日記

荼八 十吾

日記

僕は僕でしかない

それを前提にここからの

言葉を受け止めてくださいませ


今から記す文章は

文学としては成り立たず

唯の日記とします


ただ僕は愛されたいだけなのです。心からそう思うのです。天邪鬼で好奇心旺盛が行き過ぎた結果毎度の事ながらに、僕はその好機を棒に振るっては悔やみ、命を絶とうとしては心の中の良心や枷に食い止められてしまう、優柔不断で愚かな人間味のある人間なのです。


好奇心とは、僕の厄介さの要因のひとつで巷では多動的と言われ、場合によっては病気と診断されることもあるでしょうが僕はそれ、つまりは好奇心に身体を支配された後我に帰る時に、また間違いを冒したとこれまた後悔をするのです。つまり、心が乖離してしまっているのです。本当のお医者様に診断を受けている方がこの日記を閲覧した時に不快になるかも知れないと、不安になりますが今回ばかりは許して頂きたい。そして、今回それを許せない方は僕の今後の日記を閲覧しないことをお勧めいたします。


心の乖離現象、これは僕のもうひとつの人間性で僕の日記達によく登場しているメリーと呼んでいる奴の仕業と言うことなのです。奴の正体をつにい僕は見つけあげました。その正体とは、超自我と呼ばれる、人間における心の形の1種なのです。


超自我とは、なんぞやとなる方も少なくは無いと思いますので軽く説明いたしますと、本来の自分自身詰まりは、自我。そして、人間以前に動物である故の衝動、これは本能と呼ばれます。それ等が思春期を迎え、理想や掟を独自に確立しそして成長する事によって形を成すものなのです。その、超自我と言うのは本当に人それぞれに形が違うもので、かつ、心と言う目に見えぬモノだからこそ不可解かつ面白味のあることなのです。それが私の場合、好奇心、自分への批難、この様な日記等の創作へと繋がるのです。


ここで先の話に戻るのですが、私は愛されたいのです。

この様な乖離現象や、様々なストレスから来る自殺願望や生きたいと願う気持ちをフラットにいや、この場合は少しでも紛らわすことが出来れば私は万々歳なのかも知れません。一人称が相変わらず安定しませんが其れもこれも、メリーこと私であり、僕の中の心の1部なのです。これもまるっと含めて愛されたい。いや、理解されたい気持ちなのです。一般的な承認欲求と言うもの、まずもって一般的と言う言葉が私の中では破綻しているのですが、私は唯愛されたいのです。今迄僕のことを気にかけてくれていた人達には酷い言葉となりますが、まだまだ足りません。もっと愛されたいです。僕が一緒に死にたいと言ったら本当に死んでもいいと言ってくれなくては、嘘でも構いません。嘘はもう結構ですが、いっそその嘘さえも後悔するくらいに幸せに死にたいのです。こんなことなら、こんなことになる位ならば楽に成りたいのです。こうやって日記元い遺書めいた生きた印を残さないといけない位に僕は今生きることに渇望を抱きまた乖離した自分らしさに苦しみ、愛を乞うのです。


これが今の私であり、今の僕なわけです。日記作家として売れることなんてあるはずは無いですが、あって欲しいですとももちろん。僕はしばらくはこの苦痛に耐え忍びたいと思います。そろそろ、夜も深いので床につきます。とは言っても今日は休日だったので、惰眠に耽ていたの脳味噌を無理にでも寝かしつけ無くてはいけません。そんな、ことしなくてもいい心に育った人達を羨ましくとも、つまらない人間だなと思いながら世の中に毒を撒いて夢見で悪夢に追い詰められてきます。それでは皆様おやすみなさいませ。


荼八 十吾

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