#04 嫉妬に燃える、カサンドラ令嬢!
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ファハドの新会社設立を祝うパーティーに、ナディール国出身の令嬢カサンドラが現れる。
ファハドとの結婚を強く願う彼女は、マーガレットへの猛烈な対抗心をむきだしにする。
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ロンドン、高級ブティック街。
ロイヤルファミリー御用達のオートクチュールのメゾンで、年若い女性が店員を相手にあれこれ注文をつけている。
「このドレスでしたら、お客さまの美しさがいっそうひきたちますわ」
「そう? なんだかピンとこないわ。違うデザインのものはないの?」
その横柄な態度に表情ひとつ変えず、年上の女性スタッフは、春夏コレクションのカタログをめくりながら、それぞれのデザインの特徴について説明していく。
「でしたら、こちらなどいかがでしょう? この春最新のデザインでございます」
「あら……そうね、いいじゃない? 彼の晴れ舞台で着るのに映えそうね。だって隣に立つわたしが魅力的に見えなかったら、彼に恥をかかせてしまうじゃない? メディアだって殺到するんですもの、会場で誰よりも目立つドレスでなくてはね!」
パーティー用のドレス選びに夢中なのは、カサンドラ・アルシャハデ。
シークと同じナディール国の王族をルーツにもつ令嬢だ。
しかも彼女は、ファハドがただひとり頭のあがらない、長老でありGエクスプレス社会長でもあるサシャークの孫だった。
ゆるやかにカールさせた栗色のロングヘアに、アクセサリー代わりのサングラス、エキゾチックなブラウンの瞳に長く濃いまつげ、そして真っ赤なルージュで強調した唇から飛びだすのは、いつも自信に満ちた言葉ばかりだ。
幼い頃からちやほやされてきたカサンドラは、欲しいものはなんでも手に入れてきたし、自分の思いどおりにならないことはないと思って育ってきた。
だからこそ、ナディール国の王族の血をひくファハドの兄から、年齢差を理由に婚約を断られたときには、激しいショックを受けてしまった。
もっとも、「年齢差」だけが理由ではないことを認めないのは、彼女だけだったが……。
つぶされたプライドの代償とでもいうように、カサンドラはなんとしてもファハドとの婚約にこぎつけようとしている。
そして、今度こそ自分がまちがいなく選ばれると信じている。
「なのに彼、いつまでたってもわたしのことは妹扱いなのよね。だからこそ、今度のパーティーでは、わたしの魅力にひれ伏してもらわなくては。彼の口からプロポーズの言葉をひきださないと……」
* * *
「どうだ、新会社の設立準備は進んでおるのか?」
「はい会長、すべてまったく順調です」
衛星回線のモニタ越しにファハドがやりとりしている相手こそ、Gエクスプレス社の永世会長であり、一族の長でもある長老サシャークだ。
イギリスと祖国ははるかに離れているが、週に一度は会長への報告を欠かさない。サシャークはファハドにとって大事な後見人でもある。
「おまえはいつも、そうやって自信たっぷりに言うが、前に進むことばかり考えていると、足をすくわれるのもかんたんだぞ。己の足元こそ、しっかり地固めをしないといかん」
「もちろんです。ですから人事についてはいつも以上に慎重に進めています。なにしろ二つの会社が一つになるのですから。ひとを見抜く力がなければ、とても企業を率いていけません」
「ずいぶん自信があるんだな。まあ、おまえのことだ、わしも本気で心配してはおらん。だが、決して油断するな……心の隙間というやつは、どんなに小さかろうがいったんできたが最後、あっという間に敵の侵入をまねいてしまうのだ」
「会長、その〝敵〟とは、ライバル企業のことでしょうか?」
「いや、そんなものならいたってわかりやすい……そうだな、いまのところは、おまえの弱さとでも言っておくかな……とにかく、体に気をつけて頑張るように。あいにく設立パーティーには行けんが、成功を信じとるぞ」
そう言うなり、唐突に回線は切られてしまった。
「まったく……いつものことながら、言いたいことだけ言われるおかただ」
ファハドはため息まじりに、映像の途切れたディスプレイをながめてつぶやいた。
ファハドの祖先はイギリスからはるか遠く、アラブの砂漠に栄えた王国、ナディールを創設した一族で、アラブ世界の王族たちの宝飾品や美術品を運搬することを
