


 調制士は胞奇子のパートナーとなるべく選出された存在であり、全員が十代の女性種だった。リーゼリアも求法院で待機する三十名の調制士の一人だ。調制士は各地の有力者による推薦や王宮のスカウトによって選抜される。どのような経緯であっても幾重ものチェックを受けるのが習わしなので資質や能力を備えた者のみがなることができた。胞奇子が胞奇子たるためには、自らの能力をさらなる高みへと導く調制士をパートナーとして獲得する必要があった。


 調制士を得た胞奇子は、一年間という定められた訓練の時を求法院で過ごす。持てる魔力を磨き上げ、最終試練に挑むためだ。魔族は魔力の探求や練磨を調制と呼んでいた。

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