掌編小説・『夢の図書館』
夢美瑠瑠
掌編小説・『夢の図書館』
1 兼木禰瑠(かねぎ・でいる)氏の夢
中小企業、半導体産業の会社社長で、モノづくり一筋だった兼木・禰瑠(かねぎ・でいる)氏は、隠退した後、生涯に成した資産で、私設の図書館を設営することを計画した。
彼は大変な読書家で、その社長としての社会的な成功も、読書から得た智慧に負うところが大きかったと言える。
文化的な活動に元々熱心で、小粋な通人でもあった彼は、ベンジャミン・フランクリンを尊敬していて、「フランクリン自伝」は座右の書だった。自伝の中の「十三徳」を実践したことが、兼木氏自身が、生涯に亘って健康や明朗な精神や、労働意欲、たゆまない努力を生んだ底抜けのバイタリティ、そうした社長に必要な資質や基本条件をキープできた秘訣だと自負していた…
フランクリンのように自分の財産や知恵を社会に還元し、より皆から尊敬されて、そうして人々を幸福にしたい。そのための活動の一環として、彼は「図書館・『夢』」というインスティチューションを作ろうと思ったのだ…
だいたいがこういう成功する器の大きい人物ほどに純粋な理想家肌で、「夢」というものを持って、実現しようとするものだ。
生涯がリーダーで、大所高所からビジョンを発案して、総合的に発想するという、
そういう習慣がマクロなプラニングや全体の大きな利益ということをまず優先する、高邁な理想に繋がると、まあそういうような機序だろうかと想像されるところだ…
図書館にもいろいろある。彼はまず「図書館学」を、即席に詳細に勉強した。
そうして各地の図書館、海外の図書館にも自分で足を運び、図書館についての造詣を深めた。
さらに色々な人の話を聞いて、図書館の基本、理想の図書館像を探って、肌で実感、体得しようとした。
そうして、2年ののちにこの「理想の図書館」の全体のビジョンが大体完成し、彼が全て基本のアイデアを練って、そうした理念、コンセプト、ノウハウを実現してくれる優秀なブレーンと建設スタッフをいよいよ構成して、兼木氏が自ら全体の指揮を執り…
5年後に「図書館・『夢』」は見事竣工、完成、開館の運びとなった…
2 杮落とし
「兼木禰瑠館長、今日はいよいよ開館日ですね。」
「うむ。「図書館の日」に合わせたのだ。読書で涵養した知性と教養が
買われて、テレヴィのコメンテーターとしても引っ張り凧の私が私財を
擲(なげう)って、未来仕様の「知の空間」をプロデュースしたというので、
豈はからんや、大変な話題になった。
今日も開館前からちょっとした観光客の博覧会見物みたいな長蛇の列
だしな。俺は幸せ者だ。60にして模範としているフランクリンを凌駕する
大事業を成し遂げられた!男みょうりに尽きるよ。「図書館『夢』」は私の命です、
ってとこだな」
朝早くなのに、シャンパンで乾杯しながら苦労人の館長は涙ぐんでいた。
…「図書館『夢』」は、3PARTに分かれていて、それぞれ、「過去」、「現在」、
「未来」がテーマのパヴィリオン形式だった。それぞれに個性的な分館長が
就任していて、来館者数を競い、その数に応じてボーナスが配分されて、
どんどん有機体としての図書館は発展変貌していく。
財源は毎日中央ホールで催される講演会やイベント、コンサート、そうした
魅力的な文化的なお祭りによる収入で、入場料を取るに値するコンテンツ
しか開催せず、それゆえ私立図書館というものの強みを生かせる、という
わけだった。自由競争の市場原理を応用しているのも企業家出身の館長
ならではの発想だった。
「過去」館は、アレクサンドロス図書館の内装を模倣していて、クラシカル
な図書館スタイルが踏襲され、巨大な開架式の書架が並び、古文書や
歴史の資料が充実していた。展示コーナーには 収集された過去の巨匠の
美術品や彫刻、書画などがレプリカをまじえて周到に展示され、人類の文化
遺産というものがどういう風に創造され、布置され、あるいは破壊を受け、
あるいは再現されてきたか…そうしたマクロな視点での地球的な「過去」の
知の遺産ができるかぎり俯瞰されうる、壮観な知の「饗宴」の様相を呈していた。
そうしてもちろんミクロには重要な歴史や伝統美術、古典の書籍すべてが
網羅具備されていて、学術的な研究をする上でそろわない資料はまずない、
と館長は豪語していた。
「一生ここで寝泊まりしたい」そうのたまう学者もたくさんいるほどだった。
では、「現在」館、「未来」館はどんなだったろうか…?
