2021年 11月10日 水
まず自分の外に物的世界が存在していると仮定する。それでも尚自分以外の心の存在は不確かである。我々は他人に関して、その振る舞いや身体の構造を観察することは出来ても、経験までは見ることが出来ず、信じることしかできない。
科学的観点から、種々の経験は感覚器官に与えられる刺激に相関する、としても、実際の所私たちには自分自身の経験のみが観察可能であるため、他人の場合もそうであると証明することは出来ない。
内的経験に多少の差異は認めても、それがあまりに大きい場合、振る舞いにもまた大きな違いが出てくる筈だと考えることも出来る。チョコレートを食べた時に口をすぼめる人間はいないだろう。しかし、レモンの酸味と口をすぼめるという振る舞いが対応していることを確認したのは自分自身の中だけである。自分以外の人間は、レモンを食べた時、自分がチョコレートを食べた時の甘さを感じて、その結果口をすぼめている可能性がある。逆に、チョコレートを食べた時に、自分がレモンを食べた時の酸味を感じた上で、それを「甘い」と表現しているのかもしれない。経験と振る舞いの相関は自分自身においてのみ観察可能であり、他人もそうであるかは観察出来ない。
そして、以上の議論は他人の心の在り方についてであったが、そもそも自分以外の心が存在しているかどうかも観察することは出来ないため、自分以外に心など存在しない可能性もある。自分以外の存在は、機械のようにある種の刺激に反応しているだけで、内的経験は何も無いのかもしれない。光があたれば眩しい素振りを見せる様に作られているのかもしれない。
また、逆に、心を持っていないと思っている対象が心を持っている可能性もある。そしてそれらの心の在り方もまた、観察することは出来ない。木は自身の枝を切り落とされることに痛みを感じているかもしれないし、そうでないかもしれない。ともすると、私がチョコレートを食べた時の感覚を味わっているのかもしれない。
以上のことから、自分以外の心の在り方、そして、自分以外の心の存在、この二点が問題であり続ける。
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