調子に乗った結果
城門の手前数メートルの地点から、ホニーの師匠田所氏が声を上げる。
「と、とにかく、私を城門の上に登らせてもらえないだろうか? 梯子があるなら下ろして欲しい——」
「カイセイ! 風魔法!」
田所氏の言葉を最後まで聞くことなく、慌てた様子でホニーが叫んだ。
「おう、任せろ!」
状況がよくわからないが、とにかく俺も叫ぶ。
「……本当にいいんスか?」
心配顔のパイセンがつぶやく。
「……………………」
セバスーさんの眉間にシワがよる。
「チッ!」
ホノーノさんなんて、あからさまに嫌そうな顔してるし。
田所さんって、ホニー以外の人には好かれて…… いないんだろうな。
なにせ、ヒトスジー前伯爵からホニーに対する家庭教師代をもらうや否や、一目散にヒトスジー領から逃げ出したそうだから。
でもホニーの勢いに押されて、もう風魔法を使って城門の上にあげちゃったから、後はホニーに任せることにしよう。
うん、それがいい。
だって、セバスーさんが怖いんですもの……
風魔法によって、城門の上までその身を引き上げられた田所氏。
ここまで全力で走って来たのだろうか、肩を揺らして大きく息を吸っている。
そんな田所氏の元へズンズンと近づいて行くホニー。
「師匠、久しぶりネ! ずっと会いたかったんだから!」
ホニーの言葉を聞き、少し安心したような表情で田所氏は応える。
「ああ、私も会いたかったよ、『チョリー』!」
え? なに言ってんだ、この人?
「チョット! 誰が『チョリい』のヨ! た、確かにアイシューから、『あなたは褒められると直ぐにコロッと機嫌を直すんだから…… まったくチョロい性格ね』って言われるけど…… でも、久しぶりに会ったのに、あまりの言い草じゃないのヨ!」
「ちょっと待て、ホニー」
慌てて俺はホニーを制止する。
よく思い出して欲しい。
ホニーがパイセンから、日本で言うところの『二ヶ国語同時放送』的なスキルをもらったのは、田所氏が失踪した後のことだ。
ホニーと出会っていた当時から、田所氏の自動翻訳機能はホニーのチョロい性格を看破して、『チョリー』という翻訳を割り当てていたのだろう。
だが、まだスキルを有していなかった当時のホニーには、『チョリー』という言葉がこの世界の言葉に変換されて聞こえていたため、不快感を感じることがなかったって訳だ。
そういったことを、俺はホニーの耳元で小声で説明した。
「ぐぐぐ…… ちょっと複雑な気分だけどまあいいワ。でも今日からは、カイセイんとこの自動翻訳機能さんを尊重して、アタシのことは『ホニー』って呼んでネ」
「『自動翻訳機能さん』という方にお会いしたことはないんだけれど…… まあいい、それではえっと…… 『ホニー』、久しぶりだね」
「ええ! また会えて嬉しいワ!」
満面の笑みを浮かべたホニーはそう言いながら、自分の両手で田所氏の手の甲を包み込んだ。
しかし…… ホニーのヤツ、そんなにこの男を信用して大丈夫なのか?
いきなり懐に隠していた刃物でブスリ! なんてことにはならないだろうな?
そう思ったのは俺だけではないようで、
「私もまたお会いできて嬉しいですよ、タドコロさん」
と言いながら、セバスーさんがホニーと田所氏に近づいた。
疲労困憊の田所氏は、ホニー以外の人々の様子をうかがう余裕はなかったのだろう。
初めてセバスー氏の存在に気づいた田所氏は驚きの表情を浮かべ、そして…… それは恐怖の表情へと変化した。
「あああ、あなたは! 『ヤバシー』さん!!!」
どうやらセバスーさんの名前は、『ヤバシー』と翻訳されていたようだが……
数ヶ月前、俺は田所氏が5年前(56歳当時)に書いた手紙を読んだ。
手紙の中には、きっと『チョリー』とか『ヤバシー』とかいうネーミングで、ホニーたちの氏名が記載されていたんだろうけど、正直言ってよく覚えていない。
俺がとてもよく覚えていること。
それは田所氏がセバスーさんを極度に恐れていたことだ。
なんといっても、セバスーさんは盗賊団の元首領だからな。
田所氏ってばきっと今頃、オシッコちびりそうなんだろう。
それから、どうでもいいけど田所氏の自動翻訳機能って、『チョリー』とか『ヤバシー』とか、ちょっと翻訳が雑じゃないか?
