おもかげのCharme

小鹿

一、遠き日のrésultat

一、訪れ


 彼岸も中日。壬生みぶ寺の門前には、柄杓を挿した木桶やら、包んだ菊花やらを手にした町衆が行き交っていた。ごく稀に悲しみの顔を伏せる一団もあるが、多くは思い出話に興じる。

 途切れない読経、墓参客の話し声。振り売りもうたい文句を述べて歩いた。騒がしいなかに、さらに一声、男児の泣き声が挙がる。

 さては迷子かと、土方歳三ひじかたとしぞうは辺りを見回したが、泣き声の主は、若い母親の腕の中で地団駄を踏んでいた。振り回される小さな手の先には団子売り。さっき飴を食べたばかりだと宥められようとも、張り上げる声は収まらない。

 歳三は笑い声を抑えて、同道の山南敬助やまなみけいすけへと顔を向けた。

「我の強い子ほど、大成すると言うからね。あの坊やも、立派な男子になるだろうさ、なぁ?」

 忍び笑いを交わした新撰組の両副長は、揃って表の道へ出た。壬生寺にて弔われる隊士の彼岸供養を終えて、帰営するところだった。寺と道を挟んで東、半丁ばかり北に位置する屋敷が、彼らの宿所とする前川邸だった。

 普段は人通りも少ないこの道も、今日ばかりは老若男女が行き交う。歳三たちは、幼いころに叱られた悪戯を挙げながらも、道行く者たちへと目を光らせて歩いた。

 近年、京都の治安はあまりに悪い。尊皇攘夷を掲げた浪士勢が跋扈ばっこして、開国派と見做みなした者たちへと、天誅やら焼き討ちやらを予告していた。実際に転がされた死体に出会うことも珍しくない。そのため、治安維持が図られて、一年前に設置されたのが、京都守護職。その指揮下にて、歳三たち新撰組は市中警邏を担っていた。

「──おい、山南さん、あれ」

 歳三の声には、警戒よりも疑念が強い。指し示す先は、道に面した前川邸の裏門。目深に笠を被った十五歳ほどの少年が、中を覗き込んでは身を引き、その場で二、三歩、歩き回っては再び門柱に手を掛け、身を乗り出していた。

 敬助も、悪い目を凝らして、少年の姿を捉える。手甲に脚絆。振袖仕立ての船底袖を着流しに、袴は着けない。しかし、腰に帯びる小刀は、粗末な着物や貧相な肉付きとは不釣り合いに、二本差しで用いる上等なその片割れだった。

「誰かの縁者だろうかね。隊の者を追って、上京してきた。にしては、旅装束が整ってないし……まさか、訃報を告げに走り来たとか?」

 敬助は仮定を述べると、足速に少年へ歩み寄った。小柄な撫で肩の背を、歳三も追う。

「だけど、それなら、正門から来れば良いじゃないか。裏門を覗き込むなんて怪しい、間者かもしれねぇよ」

「あんな、おどおどした間者があるものか。──君、新撰組に何かご用かい?」

 敬助の声かけに、少年は小さく飛び上がると、脚に一瞬のためらいを見せて後退り、そのままふたりから逃げるように駆け出した。

「──待て!」

 やはり、怪しい奴だったではないか。歳三はすぐさま追いかけた。白茶色の振袖が、墓参の町衆をかき分けて走る。衆目のなか、綾小路の角に至る手前で、歳三の手は少年の襟首を捉えた。

 少年の脚が絡み、体勢が崩れたところを引き寄せ、前川邸の板壁に抑え付ける。笠を剥ぐと、日差しにまぶしい赤毛の前髪が揺れた。強く閉じられた目、薄い肩、細い手首。いずれも少年の年若さを克明に訴えており、歳三は思わず緩みそうになった力を込め直した。

「──土方くん、土方くん! いったん離せ、子どもじゃないか、ほら」

 間に入った敬助が、少年の両肩を包み歳三から引き離すが、少年は敬助の腕から逃れようと身じろぎしながら、歳三へ向かう。

「土方、歳三──?」

 か細くも、押し殺した感情がにじむ声。赤毛と同じく、明るい琥珀色の目には、涙が満ちる。歳三は、仇討ちかと身構え、刀に手を掛けた。しかし、次に出された少年の言葉は──

