六芒の儀式

名無之権兵衛

一ベル

一ベル「N県警捜査一課にて」

 開演五分前を知らせる一ベル響き渡る。

 

 このベルを境にあたりはさざ波が引くように緊張感ある静寂に包まれた。それは間もなく本番が始まる故からか、周囲に気圧された所為か、はたまた別の何かか。

 

 なんの理由であれ、あなたしかいない客席はしんと静まり返った。


 目の前にあるは六芒星が刺繍された重い緞帳。

 

 これが上がるまで、しばしお待ちを。




 捜査一課長の岩波晋也は捜査一課のオフィスに入った。時刻は午後六時半。ほとんどの刑事は帰宅したり捜査に出払っているため、部屋は閑散としていた。しかし、部屋を見回してみると、左奥のデスクに六人が一台のパソコンを前に集まっている。


「課長、こちらです」


 集団の一人、鑑識課の小舘が岩波に向かって手を振った。間も無く還暦を迎えようとする一課長は大股で彼らの方に歩いていく。その足取りはどこか不安そうだった。


「『浅馬不審死事件』について新たな証拠が見つかったと言っていたが、本当か?」


 それは二週間前のことだった。N県浅馬村の民宿にて六人の遺体がリビングで発見された。被害者の中には会社の上司と部下の一組がいたが、それ以外の点では職業も年齢も全くバラバラで、驚くべきことは殺され方も異なっていたことだ。窒息死、脳挫傷、出血死、急性薬物中毒、中には溺死、焼死まであった。


 それぞれ別の場所で殺害し、リビングまで運んだというのであれば、まだ納得できる。しかし、問題はそれら遺体が動かされた形跡がなく、しかも彼らが同時刻に殺害されたという事実である。一体、犯人はどう犯行に及んだのか。そして犯人は一体誰なのか。その見立てがつかないまま、捜査本部は狂信的な猟奇殺人者の犯行であると考え捜査を開始した。しかし——、


「確か、あの事件は宮坂陽子による集団無理心中として解決したはずだが……」


 そう、この一見ミステリアスで残虐な事件は捜査開始三日目で思わぬ幕を引きを迎える。毒死した主婦の宮坂陽子という女性の自宅から遺書が見つかったのだ。そこには宮坂がこれから宿泊者全員に睡眠薬を飲ませ、犯行に及ぶという決意がしたためられていた。実際、焼死した被害者と宮坂本人を除く全員から睡眠薬の成分が検出され、それぞれの遺体の足元に宮坂の足跡が見つかった。

 

 このことから、捜査本部は宮坂陽子による無理心中であると結論づけた。彼女には失踪した一人息子がおり、息子を失って心神喪失となったのが自殺の原因であると考えられる。


「はい、ですが実はリビングの壁に埋め込む形でICレコーダーが隠されているのを小舘が発見したんです。そこには事件が起こったとされる日の音声も録音されていました」


 捜査一課の若手、羽生が言った。その言葉に岩波の心は若干奮いたつ。そもそもこの怪事件は名目上「解決」となっているが謎はまだ多い。焼死した遺体があるのに、なぜ木造の民宿全体に燃え広がらなかったのか。


 そのほかにも一人の主婦がやるにしては無理がありそうな殺害方法がいくつもある。そんななかで、捜査本部は犯人がわかったとして事件を「解決」とした。そう結論づけたのは他でもない岩波であったが、彼自身も心の中にわだかまりを抱えながら今日まで過ごしていた。そのため、レコーダーの発見は事件の真相を掴む手がかりとして有力なものだった。


「となると、事件の真相が分かったわけだな。何が録音されていた?」


 岩波は至って落ち着いた口調で小舘に尋ねた。


「いえ、これから聞こうとしているところです。課長も一緒に聞いてくれませんか?」


「……わかった。再生してくれ」


 若い鑑識の頼みを一課長は了承した。では行きますと、小舘はマウスをクリックする。しばらくホワイトノイズがスピーカーから聞こえたと思ったら、霧のようなノイズから突然現れたかのように中年男性の声がした。


「今夜は集まっていただきありがとうございます。管理人さんの話ですと、毎回最低一組は参加しないそうなのですが、こうして皆さんが出席してくださって私も嬉しい限りでございます。さて、管理人さんから皆さんの仲を深めるために何かレクリエーションをして欲しいと承っています。ここにいる皆さんは年齢も性別もバラバラです。ですので、老若男女誰もが楽しめるレクリエーションをしたいと考えているのですが、何かいい案はありますでしょうか?」


