元カノの結婚式へ行ったらまったくの別人だった話

白夏緑自

第1話

 うだつの上がらないサラリーマンになるなんて、想像もしていなかった。


 小学校では、ドッジボールが強くなれずに野球選手になる夢を諦めた。


 中学校では、クラスの人気者になることを諦めた。


 高校では、人並みに勉強ができる頭を諦めた。


 大学では、小説家になる夢を諦めて、ネクタイを締めて漠然とした理由で心から望んじゃいない志望企業へ足繁く通って、望んじゃいない内定を手に入れた。


 そして、上京してロクに仕事ができない現実を喉元まで押し込んでは度数が強いだけの酒で流し込んでいる日々。


 それでも、文章で飯を食うことは諦めきれずウケもしない小説をネットの端っこに垂れ流している。


 誇れることなど、なにもない。


 リモートワークの波に乗り切れなかった可哀そうな大人たちと一緒に、オトナになり切れない俺は想像していたより空いている電車に揺られて昨日の寄せ集めみたいな今日を生きている。


 どこで間違えたのか。

 そう言えるのは、持てる者の贅沢な悩みだ。


 何も持っていない人間は、一般人生のレールに乗ることが精いっぱいだ。


 誰もができることが、俺にはできない。


 誰もが出来る書類作成。


 誰もが出来る、他愛もない会話。そこからの商談。受注。


 何もかもが上手くいかない。


 思えば、小説を書いているのも、俺が何もできないと知ってからだ。


 運動は良くて人並み。


 絵は下手くそ。


 プレゼン資料で浮き彫りになる、センスの欠乏。


 でも、文字なら誰だって書ける。


 PCで打ち込めば、誰もが読めるだけの文章が出来上がる。


 所詮はその程度。


 文字の羅列は猫だって打ち込めるし、幾星霜をつぎ込めばシェイクスピアをも超え

る悲劇も、チャップリンが主演を名乗り上げるほどの喜劇も完成させるだろう。


 いや、猫はキーボードの上で転がっているだけで人気者になれる。顔も良くない、ただの男が汚い指を動かしているのとは訳が違う。


 誇れるはずだった独創性も、世間を見渡せば下の上。


 特別など、この俺のどこにもない。


 すり減っていく自尊心。二十一世紀。誰も、俺を怒鳴ったりしない。だけど、怒鳴ってくれたほうがまだ気が楽だ。生暖かい優しさが身体を包んで、家に帰るころにはジャケットが鉛の重さになっている。


 ため息を吐き出しても、心は軽くなったりしない。


 死にたいの呟きも冗談のように聞こえなくなって口から出なくなった。


 どうぞ、と言われてもたぶん死ねないから。


 そんな度胸、俺は持ち合わせていない。口だけの男だと思われたくないから、言いたくなかった。あいつは口だけ。できる、と宣言したこともできない。ただでさえ役立たずなのに、それでいて自分の生死すらまともにコントロールできないなんて。


 うだつの上がらないサラリーマン。情けない。シャカリキになる気概もない。


 目の前に楽に死ねる薬があれば、喜んで手を伸ばすだろう。


 そう、楽に死ねる薬があれば。


 曇天の色した生活。


 三日ぶりに開けたポスト。

 宅配ピザと宗教の勧誘に混ざって、小綺麗な封筒が投かんされていた。


 宛先は、俺。


 送り主は、大宮。


 聞いた覚えのある苗字だ。


 一つの苗字に、二人の名前がある。

 男女の名前。


 男の方は、辛うじて覚えている。忘れられなかった方が正しい。アップデートされない日々では、上書きできなかった。


 女の方は、


「うわ、結婚したのか」


 元カノの名前だった。

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