そのノウハウとアラブ世界で培った人脈や信頼、独自の輸送ルートを武器に、ヨーロッパ進出の足がかりとして、ロンドンにGエクスプレスの支社を構えたのが、当時の王位継承権第七位にあったファハドの父、ジャーシムだった。ところが、その父が志なかばで病に倒れ、ビジネスの世界から引退してしまった。
父のあとを引き継いだのが、次男にあたる、若きファハドだったのだ。
イートン校をへてケンブリッジ大学進学と、階級社会が色濃く残るイギリスでの典型的なエリートコースを歩んできた。
とはいえ、やはりこの国では異色の存在。決して平坦ではない道を歩んできた。そして、それらをはねかえすだけの相当なエネルギーで、亡き父の志を引き継ぎ、実業家としてさらに大きく成功してきたのだ。
彼はいまや、部族の未来を担うひとりとしての強い自覚があった。そんな彼も、サシャークの言葉が少しひっかかった。
「会長は弱さと言ったが、そんなものがあっては困る。まったく、なにをおっしゃろうとしていたのだろうか……」
合併による新会社設立祝賀パーティーの日。
新たなスタートを祝う場は、予約が二年先までいっぱいだという、いまやロンドンで超がつくほど人気のフレンチレストランをまるごと貸し切っていた。
もっとも、このレストランを所有するのもGエクスプレスだ。
フランスの古城を思わせる店構えだが、まるでロンドンの老舗のような風格も感じさせる。気品にあふれるエントランスに、広々としたフロアが囲む美しい緑の中庭もある。
格式を感じる調度品の数々と、テーブルには季節の生花と王室御用達の陶磁器メーカーに特注で作らせた馬の置物が飾られている。
ミシュランの三ツ星に輝いたこともあるシェフをフランスからヘッドハンティングしてきただけに、料理も、そしてワインも最上級、スタッフのサービスも最高だ。
今日のホールには、あふれんばかりのバラが飾られ、豪華なシャンデリアとあいまった、ベルサイユ宮殿の鏡の間の舞踏室といったしつらえになっていた。
車寄せに、一台のロールスロイスがとまった。
いかつい男が助手席からおりると、車寄せ側の後部ドアを開けにまわる。
ふわりと優雅におりたのはカサンドラだ。
春夏の最新コレクションにさらに注文をつけて、やわらかな金糸で仕立てさせたドレスを身にまとい、ドアを押さえる男に目をやることもなく、それでいてパパラッチたちに撮られやすい位置をとりながら、自信に満ちた足取りでレストランの入口に向かう。そのあとを侍女らしい女が足早についていった。
すでに会場にきていた若い女性たちがそんなカサンドラに注目して、ささやきあう。
「ねえ、あのドレス見て。最新のデザインよ!」
「ええ、あのデザインは王室御用達のデザイナーのよね。着ている彼女は、だれ?」
「イギリス人じゃ、ないわね……海外からの来賓?」
「あの感じだと、オイルマネーでもうけた富豪の娘あたりじゃないの?」
口さがないパーティーピープルを無視して、カサンドラは悠然と会場に入っていく。
侍女に豪奢な刺繍の入ったショールをさっさと預けて、ファハドはいないかと目をやる。
すぐに、招待客への挨拶に忙しい彼の姿を見つけた。
「ファ……」
近づいて声をかけようとしたところで、カサンドラは、はたと足をとめた。
急に鋭い目つきになってつぶやく。
「あの女、だれ?」
彼のかたわらにいる女、見たことのない女だ。
その女こそ、頭のなかに招待客のプロフィールを完璧にインプットし、ファハドが招待客に適切な挨拶ができるようフォローしているマーガレットだった。
きょうの彼女は、新調したばかりのピンストライプのスーツにバックストラップの黒のハイヒールをはいている。
フォーマルを意識しているが、ビジネスライクなのは変わらない。
「だって秘書なのよ、ドレスなんて着ていられないわ!」と、いつも利用する通販サイトから注文したものだ。
だがカサンドラにとっては、どんなにお堅いスーツを着ていようが、見ず知らずの女が、愛しいファハドのそばにべったりいることだけで、十分に憎悪の対象だ。
「なによ、あんなに接近して! それに、こそこそ話しかけたりしないでよ!」
カサンドラはできるだけ冷ややかな、それでいて気品だけは失うまいという表情をつくって、ファハドの前に立ってみせた。
「ファハド。今日はすばらしい門出に立ちあえてうれしいわ」
「おや、カサンドラ、来たのか?」