3 図書館の過去・現在…
「現在」館のコンセプトは、「発展、爛熟、変貌していく現代社会ー文明のグランドクロス」だった。
国会図書館を模したスタイルで、あらゆるジャンル、種類の出版物を網羅して、
稀覯本や貴重な資料も手に入る限りに収集して、現代社会の複雑多岐にわたる実体を出版物や書籍という側面から浮き彫りにできる仕様に設計されていた。
現代の図書館一般の標準装備の、WEBやIT機器を利用した検索技術、CD、DVDの視聴可能な設備、最先端のそうした機能は可能な限りにアップデートされて、来館者が目を瞠るほどに充実した「現代の最高水準の図書館とはこういうものだ」というイメージをリアルタイムに可視化し続けている、そういう趣のインテリジェントなインスティチューションに出来上がっていた。
1時間もここでラインナップされたいろいろな本やソフト、展示物から送られる百花繚乱なメッセージに浸っていると、来館者は「現代」という時代、現代文明や現代社会の実態やこれまでの成果、これからの課題、人類は何を学び何を成し遂げ、そうしてこれから何をどうしていくべきか?そうした問題意識、知識、地球市民としての責務、そうした総合的な知性がきわめて能率的に研磨、涵養のよろしきを得て、万人等しくホモサピエンスたる自らの存在や、その使命、誇りを書物やメディアを通じて再確認できる、そういう「知の殿堂」たるべく鋭敏で怜悧なデザイニングが現代の最善の知のエキスパートたちによってなされている…
それが「図書館『夢』」の「現在」館だった。
4 そして未来
「図書館『夢』」の未来館、そのコンセプトは「未来ーそれはあなただけの
夢のユートピア」、だった。この未来館こそが古今東西どこにも例を見ない、ユニークなアイデアでデザインされた先端的なパヴィリオンであり、文字通りの「図書館の夢の未来」像をハイテクや先進的な学問、科学の知見を応用して実験的に、寧ろ挑戦的なほど前衛的にプロデュースされていたのである。
「歴史や文明はもうデッドエンド」そうした悲観的な風潮はここでは忌むべきタブーだ。
人類の叡知というものの可能性をとことん信じる、例えばかつての大阪万博の
中心テーマにかなり近いオポチュニズム、それが兼木禰瑠氏の真骨頂で、その個性がこの未来館に色濃く反映されていたのだ。
開館の日までその内実は全く極秘にされていて、誰もうかがい知ることは叶わなかった。館長とスタッフたちの口からは「前代未聞」とか、「空前絶後で、誰もが驚嘆する」そういう漠然とした惹句が聞かれるだけだった。
つまり、どういうことか?9時の開館とともに神秘のベールがはがれた!
なんと!この未来館に入館できる人は一日一人限定。何百人押し寄せようとそれは変わらない。
抽選で一人だけが選出されて、爾後、図書館の「館友」とされる。
図書館の知名度が上がり、その入館資格を得たことの価値が認識されていけば、この、館友」という称号の名誉性や希少価値もどんどんネームバリューを上げて、相互的にステータスがグレードアップしていくという仕掛けだった。
と言っても、まだよくわからないだろう。
ここは、「人間の潜在能力をとことん開発させる図書館」だったのだ!
