十一、討論

 十二月三日。かねてより朝廷に願い出ていた天狗党追討を許された慶喜は、守護職、所司代の兵を率いて京都を発った。新撰組は京都に残り日常と変わらない巡察を行う。しばらくの間、緊張が続いていた隊士たちの表情は緩んだものへと戻っていった。

 そのなかで、敬助は、天狗党「追討」との言葉に違和感を覚えていた。

「それではまるで、天狗党の一団が賊徒のようではないかね?」

 離れの茶室にて、伊東の点前を受けながら、敬助は尋ねた。

「彼らは、あくまで公への嘆願のために街道を上ってくるというのに」

「山南くんも、そう思うか。一橋公に、会津さまや桑名さま。軍勢をみれば、まさに討伐。今夏の長州に対するようではないかと、僕も感じているよ」

「近藤さんが言うには、公は武田耕雲斎を説得なさるおつもりだと」

「つまり、自らが出向くことで、入京はさせず、嘆願書のみは受け取ると? それなら、なおのこと。そこまでの大軍は必要でないはずだと思うね」

「……これは、僕の目が、天狗党に贔屓がすぎるのだろうか?」

 敬助には、千歳とはまた異なる夏の惨劇が思い出されている。六角獄舎にて処刑される平野国臣らの姿だ。

 不敬を恐れずに言えばと前置きしたうえで、敬助は慶喜が体面を非常に重視する人物だと評する。天狗党は、幕府の兵に逆らった。そんな彼らが慶喜に会いに向かっているとなれば、慶喜に対する幕府の心証は、決して良いものではない。慶喜が『追討』との言葉を使い、朝廷にも願い、その許可を得てまで、自ら兵を率いて京都を出る。

「──御公儀の敵、朝廷より許しを受けた征伐。公は、もしや本気で彼らを討たれるおつもりでは?」

 敬助の予想に、伊東は息を飲んで、湯尺を握り込んだ。ありえない話ではないと応じる。

「一橋公はお上への筋目を何よりも重んじるお方だ……」

 つまり、孝明帝の許しを得た今、天狗党が慶喜への筋目を通さないと見れば、いくらでも苛烈な手段をもって対応にあたる可能性があるのだ。

「山南くん、何か動くつもりかい?」

「今はどうにも。しかし、事が起きそうだとなれば」

 敬助は一呼吸置いてから続けた。

「尊王攘夷を掲げる同志として、助命の嘆願を出したい。新撰組として」

 まぶたの下の目の色は、伊東には捉えられなかった。点てた茶碗を差し出すと、敬助は重厚な手付きでそれを頂き、飲み切った。


 不安は高まるなかでも、正月は近付く。事始めを迎え、巡察の合間を縫った大掃除は、数日をかけて隊内のあちこちで行われた。千歳は皆で行う大掃除が好きだった。前川邸離れや八木邸の大掃除も手伝いに出向いたので、障子紙を貼ることにかけては隊の誰よりも上手くできると、密かに自負するほどになった。

 前川邸の離れで最年少の五郎も率先して動いた。三日もすると、雑巾絞りを繰り返すその手には、あかぎれが広がり、ひび割れができてしまった。

「痛そう……大丈夫か?」

 千歳は懐の巾着から、啓之助より譲り受けた軟膏の壺を取り出すと、自身の手の甲で練って、五郎の手に付けた。

「はい、塗り込んで」

「痛、痛い……しみる……」

「よくこうなるの?」

「うん。でも、去年は江戸にいたからさ、宇都宮よりずっと暖かいからかなぁ、ならなかった。大人になるとならないともいうから、油断してたよ」

 五郎は痛みに耐えながら答えた。関節や指の股に沿った割れ目が赤く見えている。千歳は、薬を買いに行こうかと言った。

「三浦くんからもらったの、よく効くんだ。もうすぐなくなってしまうから、一緒に」

 支度を済ませたら、正門前で集合だと申し合わせて、千歳は副長部屋へ戻った。火鉢に寄り添って書き物をする歳三へ、手を着かないまま願う。

「すみません、中村くんと少し買い物してきます。ひび割れの薬です」

「中村くんと?」

 天狗党の一件で物々しい洛中だ。歳三はそこに千歳を遣ろうとはせず、千歳はこの半月間、屯所を出ていない。

「はい、一緒です。ないと困りますし、よろしいでしょうか?」

 用向きが薬であること、ひとり歩きでないことを強調して願うと、歳三が顔も上げないまま、うんとだけ言う。千歳は何か言われる前に、素早く一礼して立ち上がった。

 北風が強く、寒さは身体の芯にまで響いたが、千歳は久々に外の空気を味わった。名目上は薬を買う外出だが、千歳の真の目的は──

「五郎くん、ここ! 帰り、来よう」

 以前、羽織を買いに出たさいに寄った、西洞院の甘味屋だ。汁粉の幟が立っていた。五郎もこの店の味は気に入ったらしい。

 足速に軟膏を買い終わると、ふたりは道を戻り、甘味屋の座敷に上がった。お茶を持って来たのは、あのとき五郎の羽織に昆布茶をひっくり返した赤い前掛けの娘だった。あの羽織は後日、洗濯されて娘が屯所まで届けに来ていた。