「父上さま……!」

 歳三の息が止まり、敬助の手が少年から離れた。

「父上、私──」

 延ばされた手が、宙を掻く。少年は微かに震えながら、力なく膝を折り、通りへと倒れた。


 知らない、何かの間違いだ。新手の強請ゆすりかもしれない。早口に言い立てる歳三をいなして、敬助はふらつく少年を抱き抱えると、前川邸の西向かいにある分宿の八木やぎ邸へと入った。

 当主の妻、まさは大変面倒見の良い京女で、すぐに奥座敷へと布団を敷いて少年を横たわらせると、粥を用意するため土間へ降りた。敬助は、なおも無関係を主張する歳三を縁側へと連れ出す。

「土方くん、落ち着きなよ、まだ何も──」

「あんたこそ正気か! か弱く見せてるだけかもしれねぇだろうが!」

「声が大きい。とにかく、まだ名前すら聞いてないんだから。話を聞き出さないことには、何もわからないだろう?」

「だから、あんなデカいガキ、いるわけがねぇんだよ。まだ二十九だぞ、俺は!」

「事実の如何に関わらず! あの子は君を父と信じて上京してきた。誤解だと言うのなら、誤解に至った経緯を聞き出したうえで、訂正するんだ、彼に。僕に違うと弁明したって、仕方のないことだろう?」

 敬助が奥座敷を指し、戻るように示した。歳三は舌打ちとため息を残すも、座敷へと向かう。敬助も後を追ってくるので、露骨に煩わしさを表した。

「あんたも来るのか?」

「同席させてもらうよ。良いから、君、拒絶を述べることだけは──」

「わかったよ、わかったから」

 これ以上の忠言などいらない。歳三は荒く障子を開け、少年が怯えて身体を起こすことを止めもせずに、枕許へ座った。

「あんた、名は? 出身と年と、母ちゃんの名も。俯いてねぇで、顔見せろ」

 歳三は、人相を覚えることには自信がある。数年前までは武州一円で家伝薬を売り歩いており、一度薬を卸した顧客なら、違う町で会ってもすぐにわかったくらいだ。

 少年の青い顔が、恐々と向けられた。やはり知らない。細い赤毛の前髪、痩せた頬。全身は、泥と砂埃にまみれて小汚い。それでも、髪と同じく明るい色の目ばかりはきれいだなどと思い至った心を諫めるように、歳三は顔を険しくさせた。少年が薄い唇をわななかせて開く。

「わ、私……あの、大変なご迷惑を、おかけいたしまして……まことに、申し訳ございません」

 布団を降りて、深く頭を下げる少年の所作は、賎しくはない出自を物語る。側に置かれた小刀の鞘は艶消しのなされた黒漆で、鍔の金地もきめ細かい。武家か名主、もしくは寺社など、それなりの家の者だろう。なおのこと、心当たりはなかった。

 容姿にさえ、土方家の色がない。歳三には五人の兄姉がいて、甥姪や従兄弟も大勢いる。血のつながりは、どことなく似通った色を出させるものだが、この少年には全く見受けられない。

 たしかに、歳三と同じく色が白くて、二重まぶた。今でこそ面長な歳三も、幼いころは卵に目鼻と言われたくらいで、この少年も、なだらかな輪郭をしている。

 けれども、それは敢えて分類すれば同質であるに過ぎず、例えば、土方家の者は豊かな黒髪だが、この赤毛の少年は、後ろに束ねた毛束も貧しい。また、目の形を取っても、歳三の目尻は目頭より少し下がった位置にあるのに対して、この少年の目は目尻が上に流れる切れ長な目だ。第一、琥珀の目をした親類はいない。

 歳三に冷静さが戻り来る。考えるほどに、今の状況が馬鹿らしかった。大きく息をつく。

「取り敢えず、母ちゃんに何聞かされたか言いな。先に言っておくが、持たせてやれる金はないぜ?」

 背後から敬助が歳三の名を呼び諫めるが、歳三は詫びもしない。下唇を噛みながら涙を堪える少年の様子に、ますます口は勢い付く。

「お前、会いに来たんなら、名ぐらい名乗れよ。──だんまりかい? じゃあ、手形見せろ。ほら、早く」

 旅行人なら必ず携帯している身分証明書だ。名前だけでなく出身地や身分階級もわかる。歳三は手を突き出すが、少年の拳は解かれない。

「おい、ご存知ないかもしれねぇが、新撰組は悪い奴らを捕まえるのが仕事なんだ。大人しく手形出さねぇようなら、牢にぶち込むぞ」

「……土方くん」

「山南さん、これは尋問だよ。俺はこいつを間者と見てる。父だのなんだの、それより先に、こいつには身許を明かしてもらわねぇと。親切につけ込んだわけじゃねえって」

 歳三は敬助を振り返りもせずに、冷ややかな目を少年へと向け続けた。身ぐるみ剥がされたいのかと脅せば、少年は涙をこぼしながら、懐から書状を出した。差し渡されるより早く、歳三は奪い取り、中を改める。

