珈琲のある風景

鱗卯木 ヤイチ

珈琲のある風景

 子供の頃の記憶に父が時折淹れていた特別な珈琲がある。

 父は休日の朝、よく珈琲を淹れていた。父がコーヒーメーカーのスイッチをいれると、褐色の液体がひとつ、またひとつとコーヒーポットの底を打つ。子供だった私は飽きもせず、その様子を眺めていたものだった。

しかし時折、父はそうやって淹れた珈琲にもうひと手間加えていた。

その珈琲が出てくるのは決まって夜で、しかもケーキが出てくる特別な夜だった。

父はいつもより小さなカップに珈琲を淹れ、その上にスプーンを載せる。さらにそのスプーンの上に角砂糖を置くと、琥珀色した洋酒を数滴、角砂糖に垂らした。最後にマッチに火をつけると、角砂糖に点火した。青い炎が角砂糖を包み、スプーンの上で揺らめく。ほのかに香る洋酒の匂いが鼻腔をくすぐった。夢のような光景に私は目を輝かせ、その珈琲をせがむ。父も母も微笑みながら、まだ早いよと、私の要求を退ける。私は不平を漏らしながらも、父と母の幸せそうな表情を見ると、それ以上何も言う事が出来なかった。

 あれから時は経ち、私は二人の子供を持つ歳になっていた。

 この日、夕食の後にそれほど大きくないケーキを家族で食べた。その後、私はコーヒーメーカーで珈琲を淹れ、それをデミタスカップに注ぐ。カップの上には角砂糖を載せたスプーンがひとつ。角砂糖にブランデーを垂らし、火を灯した。スプーンの上で踊る青い炎に子供達が歓声を上げた。

カフェロワイヤル。それがこの珈琲の名前。昔、父がそうしたように、私も妻との結婚記念日にこの珈琲を淹れる。子供達は欲しいとねだるが、私はもちろんこう言う。君達にはまだ早いよ、と。

 妻の顔を見ると、あの時の母と同じ表情をしている。私はどうだろう? 残念ながら自分の表情を見ることは出来ない。仕方がない。子供達が成長し、このカフェロワイヤルを淹れる時が来たらその顔を見てみよう。きっとその表情が、今の私の表情だろうから。

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珈琲のある風景 鱗卯木 ヤイチ @batabata2021

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