2話 これって異世界転生…なのかな?
その日は、どんよりとした曇り空で、今にも雨が降り出しそうな、そんな空模様であった。
「よぉし、積分については以上だ。次回は不定積分と積分の違いについてだ!予習しとけよ!」
タケシは、いつものように授業を終え、黒板を綺麗に磨き上げる。
それが終わると、黒板消しを持ったまま、"聖なる儀式"へと取り掛かる。
しかし…
勢いよく動き出したクリーナーは、その声を小さくして、止まってしまった。
「なっ?!なん…だと…?」
タケシは驚愕の表情を浮かべる。
その様子を見ていた生徒たちにも、衝撃が走り、ざわつき始めた。
「聖なる儀式が…」
「あれって、やばくない?」
「雪でも降るかな…?」
「バカ!そんなんじゃすまないかもしれないだろ…」
そんな中、1人の女子生徒が駆け寄ってきて、タケシに声をかけた。
お馴染みの斉藤渚である。
「先生!そんな驚く事じゃないでしょ!クリーナーも長年使ってきたんだから、寿命がきたってことよ!デジタルに変えろってお告げかもよ?」
笑いながらそう言ってくる渚の声は、タケシには届かない。
塾講師を始めて10数年。
1日たりとも欠かす事なく、行ってきた"聖なる儀式"。
タケシのルーチンとも言えるその行いは、思いもよらないタイミングで、幕を閉じたのである。
◆
タケシは、教員室の椅子に座って、真っ白になっていた。
「も…燃え尽きちまった…ぜ」
俯き、絶望感を露わにするタケシに、教員仲間は声をかけづらそうにしている。
そんな中、紀子が教員室へ帰ってきた。
「あらら〜?なんか雰囲気がおかしくないですかぁ?」
天然丸出し、笑顔で元気の良い声が、教員室に響き渡る。そんな紀子に対して、教員仲間の1人が視線で合図を送ると、紀子はその視線の先に、真っ白になっているタケシを発見する。
紀子は閃いたように、手のひらでポンと拳を叩くと、タケシの方へと歩み寄って、元気よく声をかけた。
「黒井センセ!生徒に聞きましたよ!クリーナーが動かなかったって。長年続けてきた儀式が、途絶えてしまったんですよね?」
紀子の話にも、タケシは全く反応を示さないが、紀子は構わずはなしをつづける。
「大丈夫です!私が買ってあげますから!新しいクリーナー!」
その瞬間、タケシの表情が輝くように明るくなり、紅潮した顔で紀子へ問いかけた。
「ほっ、ほんとですか?!若林先生が俺に!クリーナーを!?」
「はい!」
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
タケシの問いかけに、天使のような笑顔で肯定する紀子を見て、タケシは仁王立ちでガッツポーズをする。
その様子をこっそり覗いていた生徒たちも、静かにガッツポーズをしている。
「生徒たちが言ってたんです。新しいクリーナーがあれば、立ち直るのになぁって。だから、わたしが買ってあげます!」
相変わらず愛らしい仕草で微笑む紀子に、メロメロのタケシであったが、生徒たちへのサムズアップは忘れていない。
(サンキュー、お前たち!)
生徒たちからのお返しサムズアップを、こっそり受け取っていたタケシに、教員仲間たちが声をかける。
「良かったですねぇ、黒井先生!」
「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたなぁ。」
「黒井先生が立ち直らなかったら、生徒たちもやる気をなくしてしまいますから。」
賛美を受け取るタケシは、恥ずかしそうに頭を掻きつつ、教員室は笑顔でいっぱいになるのであった。
◆
時間は21時を回っていた。
生徒たちの明るい声も止み、教員室の明かりだけが、煌々と外へと漏れ出している。
「じゃあ、黒井先生。私もこれで。」
「お疲れ様でしたぁ!」
教員室から出て行く仲間と挨拶を交わす。
すでに室内にはタケシしかいない。
「今日はなんか疲れたなぁ。」
椅子の上でのけぞって、タケシは天井を見上げた。自然と顔がニヤけてしまう。
「若林先生にクリーナーを買ってもらえるなんて…しかも、明日一緒に買いに行けるなんて…」
あの後、紀子からの提案で、塾が休みである明日に、一緒にクリーナーを選びに行くことになったのだ。
「へへへ…」
思い出すとニヤけが止まらない。
これも全部、生徒たちのおかげだ。今度の授業では、かなりのサービスをしてやらねば。
それにしても…
「へへへへへ…」
締まらない顔で、天井を見上げながら、至福をゆっくりと噛み締めていたタケシの耳に、遠くで物音が聞こえてきた。
「ん?何の音だ?もう誰もいないはずだが…」
椅子から立ち上がり、棚から懐中電灯を取り出して、音のした教室の方へと歩いて行く。
暗闇が拡がる廊下。
「やっぱ、夜の建物ってどこでも一緒だな。不気味。」
そう言いながらも、欠伸をしながら、廊下を進んでいくが、特段変わったところは見当たらない。気のせいかと教員室へ戻ろうとしたタケシの耳に、再び音が聞こえてきた。
キュィィン
この音が何なのか、タケシは一瞬で理解した。
「クリーナー?」
なぜ勝手にクリーナーが動くのだろう。
その疑問も、タケシの中ですぐに解決する。
「たぶん、あの壊れたクリーナーだな?」
そう1人で呟くと、担当する教室へと足を運ぶ。教室の前について、ゆっくりと扉をスライドさせる。
真っ暗な教室。
先ほどまで生徒たちが居たとはおもえないほど、静かさに包まれている。
タケシは懐中電灯で、目的のクリーナーを照らしてみるが、特に変わりはないようだ。
「たまたまかな?とりあえず電源抜いとけば、音はしないだろ。」
そう言って、クリーナーの電源コードをコンセントから外してその場に置く。
「これでひとまずは良しと。」
パンパンと手を叩いて、教壇に置いた懐中電灯を手に取り、タケシは入ってきた入口へと向かおうとしたその時であった。
キュィィンッ
一瞬、タケシの背筋が凍りつく。
(え…?俺、電源抜いたよね?いや、抜いたよ、俺…)
背中に冷たいものを感じながら、振り向けずにいるタケシに、さらに追い討ちをかけるように、
キュィィンッ
キュィィンッ
動くはずのないクリーナーから、音が響き渡る。
「うわぁぁぁぁぁ!」
情けなく、その場に四つん這いになって、必死に逃げようとするタケシだが、後ろからの強烈な吸引力に、前に進めずにいる。
「何なんだヨォ!すっ、吸い込まれぇッるぅ!」
そう叫ぶと、タケシは足から一気に、クリーナーへと引きずり込まれてしまった。
後には残ったのは、タケシがいつも身に付けていたチョーク型のネックレスだけであった。
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