 十三歳、甲州街道府中にある浄土寺に身を寄せる酒井仙之介さかいせんのすけ。歳三が鼻で笑う。

「なんだ、やっぱり苗字持ちかね。俺ぁ、そんな後腐れしそうな家の娘にゃ手を出さねぇ性分でね」

 手形の発行者は浄土寺の和尚で、寺にて預かる檀家の少年を、母の三回忌に合わせて、本山の知恩院へと参詣させる旨が書かれていた。

 しかし、浄土寺の和尚なら知っている。歳三も習った能書の一門では、名手と言われた人物だった。この手形のような拙い筆運びとは、似ても似付かない。

「偽手形の仙之介坊よ。お前、本当はなんのつもりでやって来た……?」

 歳三に凄まれた仙之介は、口を閉ざしたまま俯き、身を震わせて泣くばかりだった。

「おい、なんとか言わないと、痛い目みるぞ」

 歳三の右手が仙之介の前髪を掴み、白い額ごと上に向かせた。しかし──

「え……?」

 すぐに離した。見覚えのある気がした。明るい目、水平に引かれた眉、丸い額、赤い髪。一点を見据えて、静かに泣く寂しがりな娘。歳三が初めて愛すも、歳三を裏切った娘。

「──お志都しづ、さん?」

 仙之介が息を飲み、歳三を見つめた。琥珀の目を受けて、再び歳三の呼吸が乱れる。背に冷や汗が流れ、記憶の奥底からは、忘れていた種々の感情が蘇った。

 憎悪、嫉妬、嫌疑。責め立てるいくつもの言葉に埋もれてなお光る、甘い口付け。肌の匂い。まつ毛に涙を絡ませた琥珀玉の目──。

「おい、歳三くん……?」

「──違う!」

 肩に置かれた敬助の手を思わず払う。歳三の脳裏は、微笑みと柔らかな高い声に占められていた。本郷の剣術道場、明練堂みょうれんどうの下女だった娘は──


『──私? 志都というの』

 出会ったのは、歳三が十五の初夏。小伝馬町の反物屋で奉公していたときで、接客に付いたのが初めだった。一目見て惹かれ、注文のやり取りのなかで恋を自覚した。

 道場へと納品に上がったさい、夕立に足留めされた。縁側にて激しい雨に打たれる菖蒲を見ながら、思い切って尋ねた。

『どんな人が好きだい?』

『……頼りになる人が好きよ』

『俺じゃ、まだ頼りにならねぇかい?』

 握った手を、志都は振り解きはしなかった。しかし、付き合って一年も経たないうちに、避けられ始めた。同じころ、ほとんど話したこともなかった道場の若塾頭に試合を挑まれ、完敗した。最後、鍔迫り合いから床に叩きつけられ、見下ろすままに告げられた。

『ウチのお嬢さんのところには、もう来るな。あれは俺が迎え入れる娘だ』

 結局、志都は年若い奉公人に過ぎない歳三よりも、明練堂の養嫡子である若塾頭を選んだということだ。以来、一度も会っていない。

 それから、数年後。所用のため、明練堂の前を通り過ぎたとき、垣根越しに志都の姿が見えた。幸福に満ちた笑顔の先には、若塾頭と、彼に抱き上げられた五つほどの娘。志都と同じ赤毛を風に揺らす、赤い振袖の娘だった。


「──そう、娘だったぞ」

 歳三は呆然とした声で呟くと、「仙之介」の顎をきつく掴み、乱雑にも自身へと引き寄せた。小さく声を漏らして、前のめりに倒れかけた「娘」が、歳三の上腕へ手を突く。その軽さ、細さに、疑念は確信へと変わった。

「お前、女か……?」

 十四年前に歳三を惹きつけた明るい目が、恐怖と悲しみに揺れた。

「申し訳ございません……」

 喉の奥から絞り出された声を最後に、娘はまぶたを閉ざした。

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