ぼんじりと毒



我々人間は様々な毒を食い生きている。

我々人間は何者かを食い生きている。

我々人間は偏りを産む。

我々人間は生きている。


僕が今から語る言葉全てには意味があり、

無意味な文言は書かない。

つまり、この言葉が全てで有る。


人間はモノを食い生く上で、偏った見方や、味方を受け入れ、受けいられてしまう。

其れは詰まらずとも、身体に悪い。


太ったり痩せたりする。


毒を食らうとしてバランス良く、肉野菜主食をとるとする。これはまだ身体への負担は少ないと良く知っているはず。さぁ肉を食べましょう。タンに始まりバラ、ロース、ハツ、レバー、ぼんじり、ぼんじり、ぼんじり。

より身体にくる。ぼんじりは旨い。

何も考えずにぼんじりばかり食う馬鹿になってはならない。塩でもタレでもレモンでも旨いがぼんじりばかり食うなと言いたい。

葱鮪の旨さを知らぬまま死ぬ事になる身体。

損なのは僕は許せないし許したくない。

舌が慣れた時他の味覚が死ぬ。

葱の間に鮪を挟んで食べている筈なのに、

求める先はぼんじり。ぼんじり。

ニンニクも旨い大概美味い。

あれも毒だ、独断で毒と判断する。

実際刺激物だからどくだ。

レモンも毒。酸は行き過ぎると身体が溶ける。脳も溶ける。何もしなくても蕩けて行くのにもっと早く蕩ける。


ただ、ぼんじりをタレだけで食べる愚行を許せない。肥るし負取る。


感性が死ぬ。

今の僕みたいに。

何にも胡麻油をかけるな

何にもニンニクを入れるな…


みりん酒醤油を1:1:1の配合で豚バラを煮詰めろ。僕はそう言いたい。


人を褒めて、人に与えて、人に優しくする事は僕には毒なのだ。毒でしかないのだ。と言うより飢餓なのだ。飢え飢えの腹ペコマンなのだ。何も食わないのは毒なのだ。

角が立つとか、言い憚れるとか、いちいちそんなことを考えるのは馬鹿馬鹿しいし、糞食らえだ。ただ糞には手を伸ばす程なりふり構ってられない訳ではないのだ。腹が減ったとまだ口に出来る位のぺこぺこなのだ。


本当に毒ばっか食ってる奴らの気がしれない、自分の気がしれない。自分の気が知れてる奴はこんな文章は書かないし、気がしれないからこそこんな事をしているのだ。


あぁ、ぼんじりの口になってきた。


あと、インスタントコーヒーは水で溶いてから80℃くらいのお湯を注ぐと泥水から飲める泥水になる。味のある泥水は100円。

コーヒーは800円からだ。

それか自分でドリップをしてください。

沸騰直後のお湯を注ぐな。

殴るぞ、絶対に許さない。

ドリップ用のポッドに移したうえで、

80℃までは下げてからお湯を注いで下さい。

インスタントコーヒーでも同じ

本当に…

火傷するし、すぐ酸化するし、雑味に毒された泥水になる…


あっ………


あー………

もうだめかも知れない

あー


お休みの時間のようです。

ps

檸檬は檸檬と名付けられている

つまり

彼にとっての檸檬とは檸檬と名付けられた

檸檬そのものなのだと僕は気付きました。

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