変身魔法

 ちょうど講義が終了したのだろう、講義室からパラパラと人が出てくるのが見えた。数名の若者がハウエルに挨拶をしながら立ち去っていく。そんな中、ハウエルを先頭とした三人はその講義室に入室し、演台の上の人物の元に近寄った。

 眼鏡をかけた中年男性。長身痩躯。顎を突き出すように折り曲げられた背筋。灰色の鱗で覆われた肌――人型爬虫類、あるいはそのハーフかクォーターの特徴。変身魔法による変貌なのか、あるいはその姿こそ彼の正体そのものなのか。変身魔法を用いても掻き消すことのできなそうな、いかにもプライドの高そうな視線で、レイとウェーブを交互に見つめる。

 ハウエル校長の紹介があった。男性の名前はロンバート。ローブの胸には五角形が刻まれている。


「“大賢人”様とその助手の方、ですか」


 ロンバートが二人を、とりわけウェーブを訝しむのも無理はない。通常ならば“賢人”や“大賢人”の助手に選ばれるのは上級以上の魔導士であることがほとんどだからだ。未だ中級魔導士のウェーブが、よりにもよって“七大賢人”の一人に数えられるレイの助手を務めるのはやや違和感のある状態である。


「それで、変身魔法の講義に興味があるということですが、私は何をお話しすれば?」


 ぼそぼそと小さく、しかし早口でロンバートは尋ねた。口を開く度に人型爬虫類特有の細い舌がチロチロと出されるのが見え、それがさながらこちらの返答を吟味する動作のような印象を受けた。

 人見知り故に話し出せないでいるレイに代わってウェーブが口を開く。先ほど師匠に論じられた推察を元に尋ねるべき質問を整理――ぶつける。


「現在変身魔法を学んでいる生徒はどのくらいいらっしゃるんですか?」

「初級変身魔法学履修者は80名。中級が50名。上級が30名。合計で160名ですな」

「教授から見て、どのような学生が多い印象ですか?」

「さて、詳しくは存じ上げませんな。私はただ決まった時刻に講義室へ赴き、変身術の知識や技術を発表しているだけですので。生徒の人格には些かの興味もありませんな」

「僕の大学時代の個人的な感想なんですが、変身魔法を履修する生徒は明るい者が多い気がします。皆、何かに憧れて、それになりきろうと変身魔法の習得を希望することが多いですから」

「ウェーブ殿はせいぜい初級から中級までの魔法しか履修しておられないと見られる」


 ドキリとした。それはウェーブ・ペンタミラーにとって図星であり、コンプレックスでもあった。彼に魔法の才能はなく、どの分野の魔法の習得も中級止まりだった。そんな自分が“大賢人”の補佐官を務めている――それが今でも信じられないことであり、その関係性はいつ消えてもおかしくはないと怯える日々であった。

 しかし、一体どうして自分の魔法の習得度合いが分かったのだろう? 質問を返すより前にロンバートが答えた。


「変身魔法に限らず、上級以上の魔法を習得しようとすれば何か代償を支払わなければなりませぬ。最もよくある例でいえば、友との時間、あるいは自分の時間ですな。それらを捧げ、学習と訓練に打ち込めるものだけが上級以上の魔法を習得できるものです。そうではありませんかな?」


 捕食対象に緩やかに毒を送り込むような口調――彼が人型爬虫類であるからではない。純粋なる、彼自身の


「つまりロンバート殿は、変身魔法の受講者は明るい性格の者ばかりではないと仰りたいわけですね」


 師匠からの助け舟――ロンバートの語り口に呑まれかけていたウェーブがはっと我に帰る。「物事の本質を見失ってはいけません」レイによく言われた忠告を思い出す。


「左様」ロンバートは前に押し出された頭をさらにゆっくりと下げた。「とは言え、ウェーブ殿の言うことも理解できますな。近頃の生徒ときたら魔法の理解と習得を蔑ろにする者が多すぎる。嘆かわしいことこの上ありませぬ」


 案内のハウエル校長が顔をしかめた。部下とも言えるロンバートの主張は些か極端すぎたためだ。教育者と生徒とではどうしても教育者の方が立場が上になりがちだが、ロンバートの態度は横柄そのものである。ましてや教育界に強い影響力を持つ“大賢人”を前にすれば尚のこと、彼の言論には良い気はしなかった。

 そんなハウエルを宥めるようにレイが穏やかに微笑んで見せた。自分は気にしていないと言わんばかりに。そしてまたロンバートに視線を向けた。


「我々の若い頃もさして変わりなかったと思いますが」

「恵まれない学年だったようですな。“大賢人”までいかずとも、優秀な魔導士になった者は一体どれほどいたのでしょう」

「優秀な魔導士になれなくとも、皆優秀な人間にはなれていると思いますよ。私の同級生は皆他人の助けになる仕事に従事していますから」


 ところで――レイが言葉を繋ぐ。


「ロンバート殿は変身魔法がご専門とのことですが、その他の魔法についてはどのくらい修められているのでしょう」

「質問の範囲が広すぎますな。取得単位ということでしたら、大抵の魔法は上級以上を修めておりますが」

「例えば魔法自然学はどうでしょう。実は私、この科目に非常に興味がありまして」

「魔法自然学は変身魔法学に深く関連しております。自然の生物や植物をよく観察することが変身魔法の肝であり、魔法自然学はその観察を手助けする最も有力な学問にあたりますからな。無論、私も上級まで修めております。つい最近、変身魔法と自然魔法学の関係性についても論文を発表いたしました」

「バントン大学に滞在した時に拝読いたしました。とてもよく研究されている論文だと思います。ただ、素人の見分で恐縮ですが、レイード族に関する供述に一部誤解があるようですね」


