第20話
お昼、ビルを出ると泉さんがバッグを肩から下げてとたとたと近寄って来た。
アップにまとめていた髪を下ろし、ミルクティー色の髪が波打つ光沢となる。
来客時には毎回対応してくれるウチの顔とも言える彼女。
その彼女の顔が、今はどこか曇っている。
「あの……」
「とりあえず、飯屋に行こうか。海鮮でいいかな?」
無言で頷いた泉さんと二人で、会社から少し離れた居酒屋の扉を開ける。
夜居酒屋、昼激安ランチという組み合わせは結構多い。
刺身が新鮮で、時間によっては若い会社員で埋め尽くされてしまうのだけど。
今回はお店の人にお願いして、奥の個室を使わさせてもらえるようお願いした。
知る人ぞ知るシークレットサービスって奴だ。
「さ、ここなら誰にも聞かれないだろう。どした?」
海鮮丼に醤油を垂らして口に運ぶ。
居酒屋の刺身ってどうしてこうも美味いのか。
シソの葉で巻いて食べるマグロの美味いこと美味いこと。
「あの、私、話し聞いちゃいました」
思いつめた表情で、刺身定食にも箸をつけないで泉さんは言った。
「今朝の会議室での内容、あれ、この前の家具屋さんの彼女ですよね。DV被害って、酷すぎます。しかもそれをしたのが、私を誘ってきているあの男なんですよね」
何と返すべきか。
小考したのち、聞かれたのならば隠すのも不自然かと結論付く。
「そうだよ、アイツのせいで今回の案件から外されちゃったし。今日支社長と部長が本社にその件で報告に行くみたいだけど、どうなることやらだな」
バンッと刺身が乗る机を叩き、泉さんが身を乗り出す。
「私に何か出来る事はありませんか! あんな奴、女の敵です! 若草課代の言う事なら私なんでも聞きます、アイツとの接点はまだ持ってますし、今度家に来ないかって誘われてるんです。何か証拠でも集めてきてやりましょうか!?」
「いや、危険だから止めときな。雫……俺の幼馴染なんだけど、彼女が受けた傷は多分泉さんが思っている以上なんだ。アイツは狂犬だよ、自分の望みが叶わなかったからってその全てを雫に当たり散らして、あまつさえ亡き者にしようとしてる。そんな人間と近くにいるなんて、危険極まりないさ」
「でも……雫さん、可哀想で……」
泉さんは目に涙を溜め、今にも泣きだしそうだ。
雫が聞いたら喜びそうだな、味方が増えたよって伝えたらどんな顔をするのか。
「その気持ちだけでも嬉しいよ、ありがとう」
「……絶対、絶対に勝ちましょうね。あんな糞みたいな男、完膚なきまでにこらしめなくちゃいけないんです! なんならちょん切ってもいいくらいです!」
「あはは、傷害事件になるから、それはダメかな」
「それで? その子はなんて?」
「何としても四神を倒してくれってさ。負ける気なんかサラサラないけどな」
誰もいないオフィスで夢桜とスマホで会話する。
夜の二十一時、支社長と部長は本社に出向き、そのまま直帰となっていた。
俺の処遇がどうなるかは、きっと明日。
担当から外される事は間違いないだろうけど、月比呂案件以外にも仕事はある。
残念ながら暇になる訳ではない。
「まぁそうだな。ああ、伝えておくが。先日雫さんの離婚調停の申立書を提出し、第一回目の調停日も決めさせてもらった。四神にも裁判所から通知届いているだろうから、多分、色々と当たりが激しくなるかもしれないぞ」
「厳しくなったよ、もう既にな」
「そうなのか、でも、まあ言えることは――」
「耐えろって事だろ。会社の上司にも事情を伝えたし、こっちはこっちで頑張るさ」
自分で淹れた冷めた珈琲を口に運び、支社長席の後ろの大窓へと足を運ぶ。
会社の窓からは綺麗な夜景が目に入り、珈琲の味をより風味豊かにしてくれた。
これからの事を考えると、目が細まり、片方だけ口角が上がる。
「そうか、なぁ彰人」
「うん?」
「雫さんと、会うか?」
一瞬夢桜が何を言っているのか理解できなかった。
でも、年柄も無く心がときめいてしまう。最高の言葉だ。
「俺が何て言うかなんて、決まってるだろ」
「そうだな、ただ制限はあるぞ。彼女は今監視下に置かれているからな、俺が立ち会う事、それが絶対条件だ」
「いいよ、何なら俺が手を出さない様、手錠でも掛けてくれ」
「手錠はいらないさ。来週の土曜か日曜、空いてるか?」
二十七歳独身に土日の用がある訳が無いだろう。
あるとしたら仕事だ、そんなのクソくらえだけどな。
楽しみが増えた。
久しぶりに雫に会える。
俺の中でこんなにも彼女の事を好きになっていたのかって、改めて驚いてしまう程に、嬉しさと、喜びが体中を独占してしまっていた。
意味もなく煌々と輝く残業の光に、冷めた珈琲で乾杯をしてしまう程に。
翌日、支社長と部長からは特段何も聞かされなかった。
審議に入ってはいるのだろうけど、俺の方が正義なのは間違いない。
数日は四神から外れた日常業務をこなし、そして待ちに待った週末が訪れる。
髪型もきっちりセットして、年相応の、だけどカッコいい恰好もして。
何があっても良い様に二十万は財布に突っ込むと、車を走らせて夢桜との待ち合わせ場所に向かう。
気分はルンルンのウキウキだ。
待ち合わせ場所の高速
ちょっと早く来すぎたかなってスマホに目をやると。
背後から全力で抱き締められた。
「久しぶり、若」
六月に入り酷暑とも言える程の熱さが近づいてきた昨今。
振り向いた雫は花柄のノースリーブの可愛らしいシャツに、涼し気なマキシフレアスカートに可愛らしいサンダルを履いていて、爪にはしっかりとネイルが施されていて可愛くて。
とにかく可愛くて。
思わず全力で抱き締め返してしまう程だった。
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