第28話軍議

♠️元亀元年4月25日


 俺は式神で見たことを、配下の忍びからの報告として信長様に報告した。


 まあ、お市様からも挟みうちに合うことを暗示する物―両端を紐でくくった小豆袋が届けられそうではあったが…長政殿が言った通りそれが届くまで待っていたら時間的な余裕がなくなる。小豆袋が届く前に撤退しなければなるまい。


 かねてから、浅井の裏切りを注進していた甲斐もあって信長様の動きは早かった。すぐに撤退を宣言すべく、重臣達を集めたのである。


 木の目峠に進軍中だったのは先陣を申し出た徳川家康殿と越前に詳しい案内役の明智十兵衛殿で、主だった将兵たちは金ヶ崎城に集結している。


 徳川家康殿と明智十兵衛殿には撤退を知らせる使者が信長様から送られた。



♠️金ヶ崎城本陣


 重臣達が集まった。


「何事でござる?」

髭達磨のいかついおっさん…もとい柴田勝家殿がいった。


「ふむ。フロイス師配下の忍からの報告じゃ…浅井が裏切った」


「「な、なんと」」


「そして、全軍をもってこちらに向かってきておる」


 ざわざわざわざわ…

っと一同がざわめく


「このままでは挟みうちにあってしまう。敵地において、この裏切りは痛すぎる。もたもたしておっては我が軍は壊滅するぞ!その前に儂は逃げる。なお、フロイス師がしんがりをもうしでておる。そして、この城の前方およびこの城のおもな出入り口はすでに罠が張り巡らされており、撤退路が限定されておる。フロイス師配下の忍びの誘導に従って全軍、速やかに撤退せよ」


「…お待ち下さいませ!!」

声を上げたのは佐久間殿である。



「なんじゃ?」


「この城に罠が張り巡らされているとおっしゃられましたな?そしてフロイス殿がしんがりを申し出ていると…」



それを聞いて信長様はいらっとした顔をした。そして、


「申したぞ?で??」 


「すでに罠を仕掛けてあるということは…浅井の裏切りを予見していたのではありますまいか?」


「ふむ。浅井の裏切りは昨年、浅井と会談した直後からフロイス師が予見しておった。それがどうした?速やかに撤退しないといけない今、そのことが何か問題なのか?」


「いえ、それがしは聞いてなかった物で…」


「そのような些細なことは帰ってからもうせと言っているのがわからんのか⁉︎」


 どかっ!!


「…ぐっはぁ」


 

 信長様は立ち上がって佐久間殿の席まで猛進し、佐久間殿の側頭部テンプルをはったのである。―体重の乗ったジョルトブローぎみの掌打というか。


 数瞬後、佐久間殿は脳震盪を起こしたかのようにふらふらと前方に倒れ込み、膝と手を地面につけてうずくまった。


 鎧武者に打撃を与えるのにこれほど有効な手はあるまい。


 激昂したように見えて、かぶとの上から素手で正拳づきをかますような愚かなことはしない。

 素手で殴るより掌打の方が兜の中で衝撃が増幅するし。


(脳震盪を起こさせるための技だな)


 古武術の奥義に相当するような技だ。


 冷静で容赦のない一撃だったのである。


「今はそんな些末なことを言っている時ではない。それ以上つべこべぬかしたら、叩ききるぞ!さっさと兵をまとめ、フロイス師の配下のものに道案内をさせて撤退せよ。しんがり隊の編成も終わっておる。儂の逃走経路もフロイス師がすでに準備しておるわ」


 信長様は刀のつかに手をかけて、憤怒の形相でうずくまったままの佐久間様を上から睨みつけている。こうなったら、本当に家臣を斬りかねないと古くからの重臣達は承知しているだろう。


「ぐっ…」

 佐久間殿は自分がはりとばされたことが信じられぬようにしばし呆然としていた。


 信長様はそれになんの興味も示さずに身を翻す。


「皆のもの。そうそうにひけ。生きて京で会おうぞ!」


「「ははー」」


 信長様は松永弾正殿に声をかけて天幕から出て行った。


 信長様が向かう先は朽木谷。松永殿を伴うのは朽木谷へ道案内させるためである。

 朽木谷の領主たる朽木殿は天照教を広めて調略ずみ。ともには佐々殿の兵200と馬廻衆が300。それと、オレが仕掛けた罠を踏まないためのオレの配下の忍びがひとり。



 信長様がそうそうに逃亡したあと、おれは倒れている佐久間殿に手を貸して立ち上がらせる…


 ふらふらと立ち上がった佐久間殿はオレを睨みつけて、


「ぐぬぬ」


 と唸り、オレの手を払い除けた。


 それからぎりぎりぎりと歯軋りをして俺を睨みつけていたが…やがて顎が疲れたのか、ふーっとため息をついた。


 そして気を取り直したかのように口を開いた。


「このような死地からは早く逃げるに限るわ。儂も引かせてもらう。配下のものに道案内をさせよ!」


「は」

 ぱんぱんと手を叩いて配下の忍びを呼ぶ。


「これに」

 黒装束の忍者がぱっと飛び込んできた。


「佐久間殿を道案内せよ」


「ははっ」


 そうして佐久間殿を支えながら忍びが出ていこうとしたその時、佐久間殿が振り返る。


「殿に殴り倒された屈辱は決して忘れぬ。このような死地ではあるが、せいぜい生き残るが良い。わざわざ志願したのじゃ、お手並を拝見いたそう。しかし…薄汚い南蛮人風情が、譜代の重臣たる儂を軽んじるのは断じて許さぬ。殿に殴られた恨みはそなたに返すっ!お、覚えておれよっ!!!」


 脳震盪を起こして焦点があってないだろうに…


 怒りに血走った蛇のようなねちっこい目でオレを睨みながら、見事な捨て台詞をはいて、佐久間殿も天幕から出て行ったのだった。


「他の方々もお早く」

 そういって他の重臣達にも退陣をうながした。



「ご武運を」

 丹羽殿はそういって出ていった。


 他の人達もあとにつづく。そのひとりひとりに忍びをつけて道中の安全を祈る。


 佐久間殿以外の重臣達は丹羽殿と同様に俺たちの無事を祈り返してくれた。そして、ひきぎわに貴重な鉄砲や弾薬を少しずつ分けてくれさえした。


 佐久間殿はそういうの何もなし。


 しかも、速やかにひかないといけない場面で、わざわざ捨て台詞をはく。道案内をさせるのにお礼もなし。オレが生きて帰ったら報復する。と宣言していっただと?


(小物の代名詞みたいな人だ)


 確かに、〝かかる柴田に退き佐久間。〟と並び称されるるほどの撤退戦の名手である佐久間殿に相談をしなかったのは失礼だったかもしれないが…


 しかし、事前に浅井が裏切るから撤退戦を準備したいと相談したとして…その根拠や証拠を出せと言われても困る。歴史を知ってるからと説明しても、信長様以外には信じてもらえまい。

だから、黙っておくしかなかったのである。それを恨まれても…。



 信長様が晩年、家臣に立て続けに裏切られたのは佐久間殿と林殿が追放されたのが端を発しているのは疑いない。その時は、佐久間殿と林殿をかばってやらないといけない。しかし…


(こいつをかばってやるのは、とても不本意だなぁ…)


 まぁ、目の前の死地を脱してから考えよう。 

オレは死戦を前にため息をつくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る