「レクリエーションって、室内でやるようなものっすか?」若い男性の声だ。


「そうですね」先程の中年の声。


「ここって人生ゲームとかトランプってありましたっけ?」今度は若い女性の声だ。


「いえ、民宿の中は大方探して見てみましたが、ありませんでした。他の方もそのようなものは持ってきていなさそうですね」別の中年男性の声。


「まじかよ、何もねえじゃねえか」若い男が不満を漏らす。


「となると、道具なしで出来る何かってことですよね。私、しりとりしか思いつかなかったのですが、何か他に思いつく方はいらっしゃいますか?」


 若干歳を経たような声だが、岩波には誰が誰だか分からなかった。しかし、彼にとってこれらの声はあくまでノイズに過ぎない。重要なのは宮坂陽子がどのようにしてあの荒唐無稽な無理心中を完成させたかだった。だから、彼は宮坂の声のみを集中して聞いていた。かといって、岩波が彼女の声を知ってるわけではない。長年の刑事の勘から中年女性の声を聞き取るだけだった。


「では、こういうのはどうでしょうか?」


 ちょうどその時だった。痰が絡まったような女性の声が聞こえた。岩波はこの声が宮坂であると瞬時に確信した。なぜなら、被害者の中に女性は彼女含めた二人しかおらず、既婚の中年女性は綺麗な声を意識せず喉を使うイメージがあったからだ。


「何かいい遊びを思いつきましたか、えっと、宮坂さん?」


 中年男性が尋ねる。やはり彼女は宮坂陽子だった。


「はい、まだ季節としては早いかもしれませんが、怖い話を一人ずつ話していくのはどうでしょう? 自己紹介を聞く限りジャーナリストさんや、アマチュアの怪談家もいらっしゃいますし、きっと盛り上がると思うのですが……」


 アマチュアの怪談家というのは、被害者の一人で会社役員の松倉裕樹だろう。岩波は推察した。彼は昔から怪談噺を収集するのが好きらしく、ここ数年はそれが興じて怪談を部下に披露していた。おかげで怖い話が嫌いな松倉の部下は彼から飲みに誘われると、いかにして断ろうか日々頭を悩ませていたそうだ。


「私は別段悪い気はしません。怪談は懐にたくさん忍ばせていますからね。……他の皆さんはどうでしょう」


 先ほどまで進行役を務めていた中年男性が嬉々とした様子で喋る。つまり、彼が松倉ということになる。この流れだと彼らは怪談噺をそれぞれ披露した後に無理心中に巻き込まれたのだろうか。岩波はパソコンに映る再生時間を見つめながら思った。デジタルのアラビア数字は無機質に神にさえも微笑まない単調さで時を刻み続けた。


三分四十二、三分四十三、三分四十四——


「では、宮坂さんの案で行きましょう。本来のレクリエーションとは少し異なるかもしれませんが、管理人さんもいつもと違う雰囲気に喜ぶかもしれません。では、私から始めてもよろしいでしょうか? こう見えて部長に唆されて、怪談噺をかじったことがあるんですよ」


「そうだな、水島くんならいい前座になるだろう。彼も私と引けを取らないくらい話し上手ですから、ぜひ期待してくださいな、ええ」


 水島哲朗は松倉の部下で、顔を複数回地面に叩きつけられた事による脳挫傷で死亡した被害者である。そんな酷い殺され方をするとはつゆ知らず、三十代半ばの男は「ハードル上げないでくださいよぉ、部長」と言いながらどの噺にしようか吟味し出した。


 岩波はこれから話されるであろう六つの怪談を聞くべきか悩んだ。おそらく宮坂陽子が犯行に及んだのはこれらが終わった後かその途中だろう。死亡推定時刻は分かっているため、その時刻の少し前に時計の針を進めれば事足りる。しかし、先程の素振りから見て宮坂がこの集団のレクリエーションの起点になっている。つまり、彼女がこのレクリエーションを提案したのは何か理由があるはずだ。それを解明するためにも全て聞かなければならないだろう。仕方ない、今夜はだった気がするのだが、これも仕事のためだ。一人そう納得した岩波は一抹の申し訳ない気持ちを胸に抱きつつ、集中するために両目をしばたいた。それを横目で見ていた集団の一人は笑みを浮かべる。




 間もなく本番、間もなく本番。


 舞台が始まる本ベルがホールに響き渡る。


 あなたしかいない客席の明かりは徐々にフェードアウトし、やがて真っ暗になる。


 そう、事件当夜と同じ闇夜に包まれて、これから六つの怪談が語られる。


 パンフレットの表紙のように、丸ぁるく囲んで、胡座をかいて語られる。


 さあ、語りましょ、語りましょう、六つの噺を語りましょ、


 さすれば、さすれば、


 彼が目覚めることでしょう。

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