狼と犬の間

Nicola

0001 セガルタ・ゼロ

 女は町の中央にあった職場から、外れにあるヴェール協会ケージに移動してきた。

 中央とは違う忙しさにも慣れてきて、今日は依頼の報告や報酬に関するカウンターに座っている。窓口が閉まる間近でも依頼を終えてケージへとやってくる加護持ちヴェールは多かったが、それもようやく終わりが見えてきている。カウンターの内側に表示された待ちの人数も残り二人。

 ディスプレイに表示されたままの、先程まで対応していた情報をもう一度さらっと確認し、閉じる。

 ふうと吐き出したくなる息を飲み込み、顔を上げた。

 待合スペースにいる人数は目に見えて減っている。あともう少しと気合いを入れ――、なんとなく、いつもと違う空気感に気がついた。ざわつくほど大勢も残っていないが、落ち着かないひそひそ声が見える気がした。

 そのざらつく空気感の原因も分からないまま、若い番号に対応のチェックをいれて声を上げた。

 番号を呼び出してすぐ、設置された奥のベンチに腰掛けていた男が立ち上がった。きっと彼がその番号札を持っているのだろう。フードを深く下げていて表情は見えないが、まっすぐにこちらに歩いてくる。

 長身の男は大股でカウンターの前に到着し、番号札を差し出してから自前の端末を用意し始めた。

「お待たせしました。お名前と――」

「セガルタ・ゼロ。認識番号は――」

 女の案内よりも先に彼は名乗り、登録された番号も口にした。危うく聞き損なうところだった四桁の番号を入力して登録情報を引っ張り出す。

 セガルタ・ゼロ。二十二歳。男。ランクはブラック。所属チームは狼。

 簡単な情報がぱっと目に飛び込んでくる。そして、そこには顔写真のデータも表示されている。

 本人かどうかの確認を、と彼女が催促するよりも早く、彼はフードを背中へ落とした。その顔はディスプレイにある少し幼い顔と同じで、髪の影から少し見えている右頬の大きな傷跡も画像の頃からすでにある。

 表情のない、目の前を睨むでもなく空っぽの瞳を差し向けるデータの彼と。こちらから視線を外した、僅かに笑っている目の前の彼と。

 顔は同じでも雰囲気はこの数年で成長と共に変わったらしかった。

「確認しました。ゼロさん、本日もお疲れ様です」

 女は顔を上げ、営業スマイルでいつもどおりの挨拶をして気がついた。

 先程からあった小さなざわめき、その中心がこの男であることに。

 待合スペースに残っていた視線の幾つかがこちらに向いている。

 ただ、その中心であるらしいセガルタ本人は全く気にしていないのか、気付いていないのか。彼は触っていた端末をカウンターに置いて「報告書、転送したよ」と告げ、彼女がそれを確認するよりも先に喋り始める。

「報告書の通り、特筆することはなし。フォグの濃度も前回値と大差ないままで――」

 のんびりと、ゆったりとした口調だが、やることは手早い。職員である彼女が次を促す僅かなすきもない。

 転送されてきた報告書に目を通し、幾つかの項目にチェックを入れていく。セガルタが受けていた依頼に、その達成条件。すべてが満たされていることを確認しつつ、幾つかに確認を取り、彼女は次の処理に入りながら視線を上げた。

 やはりセガルタとは目が合わない。彼がここに立ってから今まで、何度も顔を見たがそれでも一度も視線は交わらなかった。そもそも彼の視線自体がこちらを見ていないのだ。斜め下の方へ視線を置いていて、そこに何かあるのかと見てみたが何もなかった。

「報告ありがとうございました。問題がなければ報酬の振り込みは三日以内にありますので――」

 定型文を口にしながら、見上げ続ける。

 しかし、セガルタがこちらを見ることはなかった。口元の緩やかな笑みも変化しない。

「……何か、他に確認しておくことはありますか?」

「なにもないよ」

 セガルタが軽く首を振った。

 垂れた前髪が揺れ、その下に傷跡があるのがしっかりと目に入った。右半分を隠す前髪の理由をまじまじと見してしまいそうだったので、彼女は視線を外した。そのまま軽く頭を下げる。

「お疲れさまでした。これで手続きは以上です」

「お疲れさま。ありがとう」

 顔を上げると、セガルタはすでにフードを頭の上に戻していた。別れの挨拶代わりか、にこりと口角を上げた彼はそのままこちらに背を向けた。

 真っ直ぐに出口に向かっていく背をぼんやりと見送る。待っている人数もゼロになっていた。

「一段落だな、お疲れさん」

 はっと隣を見ると、隣のカウンターで最後の対応を終えたらしい先輩職員がねぎらうように片手を上げていた。

「お疲れさまです」

「いやあ今日は随分夕方に集中したな。無事に終わって何より。――それにしても、餓狼が一匹で来るなんて珍しかったな。対応してみてどうだった」

 先輩職員がカウンターの内側で指差した先には、セガルタがいた。出入り口で話し込んでいた三人組に声をかけられたのか、自ら声をかけたのか、立ち止まって喋っているようだ。

「餓狼……ですか。どう、というのは?」

「あれ。なんだ、知らないのか」

 そう言われ、女は目をぱちくりさせた。話の流れで、あのセガルタが餓えた狼と呼ばれていることは確かだろうが、それ以上は分からなかった。

 チーム狼にいる、餓狼。

「なかなかの有名人だよ」

 餓狼という呼び名にぴんとこないので、胸中で名前を繰り返してみる。

 セガルタ・ゼロ――確かに耳にしたことがあるような、妙な滑らかさがある。

「中央にいたって名前くらい聞いたことはあると思うんだがな。ここじゃ餓狼なんて呼ばれているが――」

 話が終わったのか、終わらせたのか。セガルタが手を振って、出入り口にまた向かった。残された三人組の様子からすると、彼から話を終わらされたのかもしれない。

「最強のヴェールだって言えばぴんとくるんじゃないか。あいつがエンゼルの話も蹴っ飛ばした狼だよ」

 盛大なヒントに、彼女の記憶の奥にあった一人の情報が引っ張り出されてきた。

「……あの人が」

 聞いたことがある名前だった。

 三年前、確かに町の中心にまで届いた名だ。

「どうだった」

 先程と同じ問に、今度は答えを用意する。

「……もっと気の強い、荒っぽい方だと思っていました。昔聞いた噂程度しか、知りませんけど」

「前はそれなりに尖ってたけどな。俺は現場を知らないが、ま、今でもその噂通りの一面もあるらしいぜ」

 笑った先輩職員に曖昧にぼやけた返事をし、出入り口を改めて見た。すでにセガルタの姿はない。ざわめきも消えていた。

「優しそうな、……穏やかな人ですね」

 少なくとも、聞いてきた鮮烈な強さを連想させる人ではなかった。

 セガルタが転送した報告書のデータはまだディスプレイに表示されている。彼の登録情報も同じく。

 幼いままのデータを見ながら、先程まで目の前にあった顔を思い出す。

 あれが、なのか。と不思議に思う。

 セガルタ・ゼロ。

 彼は最強の加護持ちヴェールであり、この町ラムキルを救った英雄だ。

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