「中村はん、おおきに。またお店来てくれはって」

「おいしかったからね。また、お汁粉を頼みたいんだけど、良いかい?」

「へぇ、すぐに持って来ます」

 十五歳くらいの娘は、入口の竈で鍋をかき混ぜる店主へ高い声で注文を称えると、恥ずかしそうに戻って行った。五郎は微笑んで見送ると、両手に湯呑みを取って、かじかんだ指を温める。千歳がわざとらしく、

「かわいいねぇ」

と囃すも、五郎は澄ました顔で返す。

「婦人のご容姿、口にすべからず、だ。酒井くん」

「容姿じゃないさ、こう、愛嬌?」

「そう」

「京言葉って良いよね。僕、上方の女の人、好きだ」

 五郎は昆布茶を飲んで、話に乗らない。堅物めと千歳は心の中でボヤくと、湯呑みを掲げて、かしこまった口調で言う。

「今日はお汁粉、お付き合いありがとう」

 今度は五郎も湯呑みを捧げ返した。

「こちらこそ、買い物にお付き合いいただきまして」

 ふたりは互いに礼をして視線を合わせると、湧き上がる笑い声を堪えた。大声を立てはしないものなのだ。

 汁粉が出された。千歳が思いついたように声を上げる。

「ねぇ、お汁粉って幸いを知るって書けるよ」

「うん?」

「ほら、お知る……幸」

 匙を置いて、千歳が掌に宙書きして見せると、五郎も理解してうなずいた。

「なるほど。幸福とは口が福なりとも書くからな」

「あー、口福か」

「君は今、コウフクかい?」

「ふふ、ふふふ!」

 ふたりは目を合わせると、しばらく笑いを抑えられずにいた。


 五郎が御池通の古本屋へ依頼していた本を取りに行くため、ふたりは店を出ると道を上った。二条城の手前で人集りに当たる。

「なんだろう?」

「あー、江戸のご老中方が上洛されると言われていたけど」

 人垣の向こうを見遣ると、槍や鉄砲を担いだ陣笠の軍団が、二条城へ入って行くところだった。

「松前さんやなぁ」

「一橋さん、大津まで出はったし、その分の警護やゆうて来はってんなぁ」

「ご立派な兵揃えや」

 騎馬の後ろを行く駕籠に、松前がいるのだろう。

 人垣に紛れて噂を拾うことは、奉公中によくしていた。まだ、あれから半年も経っていないとは信じがたい。

 盛夏、洛中目前に迫る長州兵に対してなかなか討伐に出ない慶喜の行動を、千歳は焦れる思いで追っていた。戦禍の恐ろしさを何もわかっていなかったから、無責任にも、さっさと討ち払ってしまえと考えていたのだ。

 今は違う。戦の重さを知っている。

「──仙之介くん、どうした? 寒いのか?」

 顔色を青ざめさせた千歳に五郎が気遣う。千歳は、何でもないと首を振って、人垣を離れた。

 二条城を背に、押小路を進む。

 考えるなと千歳は自分に言い聞かせていた。学問も友人も、本来の千歳には与えられない喜びだ。一点、政治に関心を持たない限り、歳三から庇護を受ける限り、保障される幸福だ。

 しかし、外を歩く今だけなら、歳三の耳には入らない。少しだけ、話しても良いのではないか?

「……五郎くん、江戸のご老中方と、京都の会津さま方、溝があるの知ってる?」

「対立がある、とは……」

「二月ごろかな。四条大橋に高札が建てられた。『会津さまは、主人が誰だかお忘れになったようだ』って。尊攘浪士の仕業だって見られたけどね、会津さまが朝廷寄りだって非難、ご老中方にも共有されているらしい」

 京都にあって朝廷を軽んじられない一会桑と、幕府と朝廷の二重権威が幕命の重さを相対的に奪っていると考える老中たち。

 近頃の幕府は権威回復に躍起になっている。例えば、参勤交代。文久二年には、一年ごとの江戸と領地との往復が、三年に一度、百日の江戸参勤で許されるようになった。それが、この九月に撤回されて、一年ごとの参勤が復活している。

 幕政が安定していた寛政年間への回帰を図っているのだ。

「つまり、仙之介くんもご老中のやり方には反対なのか?」

「……いや、そうだな。僕は──」

 そうだと言えば、幕政への批判になるのだろうか。

「……五郎くんは、どう思う?」

「何について?」

「その……」

 政治を語ること自体なら、五郎は問題にすらしていないだろう。では、幕政への批判を述べることは?