俺のそんな気持ちを感じ取ったのか、俺の隣にやって来たパイセンが小声でつぶやいた。
「自動翻訳機能は、ちょっとずつ改良してるんスよ。だから5年ほど前にこの世界に来たこの人の自動翻訳機能は、ちょっとバージョンが古いんス」
唇を少し尖らせながら、言い訳っぽいことを口にするパイセン。
そう言えば、自動翻訳機能を作ったのはパイセンだったな。
気を取り直したようにパイセンはニヤリと笑い、
「心配しなくても、カイセイ氏の自動翻訳機能は更にバージョンアップさせるっスから」
なんてことを言うんだけど……
「止めてくれよ。最近、自動翻訳機能さんの翻訳が、クイズみたいになってるじゃないか…… 俺、ニューヨークになんて行きたくないからな」
「……カイセイ氏は本当にオッサンっスね」
なに言ってやがる。
アメリカ横断ウルトラクイズのネタがわかるお前だって、十分オバハンじゃねえか。
おっと、俺がパイセンとどうでもいい密談をしている間に、どうやらセバスーさんをはじめとしたヒトスジー軍の人たちとも、田所氏はそれなりに旧交を温めているようだ。
いや、ヒドいことをされなくて、ホッとしているといったところかな。
そんな田所氏に冷たい視線を向けながら、パイセンが若干イライラした様子で語り出した。
「お取り込み中のところ悪いんスけど、アンタのせいで敗走中のヒガシノ国軍の足が止まったみたいっスよ。責任取ってもらえるんスよね?」
あっ、本当だ。俺たちに背を向けて逃げ出していた敵軍の兵士たちが、足を止めて俺たちがいる城門の上を眺めているじゃないか。
おそらくみんな、田所氏を注視しているのだろう。
「誰だね君は? 初対面の人間に対してちょっと失礼じゃないか?」
ヒトスジー軍の人々からヒドい仕打ちをされなかったため、おそらく安心したのだと思われる田所氏が、調子コイたことを言い放った。
パイセンが田所氏に近づき、彼の耳元で何やらコソコソとつぶやくと……
「ヒ、ヒィィィ!!! それだけは…… それだけは言わないで下さい!!!」
腰を抜かしながら哀願する田所氏。
まったく…… パイセンのヤツは、いったいどんな秘密を握ってるんだか。
天界から下界を眺めていたのは、他人のプライバシーを覗くためだったんじゃないかと疑いたくなってくるよ。
お前の方が、よっぽど鬼畜だと言ってやりたい気分だ。
でもそんなことを言ったら、俺もいろいろと秘密をバラされそうなので黙っておくことにした。
よし、これからもパイセンさんとは仲良くして行くことにしよう。
それにしても、田所氏に対するパイセンの態度がちょっと冷たすぎるような気がする。
俺は少し心配になり、さめざめと泣いている田所氏と、その様子を冷めた目で見つめているパイセンに近づき、
「なあ、パイセン。お前は田所氏が嫌いなのか?」
と、そっとパイセンに耳打ちする。
「当たり前っス。いいっスか? 高齢のコイツが戦闘に巻き込まれないようにという配慮から、女神様は『隠蔽』っていうユニークスキルを与えられたのに……」
「『隠蔽』っていうのは、自分の身を隠すようなスキルなのか?」
「ええ、自分の体を透明化出来るスキルっスよ。せっかくの女神様の温情を踏みにじり、コイツは……」
「ま、まさか(ゴクリ)。ひょっとして、お前が握っている秘密っていうのは……」
「そう、コイツは…… 女風呂を覗きやがったんだ」
「……
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