「あら、ずいぶんね。わたしが来てはいけなかった?」
「そんなことはない。ただ、会長はなにもおっしゃってなかったからね。もちろん、祝ってもらえるのはうれしいよ。そうだ、紹介しておこう。わたしの秘書のミズ・ローパーだ。こちらはミス・カサンドラ・アルシャハデ、Gエクスプレス会長のお孫さんだ」
「初めまして、ミス・アルシャハデ。どうぞよろしくお願いします」
……困ったわ。
彼女の名前は招待客名簿に入っていなかったはず。会長の孫だからフリーパスなのね――内心では焦っているマーガレットだが、そんなことは顔に出さない。
「初めまして……ねえ、ファハド、いつから女の秘書を雇う気になったの?」
「なんだ、カサンドラ、そんなことが気になるのか?」
ファハドが笑って応える。
「きみは経営のことなど興味がないだろう? 会長にも報告済みだ」
「ふうん、そうなの……」
あでやかに微笑みながらも、その目は笑っていなかった。
カサンドラがファハドに笑顔を向けたあとのマーガレットへの視線は、あきらかに敵意が含まれていた。
だが、つぎつぎに訪れる客たちの波に押され、カサンドラも広間の奥へと流されていった。
「ファハドが女の秘書を雇うなんて、よっぽどのことだわ……あのふたり、なにかあるのかしら?」
にぎやかなパーティーの場で、カサンドラの視線はマーガレットに注がれたままだ。
たとえ秘書であろうと、ファハドの身近に女性がいることは絶対に許せない。
ただでさえ、ファハドに言い寄る女は多い。それでも、かろうじて自分が平静でいられるのは、彼がビジネスの場では、これまで身近に女性を置かないと決めていたのを知っていたからだ。
それなのに……。
「お客さま、シャンパンをいかがですか?」
「え? ああ、いただくわ」
ギャルソンに飲み物を勧められても、カサンドラは気が気でなかった。
「このままにしておくわけにはいかないわ……」
カサンドラは、シャンパンをぐいと飲み干すと、マーガレットがひとりきりになったチャンスをねらって近づいた。
「ねえ、いま、いいかしら?」
「あ、ミス・アルシャハデ、なにか不都合でもありましたでしょうか?」
あなたがいることが不都合なのよ――
「いいえ、もしかしたらあなたがご存じないといけないと思って、お教えしておこうと思ったの」
「ありがとうございます。新会社のことはまだまだ勉強中ですので、どうぞなんなりと」
「たぶんファハドは……いえ、社長は、ああ見えて控えめなひとだから、さっきわたしのことを堅苦しく紹介したけど、わたしたち、いずれは結婚するの」
挑発的な目で、マーガレットの反応をうかがうカサンドラ。
「まあ、そうでしたか……社長はなにもおっしゃらないので……」
淡々と答えるマーガレット。
「だと思った!」
カサンドラは大げさに驚いた表情を見せたかと思うと、突然、声をひそめて続けた。
「これはね、ふたりが生まれる前から決まっていたこと。王族ゆえの運命とでも言うのかしら、わたしたちには変えることもできないわ。でもね、彼ったら、ふさわしいタイミングがくるまでは絶対に公にしたくないみたい。わたしのほうは全然かまわないのだけど……ほら、秘書のあなたが了解してないとなにかと困るでしょう? だから先に教えておくわ。でも、くれぐれもまだ内緒よ。そうそう、わたしが言ったことも絶対に内緒にしておいてね」
「承知しました。教えてくださってありがとうござ……」
マーガレットの言葉を最後まで聞くことなく、くるりと背を向けて立ち去るカサンドラ。自然に足取りが軽くなる。
「ふん、これで、あの女も下手なことはしないはず。でも、ファハドには早く婚約の宣言をしてもらわないと、この先なにが起こるかわからないわ……男と女のことだもの、決して油断しちゃだめよね」
カサンドラは招待客と談笑するファハドの姿を見つけると、とびきりの笑顔をこしらえて、近寄っていった。
なにかと思ったら……。
華やかに着飾ったカサンドラの高圧的な口調に圧倒されてしまったマーガレットは、立ち去る彼女の背中をただ見送るしかなかった。
社長はシークなのだから、決まった相手がいないほうがおかしい……。
そう思いつつ、軽やかに笑うカサンドラを見ているファハドの姿が目にとびこんでくると、マーガレットはなぜか息がつまったような感覚におそわれてしまうのだった。
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