5 An endless dream
「人間の潜在能力を極限まで開発する」、例えば出来得れば昔の小説、「アルジャーノンに花束を」の、チャーリーゴードン氏のごとく、「館友」すべてを超天才に生まれ変わらせたい、そういう人類の「夢」を、先端科学の力を利用して実現させよう、そういう実験的な試みをなす施設、それが未来館なのだ。
チャーリーの場合、実験的な「知能向上」は、その喪失で結局失敗に終わった。
しかし、未来館の「施術」は医学的な「注射」によるものではなく、あくまで主として人文科学的な脳力開発のテクニックにフォーカスを絞っていた。
開発デザインは次の三本の柱で成り立っていた。
A: 徹底した潜在能力開発可能性の究明、精査(120分)
B: 析出された開発可能性のハイテクによる実現(360分)
C: 今後の能力向上持続のためのトレーニングプログラムの指導(120分)
「A」班にはチーフ5人含めて60人のスタッフが当たり、ヘッドは日本の脳力開発研究の第一人者のひとりである能年拓(のうねん・ひらく)博士だった。 すべての調査の行程を短い時間でやり遂げるには、これだけの数のスタッフがつききりで、カウンセリング、様々なテストの施行、実験やデータの解析、そのほか、簡にして要を得た構成のプログラムを完ぺきにこなす必要があったのだ。
「B」班にはさらに多い、100人のスタッフと10人のチーフ、が任に当たり、ヘッドはなんとノーベル賞学者で、これも斯界の権威、天才教育で名を馳せているドクター中竹氏が就任していた。 40年以上も天才教育に携わって、「頭のよくなる」香水、CD、睡眠学習マシーン等々を発明、開発した彼が指揮を執って、彼のメソドロジーを完全に把握して既に<I・Q>がみな150以上に高まっているスタッフ総がかりで6時間のセッションを集中的に行い、「館友」のアイキュー、イーキューその他の数値を2倍近くまで向上さすべく尽力するのだ。 疲れが見えた場合には睡眠学習のセッションを挿んで対応する。そうして…少し退屈で散文的な記述が続くので以下は割愛するが、予備実験は詳細に実施されて、目覚ましい結果を残していた。10時間の集中的な「一夜漬け」が終わった後には、100人中99人までがアイキュー170以上の「天才」に変貌していた。芸術的な能力がある場合はそれがプロレベルまでに向上し、数学的な才能が有れば理科系大学の秀才レベルにまでそれが高まり…
再び割愛するが、こうして人類天才化の壮大な実験が始まったのだ!
来館者は引きも切らず、そうして「館友」となったものはみな「人生に革命が起きた!」と喜びの声を寄せた。
「図書館『夢』」の未来館、それは何と、人類の夢だったともいえる「天才製造工場」だったのだ!
すさまじい「夢」ブームが巻き起こり、「図書館『夢』」はその年の流行語大賞になった。
海外からも視察団が訪れ…
…読まずともわかる以下の大仰な記述についてはまたまた割愛させていただく…
「天才、か。みんなどうかしている。天才になったからってどうだっていうんだ。」
「『アルジャーノン』の結末みたいに人類全部がモルモットみたいにされていたことの悲痛さに気づくまでこのバカ騒ぎを続けるっていうのか」
図書館の外で、詰めかけている群衆を尻目にある男がそうつぶやいた。
「おれにはわかっているぞ。こんな夢物語がこのまま終わるものか。」
「きっとこの作者らしいシニカルなオチが待っているに違いない」
…
「と、図書館…」
「ん、なんですかね。兼木さん」
「もう意識はもうろうとしている。うわごとだ」
「図書館…おれの図書館は…大成功だから…」
「妙なうわごとですね」
「もう虫の息なのに図書館ですか。図書館に好きな女でもいるんですかね」
「不謹慎な」
「…お気の毒ですが、ご臨終です」
「社長は本が好きで有名な人だったですから図書館を経営する夢でも見てたんですかね」
その通りに「シニカルなオチ」だった。「図書館『夢』」というのは文字通りに、死の床にある兼木禰瑠氏が見た、「一炊の夢」、「邯鄲(カンタン)の夢」であったのだ。
エンドレスドリーム…見果てぬ夢に終わった、それゆえに「夢の図書館」。
こんな夢物語がそう簡単(カンタン)に現実に実現するわけがなかったのだ。
※「邯鄲の夢」… 〔出世を望んで邯鄲に来た青年盧生ろせいは、栄華が思いのままになるという枕を道士から借りて仮寝をし、栄枯盛衰の五〇年の人生を夢に見たが、覚めれば注文した黄粱こうりようの粥かゆがまだ炊き上がらぬ束の間の事であったという沈既済「枕中記」の故事より〕
栄枯盛衰のはかないことのたとえ。邯鄲の枕。邯鄲夢の枕。盧生の夢。黄粱一炊の夢。黄粱の夢。一炊の夢。
<了>
掌編小説・『夢の図書館』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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