あの日見たこたつの行方をまだ僕達は知らない。

 俺たちに渡されたものは、裏面に電気ヒーターがついたテーブル──こたつだった。

 何でも、処分する予定だったものを手伝いのお礼として俺たちに横流ししてくれたそうだ。


「ほんとはこんなんしたらだちゃかんやけども、まあさらちゃんやからいいわいね」

 *だちゃかん……駄目という意味。


 と、豪快に笑い飛ばしていた。さすがおばちゃん。まじで神。

 こんな超法規的なことは世間のいちゃもんに怯える普通の先生ではできないだろう。定年が迫るおばちゃんにしかできない芸当だ。


「部室は結構冷えるからこれまじで助かるよな」

「部室棟に暖房器具ないし、部室が広すぎるから余計冷えるのかも」


 部室棟にヒーター、ストーブ等の暖房器具は火災の危険から個人で持ち込みが許されていない。しかし、これは学校の備品扱いなので持ち込みには該当しないので問題はない。何という抜け道。


 きっと今後は、こたつを囲みながらおばちゃんへの感謝を述べて活動を始めるのが、我が部の通例になるだろう。


「まあそれはともかく……これからどうする?」

「だよね……」


 そう、問題はこのこたつをどうやって運ぶかだ。

 これを俺たちが今いる特別棟の2階から、教室棟を経由して部室棟2階奥の俺たちの部室まで運ぶ必要がある。

 俺と更科の二人で持てば問題なく運べるだろう。単純距離で考えれば2分ぐらいだ。


 しかし、問題はそこではない。重要なのはなるべく誰にも見られずにこっそりと運ぶ必要があるということだ。組み立てた後のこたつをそのままもらったので、とにかく目立つ。


 特に部室棟で誰かに見つかるとやばい。


 なぜか?


 そんなものは明白。


 お前らだけずるい、俺たちも欲しい、そんな意見が出てくるのは火を見るより明らか。

 騒ぎになればせっかくのおばちゃんからの宝物が没収されかねない。


 そのため、なるべく誰にも見られずにこっそりとこのブツを運び込む必要がある。


「解体して運べたらよかったんだけどな……工具がないと解体できないやつだ」

「ど、どうやって運ぶっ?」


 緊張した様子の更科。

 あまりこの場所に長居することもできない。

 腕時計を見ると5時半を回っている。


「よし、とりあえず、遠回りだが4階の1年の教室を経由して部室棟の前まで行くぞ。この時間帯に教室に残っている1年の生徒はいないはず……」

「そ、そだね……!」


 泉高校の教室棟は4階が1年、3階が2年、2階が3年、という風に分かれている。受験も近いので3年がいる2階は確実に人目を浴びることになる。

 それに、放課後は確実に玄関の方へ人が流れている。ここは念には念を入れて4階まで上がるべきだろう。


「よし、これより状況を開始する。ミッション開始だっ!!」

「りょ、了解っ!」


 後にこたつ争奪戦争と呼ばれる、大きな騒動に発展していくことを俺たちはまだ知らなかった。


 あの日見たこたつの行方をまだ僕達は知らない。


 ◇



 4階に上がった俺たちはあたりの気配を窺う。

 幸いにも1年1組の教室には誰もいない。


 この一本道の突き当り、俺と二宮が所属する10組の教室前にある階段を下りる必要がある。そこまで行けば部室棟はすぐ目の前。

 ここが第一関門だ。


「な、なんかドキドキしてきた……」

「落ち着け。ここは俺に任せろ」


 目を閉じて耳を澄まし、神経を研ぎ澄ませる。


 …………。


「……くそっ! 10組に3、いや4人いやがる。この息遣い、男だな……」

「何で分かるの!?」


 階段で重いものを急いで運ぶのは危険だ。

 しかし、立ち止まってはいられない。

 よって、ここは障害を排除する必要がある。


「スニーキングミッションか……。大佐はここで待っていてくれ」

「了解──え、大佐?」

「ちっ! 段ボールがあればな……」

「何する気!?」


 スタンさせて気球を付けて回収したいところだが、あいにくそんな装備はない。


 10組前のドアに張り付くと、クラスで4人の男子が談笑していた。

 今のところ、この場を離れる雰囲気はない。


(ちくしょう……打つ手がねえな……いや、待てよ? 確かあいつらは──)


 俺はほふく前進で10組の前を通過して、少し階段を下りたところで息を大きく吸い込む。そして──


「おい! 今、玄関に泉ちゃんがいるってよ!!」


 と叫ぶ。すると、


「ほんとか!?」

「実在したのか!?」

「あのスピーカーの向こうの笑顔を見れるのか!?」

「急げ!!」


 とんでもない速さで階段を下りて行った。排除完了。

 あの4人は昨日の放送に目を閉じて耳に手を当てていたガチ勢だったからな。ていうかまじであの妹バカのプロデュース力にビビる。


 すぐに更科の元へ戻る。


「よし、もう大丈夫だ」

「なんか泉ちゃんって聞こえたんだけど……」

「まあ気にする必要はない。とりあえず急ぐぞ」

「そ、そか……じゃあ後で調べてみ──」

「絶対止めとけ」


 更科がスクールアイドルとして静岡辺りのご当地活性化に貢献する日も近いかもしれない。


 そんなことを思いながらこたつを二人で運び、ゆっくりと階段を下りている時だった。


「兄さ──山市君!?」


 まさかの鷺宮とエンカウント。

 重量を考えて階段では俺は下の方を持っており、背を向けながら進んでいたのが裏目に出てしまった。


 しかし、鷺宮なら話は早い。

 なんせ、一緒に住んでいるのだ。後で事情を説明すればいい。


「おう、鷺宮。ちょっと今急いでるから後でな」

「そ、そうみたいですね……それよりその方は?」


 鷺宮の視線が上がる。

 更科の方を見ているようだ。


「ああ、えっと、同じ部活の仲間だな」

「え、えっと、あの、更科さらです!」


 更科が上ずった声で自己紹介をする。

 緊張しているのか? まあ確かに鷺宮ってちょっと可憐すぎて近寄りがたい印象あるしな。


「……」


 しかし、どういうわけか鷺宮からも反応が返ってこない。


「どした?」

「えっと、聞き間違い、ですよね……」


 鷺宮がなんともぎこちない笑顔を浮かべている。


(こんな鷺宮は初めて見るな……)


 いつもの鷺宮らしくない気がする。

 何か更科と面識があるのだろうか?


「その、今、って聞こえたんですけど……」

「え? そうだぞ。カードゲーム部」

「あの、兄さん? 私たち、同じ弓道部だと思うですけど……」


 鷺宮の顔が引きつっている。

 というかナチュラルに兄さん呼びが出てるんだが……。 


「そういえば……兄さん、最近あまり部活に顔を出されていませんよね。体調を崩されたわけではないようですし」

「ああそれな」


あれは急なことだったからなあ……。


「色々あって説明がむずいんだけど、弓道部辞めてカードゲーム部に入部したんだよ。そういえば鷺宮に言ってなかったっけ」

「……聞いてない」


 鷺宮が何かボソッと呟いたようだがあまりに小さすぎて聞こえなかった。


「山市君! 急がないとさっきの人たち戻ってくるんじゃない?」

「おっと、そうだな。じゃあ鷺宮、弓道部のやつらにはよろしく言っといてくれ。ああそうだ、あとこれは秘密な?」


 こたつのことは口外されては困るからな。


 鷺宮はこくりと頷いた。

 それを確認した後、俺たちは先を急いだ。

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