第56話 家族みんなで!

 相変わらず私はカチュアさんに助けられながら開店準備に駆け回っていた。

 カチュアさんと一緒に書き直した三階建てのイメージ図を元に大工さんと相談、契約したり。薬の保管庫は時間経過しないという特殊な性質を、空間魔術を使って付与してもらわなければいけないので、魔道具店で特注で作成して貰う事にする。


 建築工事に入ってからは、週に一度は工事の状況を確認しに行った。

 一階部分の台所が出来れば、ミィナと調理器具や食器棚などの大きさや配置を確認する。

 アトリエ部分が出来たら、マーカスと、実験器具や薬品棚の配置について確認し合う。

 ダンやマーカスに手伝ってもらって新しい畑を作り、上手く畑の引き継ぎが行くように、種を蒔いたり、苗を植え替えたりする。


 そうやって奔走する毎日の中、私はまたひとつ歳を重ね九歳になって、実家で過ごす最後の年を駆け抜けるように過ごしていた。

 自宅の裏の森にベリー達が実る春を過ぎ、庭の薔薇が咲き誇る夏を過ぎ、秋の実りの季節を迎えていた。


 そんなある日の晩、私が就寝しようと自室に戻ろうとした、そんな時間。

 暗いながらも、庭にぽつんと立っているお父様の後ろ姿が見えた。

 私はその背中がとても寂しそうに見えて、暖かいガウンを羽織り、庭に足を運んだ。羽織もののない露出した肌、頬が少し肌寒い。


「お父様」

 そう言って、お父様が羽織るガウンの裾をキュッと握る。

「星が綺麗だなって思ってね」

 そう言ってお父様が見上げる先には、濃い群青の夜空が広がっていた。月は薄く三日月で、幾百幾千ともしれない星々が競うようにキラキラと瞬いている。


 お父様は、私の身長に合わせて屈むと、私の両脇に手を差し込んで私の体を持ち上げ、膝裏に腕を潜らせてその腕に私を座らせるようにして抱きあげる。


「来年の春になったら、デイジーはアトリエへ、レームスは学院の寮に行ってしまうんだよね。次の年にはダリアも入寮だ。……この家も寂しくなるね」


 そう、お父様の言うように、来年の春に十二歳になるお兄様は、本格的に魔術師としての勉強をするために国立の貴族学院へ進学する。そして、同じく次の年にはお姉さまが。

 プレスラリア家の年子の三人の子供たちが、慌ただしく家を離れていく。


「……子供の成長は早すぎるよ。もっとゆっくりと育ってくれたらいいのに」

 そう言って、抱き上げた私をぎゅっと抱きしめる。


 その時流れた一筋の流れ星は、大人だから泣く事の出来ないお父様の代わりに空が涙を零しているようで。

 私もぎゅっと胸が締め付けられ、お父様の肩に顔を埋めた。


「お父様。今夜は私、寂しくて一人で眠れそうにありません。お父様と一緒に寝てもいいですか?」

 お父様の肩から顔を上げて、私にしては珍しくおねだりをする。

 すると、お父様の薄い唇が、三日月と同じ形にゆるりと弧を描く。慈愛に満ちた私を見つめる瞳も柔らかに細められている。

「勿論だとも。そういうお願いは子供の特権だ」

 そう言ってお父様は私のおでこにキスすると、私を抱きしめたまま庭から屋敷へ帰ったのだった。


 ◆


 翌日、厨房にあるテーブルに向かい合って座りながら、私はミィナとこっそり相談をしていた。

「ご家族の思い出に残るデザートを用意したい、ですか……」

 うーん、と首を傾げて悩んだあと、ミィナは「ちょっと待っていてくださいね」と言ってキッチンの奥に何冊か置いてある本の中から、一冊の本を持って戻ってきた。


 そして、私の待つテーブルの上であるページを開いて見せてくれた。それは、ケーキの土台になる薄い生地の作り方が書いてあるページで、私には、これが『思い出になるデザート』とどう繋がるのかわからなかった。

 そんな私に、ミィナが丁寧に提案と説明をしてくれる。

「こういう、卵を泡立てることで膨らませる生地があるんですよ。これを、大きく広く焼いて、何かクリームで挟んで重ねることで、大きな四角いケーキにして……ご家族のみなさんで〇〇〇したらどうでしょうか?」

 〇〇〇の部分は、まだ私とミィナだけの秘密だ。


「そうだ。クレーム・シャンティ!牛の乳のクリームにお砂糖を入れたものをよく泡立てると、それは美味しいクリームになるらしいの!」

「それで試してみましょうか!」

 私たちは顔を見合わせてにっこりと笑った。


 その翌日、私達は試作品を作ってみた。

 まずは生地を作る。

 温かいお湯の入ったボウルの上にボウルを重ね、卵を割入れて解きほぐしたものにお砂糖を加えて、大きめのフォークで白くもったりするまで泡立てる。

 ……フォークで泡立てるのってすごく大変。仕上がるまでにかなり苦戦した。見かねたミィナが手伝ってくれて、二本のフォークを使って手際よく仕上げてくれた。


 その泡立てたものに、ふるいにかけた小麦粉を入れて、ヘラで粉っぽさが無くなるようにかき混ぜながら、途中で温めた牛乳と溶かしバターを加えてさらに混ぜる。

 バターを塗った天板にその生地を流し込んで、予め温めておいたオーブンで焼き上げる。

 ちなみに今回は試作品なので、一枚だけ焼いて、それをカットすることで四枚焼いたことにする。


 今度はクレーム・シャンティ。

 丸い木でできた『遠心分離機』の外箱の蓋を開けて、中に入っているガラス容器の中に牛乳を入れる。蓋をしたガラス容器を中にセットして蓋を閉め、『遠心分離機』に付いている手回しの取っ手を持って、ぐるぐる回す。すると、中で牛の乳が入ったガラス容器がぐるぐると回り、クリーム部分と脂肪分が抜けた液体とに分離できるのだ。これを繰り返して、必要な分だけクリームを取り出した。

