微妙な心と気付けなかった朝

春嵐

01

 彼が消えた。

 前から、消えそうだという相談は受けていて。その度に、寂しいんだなと思って抱きしめてあげたりしていた。彼のほうが体温は高くて、冷え性のわたしのほうがどちらかというと消えそうな感じで。そうやって、彼と一緒に日々が続くと思っていた。彼が消えるまでは。

 でも。彼はもういない。消えた。

 彼のことを、誰も覚えていなかった。彼の職場は、まるごとどこかへ消えていて。会社があったビルは、空きテナントになっていた。管理会社に問い合わせたら、最初から、空きテナントだと。そう、言われた。

 彼の写っている写真はない。彼のパスポートや、証明書も。財布もない。なぜか、彼の使っていたお酒呑むやつと箸だけが。唯一残された、彼の、証。

 もっと抱きしめてあげれば。

 もっと話を聞いておけば。

 あのとき、わたしは。消えそうだという彼を抱きしめるだけで。彼のことを考えてあげなかったんじゃないか。そう、強く思う。

 わたしは。

 彼にとって、わたしは。

 唯一の、消える前の。

 どこまで考えても、むだだった。彼は戻ってこない。それだけが、事実としてここにある。

 また、彼のいない日々が、はじまって、終わっていく。まるで、それが普通であるかのように。日々が。

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