入学編 ②
東方指定都市セイルゥ
征道士訓練校へ入学の為、セイルゥに入って翌朝。
早朝4時に起床し、軽く運動がてら街中を走ることにした。
自分の今居る場所の地理が把握出来ていないというのは、決して居心地の良いものではない。とは言え、あまりあちこち回る時間もない。男子寮周辺を走るだけに留めておこうと決め、汗を流しつつ改めて街中を観察する。
人通りが殆ど無い格式高い街並みと舗装された道は中々に走るのに向いていた。平民には吸う機会が無いこの空気が、自分に良い作用を促しているという事実は中々に奇妙な感覚を覚える。いつかこの空気が当たり前になる事もあるのか、と考えると鳥肌が立つ。
だが忘れるな。自分は変わりに来たんじゃない、壊しに来たんだ。――そう再度己に火を焼べ、歩調を早める。
◇ ◇ ◇
帰り道を行き、もうすぐ男子寮が見える通りの向こう、行きしなには無かった地べたに寝転がる謎の物体を視認した。訝しみながら近くに寄ってみると「ぅ……ぅ……」と唸るナニカだった。
指定都市にも行き倒れはいるんだな。そう思って走り去ろうと背を向けた時、そのナニカは起き上がる。
「ありえない」
「……あ?」
「ありえないでしょぉぉぉ! 普通何も言わずに去りますかぁ!?」
大きな瞳に涙を溜めながら大声で叫ぶその少女は、高級そうな長く白い外套の下に灰色の制服を着ていた。どうやら征道士訓練生らしい。
うなじが見える程度の橙色に波打つ蓬髪のぽっちゃり体型で、そのクリンクリン頭はまるで、ガキが背伸びして大人になろうと髪を巻いてみたが手入れの仕方がよく分からずとりあえず寝起きで来ました感が半端じゃない。
「薄情です! 白痴です! こんないたいけな少女が倒れ伏しているというのにぃ! あ、少女って言ってもあたしの歳は16ですよ? もぉぉぉぉぉ! 人でなしぃ! 業突く張りぃ! 性的不能者ーー!」
うるせぇぇぇ。なんだこいつ、朝も早よからラリってんのか?
「世紀末です! 青天の霹靂です! 暗黒の破壊神ですぅーー!」
「当て身」
「ゔッ!!」
倒れ伏すナニカを尻目に、再び足を動かし嘆息。
指定都市にも薬が蔓延しているとはな。ミイラ取りがミイラ、因果応報だ。
◇ ◇ ◇
男子寮
寮に戻り、裏庭にあった井戸の水で汗を流した後、自室へ。早速初登校の身支度を整える。
肩口や袖口が黒革、全体的には灰色の装いの制服に袖を通し、指定の黒いタイは締め方を忘れたのでせず、前を留め、鏡の前に立って己の姿を客観視してみる。
「俺が征道士……笑えるな」
支度が済んだ後、一階にある食堂へと下りる。そこは床も机も椅子も全て木造、中々に質素な造りには好感を覚える。仕込み途中なのか、薄くも芳しい香りが漂ってきていた。
そして厨房の奥からやってきた割烹着姿の太っちょおばさんは、朝とは思えない威勢の良さで話しかけてくる。
「あら! 見ない顔だけど、あんた新入りかい?」
「ああ。ジン・ルーヴスだ」
「あたいは給仕長のミンス・ティーナ、よろしくねジン! とは言え、給仕係はあたいだけなんだけどね」
明るい茶髪を上で括ったおばさんは、ふくよかな体を弾ませながら笑顔を咲かせた。人のよさそうな面立ちをしている。
「早速で悪いんだが、軽く腹に入れられるものをくれないか? もう出なきゃならねえんだ」
「あれま、こんな早くに?」
「今日から入校なんでな、早めに行く」
「そうかい! ならこれ食っときな!」
ミンスとやらは焼いたパンに目玉焼きを乗せたものを差し出してきた。
「あんがとよ。ん、美味い」
「へぇ、貴族なのにこんな雑なのが平気なんだねぇ。たまに文句言う人もいるのに」
「俺は没落貴族、今は平民だ。こういうわかりやすい食い物はむしろ好きだ」
「あらま、そうかい。悪いことを聞いたねぇ」
コロコロ表情を変えるミンスは、気を悪くさせたかもしれないことを本当に申し訳なく思っている様子を見せた。