 次は、分離したクリームにお砂糖を加えて、ボウルに入れる。その下に、魔法で出した氷水を入れた一回り大きいボウルを重ねて、またフォークでかき混ぜていく。『ツノ』が立つくらいまでしっかり泡立てていく。


 まずは、試作品第一号。

 形作りは、頭の中にイメージがあるミィナにお願いした。

 ミィナが、平たい生地を置いて、その上にクレーム・シャンティを塗る。そして、さらに生地を重ねて、四角い全ての辺の生地を切り落として、綺麗に成形する。そして、その綺麗な四角い生地の塊の上から、全ての面にクレーム・シャンティを塗って、ケーキを仕上げた。


 ……これが四倍の大きさになると思うと、見た目にかなり寂しい。


「うーん、上には何か飾りをした方が良いですね」

 ミィナの感想に、私もうん、と頷いた。

「ひとまず、試食してみましょうか」

 ミィナはそう言って、ケーキを半分にカットする。

 カットした面は、生地とクリームの層が重なっている。

「うーん、こう、切った時にもう少し感動があるような断面が欲しいですね」

 ミィナは不満足そうだ。感動がないのか、エプロンの下から少し覗くしっぽの先端は全く動かない。


 ミィナは、その二切れのケーキを皿に取り分け、デザート用フォークを添えてそれぞれの前に置く。

 パクリ、とひとくち食べてみる。

 クレーム・シャンティと生地を一緒に頬張ると、滑らかなそれはトロリと口の中で溶けていく。うん、美味しい。美味しいんだけど……。


「もう少し、甘さや食感のアクセントが欲しいですね……」

 私が思っていたことを、ミィナが隣で代弁してくれた。

「ジャム!カシスのジャムをヘラで濾して果実の繊維を取り除いて、一番下の生地に塗ったらどうかしら?」

 私がミィナに提案してみる。

「ああ、その甘さのパンチはいいですね!」

 うんうん、とミィナが頷く。「あとは……」そう呟いてミィナが暫し考える。

「今の季節ですと洋梨……洋梨のコンポートを薄く切ったものを、クレーム・シャンティの層に挟んだらどうでしょう!保存用にコンポートにしたものがありますから、試してみましょう!」


 そして、カシスジャムと、洋梨のコンポートを挟んだ試作品第二号を作り、試食する。

「「美味しい!」」

 単調だった切った時の断面も、カシスの赤と、洋梨の存在が主張する。

 口にはカシスジャムと洋梨のコンポートの強めの甘さが単調なクリームにアクセントを加える。洋梨の少し残ったシャクっとした食感もいい。


「見た目に寂しい上はどうしよう。何か飾りが欲しいわ」

 私とミィナで首を捻る。

「あ、漏斗に色の濃いペースト状のソースを入れて、メッセージを書いたらどうでしょうか!きっと印象に残りますよ!味のバランスを壊さないよう、カシスのソースはどうでしょうか!」


 ◆


 そして、サプライズの日がやってきた。


「これが今日のデザートかい?凄く大きいね」

 給仕がキャスター付きテーブルに乗せて持ってきたケーキを見て、お父様が驚いて目を見張る。

「あら、上に何か書いてあるわ!」

 お母様が、ケーキの表面に書かれた文字を読む。


『家族はいつまでも一緒よ!』

 その文字の周りには、焼き菓子でかたどられたお花が幾つも散りばめられている。


 はっきり言ってあまり上手な字は書けなかった。でも、下手でも、お父様、お母様、お兄様にお姉様、家族への気持ちだけはいっぱい込めたつもりだ。


「これは、デイジーの字だね」

 お兄様がにっこりと笑っている。

「私、春が来るのを寂しく思っていましたの。でも、なんだかこれを見たら安心しましたわ」

 あと一年家に残るお姉様も笑顔を見せる。


「さあ、家族で『ケーキカット』をしましょう!家族みんなで共同作業をするの!」

 私は、ダイニングテーブルを囲んで座っている家族に立ち上がるよう促す。


 私とお父様で一緒にケーキナイフを持って、お母様の分のケーキを切り分ける。

 お母様とお兄様で、お父様のケーキを切り分ける。

 そして、お兄様とお姉様で私の分を、お兄様と私でお姉様の分を、お姉様と私でお兄様の分を切り分けた。


 そのケーキは、今まで作ったどんな物よりも好評だった。私も、今まで食べたどんな美味しいものより美味しく感じたのだった。



 そうして、やがて我が家の庭に若葉が萌え、花々が咲きみだれる春を迎え、プレスラリア家から、私を含む子供が二人巣立って行ったのだった。



『アトリエ・デイジー』

 そこでこれからの私の新たな生活が始まる。

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