 ロンバートの細い眉がピクリと動いた。

 ウェーブはバントン大学を訪れた時のことを思い出していた。バントン市には特段の用事があったわけでなく、旅の中継地として利用した。そういった街に滞在する時、決まってレイは三日間図書館に籠り書物を読み漁るのだが、ちょうど最新の論文集が届いたところだったのだ。ウェーブはレイにいくつかの論文を紹介されたが、専門分野外のものばかりであったためにそのほとんどを理解することは難しかった。確かその中にロンバートのものもあったはずだ――しかしやはり、その内容を思い出すことはできなかった。


「私の論に誤解があると?」

「ロンバート殿の論文のレイード族に関する記述、35ページ目の3行目からですね。『レイード族が狩りの獲物の姿に化けるのは、相手の生態をより深く観察することで相手を理解するためである。それは狩りの対象への尊敬の念から生まれた概念で、我々が憧憬の念を抱いた相手に姿を変えようと思う感情に似ている』という点です。というより、情報が些か古いようです。それと、ロンバート殿が魔法民族学に造詣が深くないということもあるでしょう、まあ、専門外なので仕方がないと思えますが」

「……正しい情報は、どういうものでしょう?」

「半年ほど前に魔法民族学、とりわけ未開拓部族の文化研究の第一人者であるガンリット教授が論文を発表しました。内容を要約すると我々の持っている未開拓部族への先入観と実体の調査に関するもので、その中にレイード族への記述もあります。125ページの10行目から。『とりわけレイード族を始めとする生活様式に独特の魔法を取り組む部族には、神秘的な理由があると思われがちであるが、実態は大きく異なったもので、そこには常に合理的理由が存在している』飛んで130ページ目2行目から。『レイード族に関して言えば、彼らが狩猟の対象に姿を変えるのは、一種の擬態であり、獲物に近づくための合理的手段の一つなのである』」


 ロンバートは反論せず、ただ黙ってレイの言葉に耳を傾けていた。彼のプライドの高さからするに、間違いを認められないであろうか。あるいは論文を引き下げる方法を模索しているのだろうか。ウェーブはロンバートの内心を想像して、少しばかり気の毒になった。実戦であろうと知識面であろうと、レイに勝てる人間は想像できなかった。それは出会った時から変わらない師匠の印象である。


「なるほど」しばらくしてロンバートが頷いた。渋々といった様子で。だが間違いを受け入れようという意思も感じられた。「大変勉強になりました。それで、大賢人殿のその補佐官が私に尋ねたいことは何です? まさかわざわざ論文の訂正をするために来たわけではないでしょう」


 レイはハウエルにそうしたように、ロンバートを宥めるようににこりと笑みを浮かべた。そして質問を告げた。核心に迫る質問――残虐な殺人犯に関する手がかりを求めて。


「変身魔法学の履修者の中で最近大学を辞めた者はいませんか?」

「おりません」

「では、何かトラブルを起こした者は?」

「おりません。少なくとも大学構内では」

「先ほどまで行っていたのは中級変身魔法学の講義だったようですが、希望者は全員受講できるのでしょうか? 人気のある講義ですと抽選になることもあるとうかがっておりますが」

「中級変身魔法学の定員は五十名、上級なら三十名ですな。それを超えた場合は前年度までの成績で選んでおります。私は実力主義なのでね」

「ではその際に落選した生徒はいますか?」

「上級変身魔法学で六名ほどいたと聞いております。具体的に誰かというのは存じ上げませんな」

「選考にロンバート殿は関わっていないと?」

「成績順でとるようにと伝え、基本的には生徒支援部の者に任せております」

「では初級変身魔法学に関してはどうです?」

「講義室の関係で百名を上限としておりますが、全て埋まることはまずないでしょう。初級は私やそちらのハウエル校長を始め、四人の講師で授業を進めております」

「上級変身魔法の受講者を決めたという生徒支援部の方を紹介してはいただけませんか?」

「あいにく、私は忙しい身でしてね。心配せずとも私の名前を出せば何でも答えてくれるでしょう。生徒支援部に行ってレベッカ・マクリーンという者を尋ねると良いかと」


 その時、講義室の扉をノックする音がした。ロンバートが応えると、一人の青年が登場した。手には掃除用具を持っている。どうやらこの部屋を担当している清掃員らしかった。ロンバートたちが話し中であることを察した青年は些か入室に戸惑っていた様子だったが、ロンバートが入室を促した。


「講義が終わるごとに清掃を頼んでいるのです。私は綺麗好きなのでね」


 清掃員の青年は手慣れた様子で掃除を開始している。学生たちの利用する席を回ってゴミを収集し、袋にまとめている。


「それでは失敬しますよ。くれぐれも清掃の邪魔をしないように」


 ロンバートはそれだけ言うと講義室を出て行った。――が、その時、ウェーブにとって信じられないことが起こった。つい今しがたまで人型爬虫類の姿をしていたロンバートが姿のだ。曲げられた背筋はピンと伸ばされ、灰色の鱗で覆われた皮膚はあっという間に艶のある肌色に。さらさらと濡れたような黒髪が現れ、服装も女性用のスーツとハイヒールというものに変わっている。

 とんでもない美女であった。


「変身魔法の妙技を目にしました。彼は――いや、彼女は、どちらが本当の姿なんです?」


 ハウエルに尋ねるが、彼は笑ってはぐらかすだけだ。


「ロンバートは本名ではない――とだけは答えておきましょう」

「何ですって?」

「知らぬが華というやつですよ」


 レイが笑った。

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