「えっと……」

「御公儀が公議政体とは逆を行こうとしていること?」

「う、うん」

 五郎に問い返され、千歳はひとまずうなずいた。五郎は、そうだなぁと小さく言いながら、北風に身震いして、襟を合わせ直した。

「揺り戻しとは、絶対に起きるものだと思う。特に公議政体のような、望ましいけれど難しい形をなすときは、やはり」

「五郎くんは、公議政体を支持する?」

「うん。間口を広く取れば取るほど、良い意見は上がるものだと思うからね」

「じゃあ、ご老中の……寛政以来の体制を維持しようとするやり方には、反対?」

「ああ。三浦くんが、青虫を蛹にさすまいと死なせてしまったと話していただろう? ご老中方の行いは、それとおんなじに思えるよ」

「……公議政体がなれば、御公儀の強力は弱まる。ご老中方は、それを恐れている……と思う」

「うん、まさにそうだ。だけれど、変わる過程は不安定になるもので、それは乗り越えなくてはならない」

 千歳は足を進めながら、右隣を歩く五郎を見た。千歳よりも少しばかり高い位置にある奥二重の目が見返す。

「なんだい?」

「……批判はしても良いことだと思う?」

「もちろん」

「なぜ?」

「目指すべき姿と、現在の姿。その差異を捉えずして成長は望めない。その差異を見出して、差異を埋める方策を探ることこそが、批判であるから。批判は成長に不可欠だ」

「……簡潔だなぁ」

 五郎の回答にはいつも、整然とした理論を感じる。


 五郎が古本屋に依頼していた本は、蒲生君平がもうくんぺいの『山陵志さんりょうし』。天皇陵に関する調査資料だ。

「お給金をいただいたら、まずこれを買おうと決めていたんだ」

 帰り道、五郎は両手に二巻の冊子を握りしめ、嬉しそうに話した。蒲生は五郎と同郷である宇都宮出身であり、五郎の最も尊敬する学者でもあるそうだ。

「学者では蒲生先生。ご家中では、戸田大和守さまを一番に尊敬する」

「戸田さまって、山陵奉行の?」

 宇都宮藩家老の戸田は、山陵の荒廃を嘆き、補修すべく藩主の名で建白を出した。それが認められ、二年前、新設された山陵奉行の職に朝廷より任じられている。今年の初めには、神武天皇陵の補修を終え、朝廷と幕府の双方より褒賞を得ていた。

「蒲生先生の研究はすごい。その研究を元にして、実際に行動を起こした戸田さまは、やっぱり偉大なお方だと思うよ」

「行動かぁ」

「うん、行動。実践。それが肝心だ」

 その晩、遅くから牡丹雪が降り、翌朝、辺りは一面の銀世界だった。

 啓之助に起こされた千歳は、未明から雪玉投げに精を出した。千歳たちのはしゃぎ声に五郎も起きてきて加わる。信州と野州育ちの少年たちは、千歳よりはるかに雪玉の扱い方を心得ていた。

 汗ばむほど遊んでから、啓之助は南天の実と夾竹桃の葉とを使って、器用に雪兎を作ってみせた。さらに、小さなかまくらを作って、夜には蝋燭を灯すという。千歳も手伝って、雪の小山をくり抜いていった。

 五郎も小山を作っていたが、その形は歪で、丸に台形がつながったものだった。千歳が尋ねる。

「それは何?」

「陵墓。前方後円さ」

 円墳、方墳、双円墳に、上円下方墳。五郎は様々な形の陵墓を作って見せた。天智天皇陵などに見られる八角墳は、整形に手間取っていたが、その難しさを指して、八角の陵墓が帝のものに相応しいとの説明は、千歳を納得させた。

「帝の御陵は今でも八角?」

「いいや、近年は九重の石塔だ。東福寺の奥、今熊野に泉涌寺せんにゅうじという皇室の菩提寺がある。歴代の帝方の御陵だ」

「お寺さんにあるのかぁ。あれ、いつからだろう。たしか、正親町天皇は陵があられるけど」

「後水尾天皇よりは、ずっと泉涌寺だ。八百万の神を祭祀し奉る帝の御陵だから、仏道の入る以前の古来に倣って、純粋に御柱としてお祀りし奉るのが良いと思うんだけども」

 雪の塊を盛ったり削ったりしながら、ふたりは話した。千歳は五郎より『山陵志』を貸してもらうことにした。

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