ニシノ国とマエノー様 編

帰って来たマエノー様

今話以降しばらくは、マエノー様の視点で物語が進みます。


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 ウチの名前は前野まえのひびき

 日本から来た転生者で、この世界ではマエノー様と呼ばれていたわ。


 今、ウチは大天界のおエライさん達からの業務命令を受け、仕方なく、本当に嫌々ながらニシノ国へ向け大空を飛んでいるところよ。


 ウチはテラの前の女神だったんだけど……

 いろいろやらかしちゃって、今では『女神』から『女神の使徒』に降格させられたうえ、他の世界へと人事異動させられちゃったのよね。

 今では異動先の世界で、性格キツめの女神様に甲斐甲斐しくお仕えする毎日よ。まったく、ヤレヤレだわ。


 それなのに、またこの世界に戻って来ることになるだなんて……

 こんなことになったのは、ウチがまた何かやらかしたからではない。

 ウチが悪い訳では決してない。


 こんな事態になったのは——


「すべて、羽伊勢はいせのヤツのせいだろうが……」

 おっと、思わず恨みの言葉が口から溢れてしまったわ。



「ねえ、アイシュー。あの人今、『歯医者のおやつは正露丸だ』って言わなかった?」


「もう、ホニーったら、いつものごとく何を言ってるのかサッパリわからないけど、いくら臨時の女神の使徒様だからって、ホニーが期待しているような面白おかしいことなんて、おっしゃるはずないじゃない」


 ウチの後ろをチョロチョロと飛んでいる赤髪と青髪のガキンチョ二人が、なにやら面白くもおかしくもないことを言ってるんだけど……

 おっと、赤髪の方がまた何か言うようだ。


「そうよね。歯が痛いときは正露丸を歯に詰めておけば治るって聞いたことあるけど、いくら歯医者さんだって、お菓子感覚で正露丸なんて食べないわよネ。ねえ臨時使徒のあなた、もし歯が痛いのなら、ちゃんと歯医者さんに診てもらった方がいいわヨ」

 ……ナニイッテンダロ、コイツ?


 それにしても、なによ、ウチが作り出した上昇気流に乗せてやってるのに、随分好き勝手なこと言ってくれちゃって。


 実はこれもまた業務命令で、今回の任務には日本から来た転生者がリーダーを務めるパーティを同行させろって言われたのよね。だから仕方なく、この二人の小生意気なガキンチョを連れて来たんだけどけど…… 肝心のリーダーが不在ってどういうことよ!


 なんでもリーダーのおっさんは、今、羽伊勢と一緒に日本にいるって言うじゃない。

 この世界って、そんな簡単に日本に遊びに行けるようなお気楽システムにチェンジしたの?

 まったく…… 今代女神のテラはいったい何を考えてるのかしら。


 ついでに言うと、もう一人いた獣人族のガキンチョは、これからお昼寝の時間だから一緒に行けないなんて言い出すし……

 まったく! なんでウチが、こんなガキどもに振り回されなきゃならないのさ!


 ああもう、なんだかイライラしてきたわ。ここははっきりとこのガキンチョどもに、大人の威厳というものを見せてやろうじゃないの。

 これでもウチは、日本にいた頃はソフトボール部に所属するバリバリの体育会系女子だったんだからね。フッ、チームメイトだった羽伊勢のヤツも、ウチが本気で怒ったらそりゃもうビビりまくっていた…… ような気がするわ。


 ま、まあ、昔の話はこれぐらいにして。

 それじゃあいっちょ、このナメたガキどもに、ウチの気合の入った喝を入れてやろうじゃないの!


「おい、ガキンチョども、よく聞きな! ウチはパートタイマーでも臨時職員でもないんだよ! れっきとした女神の使徒だ! 羽伊勢はいせのヤツが…… そうか、アンタらには確か『パイセン』って名乗ってたんだっけ。そのパイセンのヤツが有給休暇なんて使うもんだから、アイツが留守の間だけ、ウチがこの世界に来ることになったんだよ!」

 クソッ、なんでこの世界で女神として君臨していたウチが、羽伊勢の穴埋め要員として働かなきゃならないのさ。まったく、羽伊勢は高校時代から勝手気ままなヤツだったんだよ。


「それから、赤い髪のクソガキ。アンタ今、日本語で『正露丸』って言ったよね。なんで正露丸なんて知ってんのさ!?」


「へぇ…… 流石は女神の使徒サマだけあって、日本のことも少しは知っているようネ。きっとパイセンから、とても素晴らしい日本文化のお話でも拝聴したんでしょう。でも、残念。アタシは日本文化マスターだから、アタシの方が圧倒的に日本文化への造詣ぞうけいが深いのヨ!」


「…………え?」


「いいわ、アタシの日本の知識の一部を披露してあげるワ。あのね、正露丸は日露戦争の時に陸海軍に配布された薬なの。だから当時は正露丸じゃなくて、えっと…… 『行にんべん』の方の『征』の字を使って——」


 なんだこの娘?

 この子は確か日本からの転生者じゃなかったはずだけど?

 それなのに、なんで『行にんべん』なんて言葉を知ってるの?

 そもそも『ぎょうにんべん』なんて言葉を聞くの、小学生以来じゃないかしら?


「と言っても、あなたは『行にんべん』なんて知らないわよネ——」

 赤髪のガキはウチの様子など御構いなしで喋り続ける。


「——いい? 『行にんべん』って言うのは『ギョウちゅう確認かくにん便器べんき』の略でもあるのヨ!」


「……………………え?」

 そんなすごい便器、日本で見たことないんですけど……


「もう、ホニーたら! それはパイセンさんが面白がってホニーを騙してるだけだって、カイセイさんが言ってたでしょ! 私にはその言葉の意味はわからいけど、下品だから二度と口にするなってカイセイさんに怒られてたじゃない!」


「うっさいわネ! アタシは今、この女神の使徒サマに日本文化の素晴らしさを伝えてるんだから、アンタは黙ってなさいヨ!」

 赤髪のガキが顔を真っ赤にしながら力説してるんだけど……

 ギョウ虫を発見できる便器って、そんなに素晴らしいのか?


 ダメだ! この頭のおかしそうな赤髪のガキと話すと、ウチまでおかしくなりそうだ!


「わ、わかった、わかったからもういいわ。えっと…… そっちの青い髪のあなた、わからないことがあったら、なんでも聞いてね。短い期間になるかも知れないけど、仲良くしましょうね」


「その…… もう金輪際こんりんざいホニーと関わりたくない一心いっしんで、私に友誼ゆうぎを求められている気がするのですが…… い、いえ、なんでもありません! わ、私の名前はアイシューと言います。どうぞ宜しくお願い致します!」


「チョット、まだ話は終わってないでショ! 次は日露戦争後に結ばれた、下関条約について説明するんだからネ!」

 確か下関条約が締結されたのは日清戦争で、日露戦争の時はポーツマス条約が結ばれたような気がするけど、ここはツッコんではいけないところね。

 ウチは全力でスルーすることにした。


 それにしても羽伊勢のヤツめ……

 いったい、この世界の人たちに何デタラメなことを教えてるんだか。

 そう言えば、アイツは可愛い顔をしているくせに、昔から小学生が喜びそうなシモネタが大好きだったんだよな。

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