第271話 善なる心

 ゲルズズは膝を突いて項垂れたまま、片手を皇帝かと思われる人が座る玉座の肘掛けに手をかけた。

「……グエンリールは。グエンリールはそのために塔に籠もったのか……賢者としての輝かしい未来がありながら……」

「……そう書き記してありました」

 ゲルズズの問いに私は答える。


「……ここまではどうやって来た。いくらグエンリールの遺した竜がいたとしても、各要所には戦力を配備していたし、ましてやこの城下町から城内も武装させていたはずだ」

「この祈りの石の力で、大抵のものの意識は正常さを取り戻しました。……そういえば、あなたは彼らに何をしたのです。彼らは最初異常でした。盲目的に指示に従い、疲れも恐れも知らずに戦っていました」


「私が作った薬だ。……それが疲れも知らず、眠気も知らず、勇猛果敢に恐れることなく戦える戦士を作る」

「……なんてことを……。この石は、すべてを正常化する石。人々に本来の良心を取り戻させ、異常な状態から解放します」


「……私は賢者の石これを完成させたかった。私は、融資者パトロン、たとえそれが何物が定めたものであろうと、法の正義という名のもとに、囚われ人として言われるがままに研究せざるを得なかったのだ。だが、それを完成させれば、そのせいで私が失ったすべてのものが、そのむなしさが消えるのだと。達成感によって永遠にこの帝国で生きていけるのだと、そう信じていた……だが」

 そう言葉を句切ると、ゲルズズは両手で顔を覆う。


賢者の石これを完成させたとしても、最高にして唯一の友は永遠に還ってこない。その上、彼は私が作り上げようとしていた、なそうとしていたこととは真逆のことを目指していたなんて。真逆の道を歩いていたなんて」

「……そうよ。あなたのために」

「……なんてことだ……」

 ゲルズズは、「……ああ……」と言って、その場で額を床につけた。


「お前……いや、グエンリールが遺した娘よ。グエンリールがその素材を遺し、そなたが作ったその祈りの石を、私とこの皇帝傀儡に使ってみてはくれないか」

 額を床につけたままで、まるで懇願するかのようにゲルズズがそう申し出た。


 ……そういえば、皇帝なのに、なぜこの人は何も言わないのだろう?


「……皇帝陛下は……」

「……これは生きているだけの存在モノだ。すでに心の臓しか動いていない。見えず、聞くことも出来ず、口もきけない。ただの人形だ」


「え……? それじゃあ、他の人たちはどうして言うことを聞いて……」

 私は、自然と眉根に力が入りしわが寄っているだろうことを感じた。


「私が、彼が話しているふりを陰でしていただけだ」

「……そんな」

「……これも、もう終わりでいいだろう……」


 ……これを使ったら、私はこの人を消滅させる殺すことになるのかしら?


 それを思うと、石を使うのはためらわれた。

 そのためらいを感じ取られたのだろうか。


「人を殺すのは怖いか?」

 そう、ゲルズズに問われた。


「……怖くない人間になどなりたくはありません」

 私は、それにはきっぱりと答えた。


「じゃあ、こう考えればいい。一般的な法律の下では人をこの世から消し去ることは悪だろう。だが……」

「……」


「……私はグエンリールと同い年だ。この皇帝は、さらにもっと上」

「……」


「……生きているほうが異常な存在だとは思わんか」

「……それは……私には決めかねます……」


「じゃあそうだな……」

「……なんでしょう」


「……私をグエンリールの元へ逝かせてくれ。輪廻の輪の中に戻るのを許されるのかわからないが、もう一度だけでも、あいつの顔を見たい。会いたいのだ……会いたいのだ……! この訴えでも、心の中の善なる心を動かすことは出来ないのか⁉︎」

 そう繰り返すと、ゲルズズは慟哭を始めた。


「知らなかったのだ。決別したと。私を見限って去ったのだと、ずっと思っていた。だが、その生涯を賭して、私のことを改めさせるために人生を費やしたのだなんて……! 真の友だったのだと、気づけなかったのだ……!」

 そういうと、頬を濡らす涙をそのままに、ゲルズズが顔を上げた。


「頼む! それを、私に使ってくれ! 『正常な状態になる』のなら、もうこの命は潰え、あいつに会うことが出来るはずなんだ……!」

 その表情は必死で、嘘偽りのないであろう表情をしていた。


 でも、グエンリール様は、自分の研究の一部を使って、友人であるゲルズズの命を奪うことを願うだろうか?

 そう考え出すと私は答えを出せず、動くことが出来なかった。


 ゲルズズが盲目的に辿ってきた『法の正義』。

 グエンリール様が歩み、今ゲルズズが乞うている『善なる心』。わからない。

 どちらも正しいように思えるし、後者が正しいようにも思えた。


 私にはどうしても自信を持って判断することができなかった。


 すると、すぅっと黒い薄闇が床から立ち上がって、かつて星のエルフの里で出会った冥界の女神様が顕現なされた。

「女神様……!」


「デイジー。大丈夫、使いなさい……その結果は、私の管轄。今世で愚かな振る舞いをしたこの二つの魂の管理も私の仕事だ。……さあ、ためらいはいらない。貴女の心の中に少しでも彼を哀れむ善なる……温かな心があるのであれば、悲しい結果には、ならないから」

 そう告げると、そっと私の背を押した。


 私は、心を決めて、ぎゅっと祈りの石が飾られたアゾットロッドを握りしめてから、アゾットロッドを天に向けてかざした。


 覚悟を、決めた。


「……祈りの石よ。ゲルズズと皇帝を……シュヴァルツブルグを正常に戻してちょうだい!」

 私は天に向かってそう叫んだ。


 すると、厚く重なっていた鈍色の雲がだんだん風に吹き飛ばされいき、やがて、太陽の光が雲間からまるで光のカーテンのように差し込んできた。


 その光の一部がゲルズズと皇帝をも照らす。

 水銀で汚染され続けた彼らの体はその形状をとどめることもかなわずに、末端からまるで灰のように崩れていく。


 ……痛くはないのだろうか、辛くはないのだろうか。

 相手が相手だといっても、どうしてもそう、心が痛んだ。


「……大丈夫」

 冥界の女神様がそう呟く。


「……おいで、グエンリール。お前の友達がやっと気がついたよ」

 そう告げると、女神様の横に、若葉色の柔らかく波打つ髪を持った若者が姿を現した。

「……グエンリール……」

 ゲルズズが、崩れゆく指先をその人に向かって伸ばす。

 その顔は笑っていた。


「……会いたかった……」

 そう言い残して、ゲルズズは笑顔のまま灰となって崩れ落ちていった。若かりし頃のグエンリール様と思われる若者の、腕の中で。


 グエンリール様は、まるで慈愛とでも表現したら良いかのような微笑みを浮かべていて。灰になっていくゲルズズを、まるでそのかいないだくかのような仕草をしていた。


 そして一言漏らしたのだ。

「待っていたよ。そして、お帰り、我が友よ。……に気づけたのなら大丈夫。おいで。もう、私もお前も一緒。お前も定められた輪廻の輪の中に帰れるはずだ」


 ゲルズズの作りかけの賢者の石もまた、灰になって崩れ去る。皇帝も、ホムンクルスも、全て。


 そうして冥界の女神様が言ったのだ。

「……輪の中に還るよ、」と。

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次回、最終話です。

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