第12話
「おかえりなさい、若……って、どうしたの、何だか酷い顔してるよ?」
仕事を終えて帰宅すると、雫が出迎えてくれた。
今朝の涙袋はすっかり熱を引いたらしく、今は綺麗な瞳をしている。
親指で目元をなぞると、雫は俺の手を両手で掴み、柔らかい頬を乗せた。
「ふふ……大きくて暖かい手。若と一緒だと安心する」
「雫」
「ん? ――え、ちょっと、玄関開いてるよ? 若?」
思えば、俺から抱きしめたのは再会してから初めてかもしれない。
彼女の細い身体は、力を籠めると脆くも折れてしまいそうで。
だから、優しく、でも、力強く。
「……落ち着く」
「うん、私も一番落ち着くよ。ねえねえ、ベッド届いたよ、来てきて」
俺の手を引っ張る雫が見せてくれたもの。
それは六畳間の八割は埋め尽くすほどの大きなベッドだった。
雫は「とう!」と飛び込んでぽよんぽよん跳ねている。
「こりゃ、大きすぎたかな」
「あはは、最高に気持ち良いよ! ほら、若もおいで、絶対に気持ち良いから!」
スーツを脱ぎネクタイを緩めて、雫の側で横になる。
当たり前の様に雫が俺の脇の下に入り、目一杯の笑顔を近づけてきた。
そんな彼女の顔を左腕に乗せて、そのまま引き寄せる。
「およよ?」
吐息が届くほどの距離に雫がいる、この距離が当たり前に感じてしまうほどに、彼女の事が好きだ。
愛している、雫も俺の事を愛しているのに。
なぜ、彼女は俺の妻じゃないんだ。
「何か、あった感じ?」
「うん」
「今日って何か大事な仕事の話だったんでしょ?」
「……うん」
「失敗しちゃった?」
「失敗ではないかな」
起き上がりベッドのヘッドボードに寄り掛かると、雫も俺の横に。
「今回の商談のメインが、四神商事だった」
「…………え」
目に見えて雫の表情が曇る。
思い出したくない事も沢山あるだろうし、聞きたくない話もあるだろうけど。
でも、伝えておいた方が良い話もある。
「会って来たよ、四神隆三って男に。今回の顧客担当の一番のメインの場所に座ってた」
「そ、それで、アイツは、なんて」
「雫がこの家に居る事も知ってるって、いつか迎えに行くとも言っていた」
「や、ヤダ、ヤダよ、私帰りたくない。行きたくない、若の側を離れたくないよ」
震える雫を抱きしめて、背中をぽんぽんと叩く。
これは、俺一人でどうこう出来る話じゃない。
「俺も嫌だ、絶対に雫を守り切る。アイツは雫のことが……いや、その話は置いておこう。それよりも協力者が必要だ、アイツは近いうちに迎えに来ると言っていた。立場で言えばアイツは旦那であり、雫は妻だ。夫婦である事は変わらない、離婚届に捺印していないのだろうからね」
爪を噛み始めた雫の頭を撫でる。
どうすればいいのか、誰を頼るべきか。
状況を見据え、しっかりと見定めて動かないといけない。
「そして、俺の立場は不倫相手レベル、間男から変わっていない。はっきり言ってこの状況は完全に俺達が不利だ、俺がいるから雫に取って不利な関係が生まれてしまっている。だから、俺も人を頼ろうと考えている」
「……人?」
「ああ、一番信用のおける、一番信頼のできる人物だ。連絡してあるから今から一緒に行こう、雫をそこで匿ってもらう事もお願いしてあるから」
「え、私、どこに」
「過去に俺を救ってくれた、弁護士の親友だよ」
二十四時半、
駐車場に車を止めると、事務所二階の扉が開き長髪の優男が顔を覗かせる。
煙草を口に咥え、青いフレームの眼鏡を掛けた俺の親友。
「
「ああ、構わないよ。どうせ裁判資料の精査で朝までいるつもりだったしね。明日は朝一で被害者のとこにも行かないとだし」
白衣に灰色のワイシャツのボタンを上から二個外し、革のズボンを穿いた男。
夢桜
「ああ、本当だ、本物じゃないか。七津星雫」
「あ、えっと、はい、お久しぶりです」
「僕ね、君のこと嫌いなんだ」
「……え、っと」
「君のせいで若草彰人は死にかけたんだよ、聞いた? 知ってる? 知ってるよね? 勿論知ってるよね? 君の浅はかな選択のせいでこの男は人生を終わらせようとしたんだよ? 知らないはずがないよね?」
「え? ……え? え⁉」
腰をかがめ、わざわざ視線を身長の低い雫に合わせて夢桜は詰め寄る。
「夢桜、
「止めない。これを止めるのなら今回の件、全面的に僕は降りるよ。自分の部屋で若草はあろうことか首に縄をかけて
ペッと実際に唾を吐き捨て、夢桜はタバコを吸い込む。
「と、まあ、僕の想いをツラツラと述べたのだけど。君も少しは若草の苦しみを理解して欲しい。自分がどれだけ甘い事を言って、どれだけ愚かかを噛み締めて欲しいと、僕は願う。それが今回の成功報酬だ、若草の事は親友として好きだからね。彼の頼みが無かったら君の弁護なんて絶対にお断りだ」
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