第57話 アトリエ・デイジー

 春。

 若葉が萌え花咲きみだれる季節だ。

 私は、今、開店初日を迎える自分のアトリエの前に立っている。そしてその横にはリーフが『おすわり』をしている。


 向かって右側が錬金術の工房のスペースで、その左隣に、オープンスペースで食事をしていけるパンの工房スペースがある。もちろんパンは持ち帰りも可能だ。

 そしてその中央の上部に、『アトリエ・デイジー』と木彫りされた看板が飾られている。文字の前後には、私の名前『デイジー』にちなんで、デイジーの花が大きくふたつ彫られている。文字は明るいグリーン、そして前後を飾るデイジーはピンクと白に塗って貰った。


 この国では、一週間が七日、そしてそのうち最後の一日の安息日は原則休日と定められているため、それに則って、『アトリエ・デイジー』は週のうち六日が営業日、残った安息日はおやすみである。


 錬金術の工房は、ドアを開けて来店すると、接客カウンター越しに店員とお客さんが対面する。そのカウンターには、呼び鈴が置いてあって、もし私やマーカスが中に籠って作業したり、パン工房の方に手伝いに行ってもお客さんの来店に気づけるようになっている。


 パン工房エリアには、持ち帰り用のパンの見本を飾っておける棚と、衛生面を考えて、実際に商品にするパンをしまって置く棚があり、今まさに焼きたてのパンをミィナが並べて開店の準備をしている。

 マーカスは、朝一で畑の水やりと店の周りの掃き掃除を終えて、今はテーブルの拭き掃除をしている。


 カチュアは、常勤ではないので今はいない。

 アトリエの経理やお金の管理をするのは私なのだけれど、そういった面で問題は無いかフォローアップをしに、不定期にやってくる約束になっている。


 パン工房の方にその日置く商品は、基本ミィナのアイディアに任せている。今日は、『ふんわりパン』をひらぺったくして上にサラミと薄く切ったアスパラガスを乗せたもの、もうひとつは『デニッシュ』の上にクレームシャンティとイチゴのスライスを飾ったもの、そして定番品とするつもりのシンプルな『ふんわりパン』と『三日月形のデニッシュ』の四品である。パンはものにもよるが、大体三百から五百リーレの値段をつけている。


 飲み物は紅茶か、果実の風味をつけたお水で、今日はオレンジ風味で用意したそうだ。なお、店員全員が飲酒できるようになる十五歳に達していないので、お酒は置いていない。


 また、この国では、お店の開店のお祝いに、切り花ではなく沢山の花が咲く鉢植えを送る習慣がある。『その土地に根付き、花がたくさん咲くように商売が繁盛することを願う』という意味から来る風習だ。開店日前には、今までお世話になった人達から沢山の鉢植えの花が贈られてきたので、二階と三階の窓の外にある、花を飾るためのスペースに飾らせてもらっている。色とりどりの花々が私のアトリエの外壁を彩り、開店を祝ってくれている。


 建物の裏には広々とした薬草畑があって、緑の妖精さんとマンドラゴラさんが陽射しを全身に受け止めて春を謳歌している。彼らのお引越しも完璧だ。

 開店にあたって、ミィナがパンや私たちの食事用のハーブ類を畑で育てることを希望したので、ローズマリーやチャイブ、バジルといったラインナップも増えた。


 焼きたてのパンの香りがご近所を漂っている。それが気になるのか、近所にあるたくさんの窓がかわるがわる開き人の顔が出てきて、私の店の様子を窺っている。

 そして、朝早くから、迷宮都市に向かう冒険者達も、何の香りだろうと店を覗きながら通り過ぎていく。


 街中に教会の朝の三の刻を告げる鐘の音が響いた。

 さあ、開店の時間だ。私とリーフも錬金術の工房の店内に移動した。


 お客さま第一号は、新しい店に興味を持った通りがかりの男女二人ずつの冒険者四人組だ。

「随分いい匂いがするけれど、これは食べ物なのよね?」

 一人の女性冒険者が、ミィナに尋ねた。

「はい、錬金術で柔らかくなるように改良したパンですよ。こっちの生地はふっくら柔らか、こっちの生地はサックリしっとりな生地なんです」


 冒険者の女性二人は、イチゴの乗ったデニッシュに釘付けだ。

「ねえ、リーダー、買ってよ。美味しそうよ!」

 このパーティーは、カップル同士なのだろうか、それぞれの女性が男性の腕に腕を絡めてねだっている。

 結局、イチゴの乗ったデニッシュと、サラミの乗ったパンを二個ずつお買い上げ。支払いを終えて、食べ歩きしながら去っていった。


 錬金術の工房にもお客さんがやってきた。

 三人組のパーティーで、そのうち一人が女性だ。

「ねえ、ポーションの効果が二倍なら、トイレの回数減るよね。マナポーションがぶ飲みって辛いんだよね、正直。私、ダンジョンの階層深くまで潜るなら、このマナポーション欲しいわ」

「お前そんなこと気にすんの?今更じゃね?」

 と、女性の恥じらいを汲み取らなかった男性は女性に頭を叩かれていた。

 国に卸している値段と同じ価格設定なので、男性は高い!と文句を言っていたが、結局そのパーティーはマナポーションを二本買っていった。


 そして、パン屋の方に次の客がやってくる。窓からちらちら見ていた近所の人だ。

「子供が食べたいって聞かなくてね。一番安いパンを試しに四個買わせて貰うよ」

 そう言うと、ミィナが勧めた、シンプルなふんわりパンを朝食用に買って向かいの集合住宅に消えていった。


 こうして、『アトリエ・デイジー』は、落ち着いた開店日の朝を迎えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る