貴族らしくないっちゃないが、こういう下働きや使用人は準貴族や三流貴族の生業となっている。だから平民に対して抵抗を覚えない奴もたまにいる。とは言え、ここまで皆無なのは珍しい。
「俺が気にしてねえことを気にしても得なんてねえぞ」
「ん……あっはっはっはっは! 捻くれてるねえあんた!」
「うるせ。じゃ、ごちそうさん」
「お粗末様、いってらっしゃい!」
「あいよ」
いってらっしゃい、か。言われたことあったかな……思い出せん。
◇ ◇ ◇
訓練校
西区の男子寮のさらに西に聳える、征道士訓練学校へ向かう。
遠巻きに見える四階建てで平たい造りのその校舎は、辛うじて木造ではない白めの石造りだが、それなりに年季が入っている。おそらく中には木造の部分もあるのではないだろうか。
ここが未来の征道士達が切磋琢磨し、己を鍛え、試される場。そして当座の俺の戦場となる場所。その本質は如何様か、確かめてみよう。
開放された正門をくぐり、運動場と思しき所を突っ切って校舎を目指す。
鉄拵えの正門から校舎までの間には運動場が設けられており、人口的に造られた衝撃を和らげるその地面は鍛錬にある意味向いてはいるものの、舗装され過ぎていて少し環境が良すぎる。石ころ一つない場で戦う機会なんざなかろうに、どこまでもご清潔だなと感じざるを得ない。
流石にまだこの時間には訓練生は視界の端にちらほら入る程度しか居らず、何に遮られる事もなく正面入り口から校内へ。
玄関口に掲げられている見取り図を確認し、教官室へ真っ直ぐ向かう。一階奥にあった【教官室】の札の掲げてある扉を発見。四度叩き、返答を待つ。
「どうぞ」
明るい女性の声が返ってきたのを確認し、入室。
「おはようございま……あら、貴方は?」
「今日からこちらでお世話になる、ジン・ルーヴスです」
「まぁ、貴方が」
対応したのは、口に手を添えて呆ける小柄な女性だった。
背丈は150くらい。赤めの茶色がかった長髪を上に丸く纏め、大きめのメガネを着用している。とても若く、生徒にしか見えないが、白色の教官服を着用し、腕には征道士の腕章を巻いている。
三段階ある征道士階級において、下層の地を表す火の模様……三級征道士か。確か二級は風を表す風車、一級は天を表す鳥、だっけか。
「初めまして、私はローズ・フィリプ。貴方の教室の担任であり、歴史を担当する教官です。よろしくお願いします」
そう自己紹介するローズ教官とやらは、ペコリと小柄な頭を下げた。マジでガキにしか見えん。
「ジン・ルーヴスです。よろしくお願いします」
「では諸々の説明をしますので、こちらの部屋に――」
「おいなんだ貴様! その態度は!」
ローズ教官が驚きつつ、急に大声がした方を向く。俺もチラリと視線だけを向ける。
「ルガ二教官……」
垂れ目でガタイのいいルガ二教官とやらは、俺とローズ教官の間に割り込んだ。腕章は天を表す鳥……一級征道士だ。
「ローズ教官が頭を下げているというのに、貴様は会釈もせんのか!」
「ル、ルガ二教官、私は気にしてないですから……」
「いいえローズ教官、貴女が礼を尽くしているというのにこの態度はいただけません」
ちっ、うるせえな。まぁ初日は大人しくしとくか。
「失礼いたしました、ローズ教官」
「い、いえ、緊張もしていたでしょうし、お気になさらず」
改めて頭を下げると、あわあわとローズ教官は申し訳なさそうに慌てだした。
教官職に就いている以上、中級貴族以上は確実なはずなのだが、貴族とは思えぬその態度に少し違和感を覚えた。
「ちっ、これだから平民は」
「失礼いたしました、ルガ二教官」
垂れ目にも一応頭を下げておく。だが次は無い。
「で、では、改めてこちらへ」
ローズ教官に促され、教官室の奥の個室へ移動しようとする……が。
「ローズ教官、やはり自分も同席します。育ちも碌に分からない輩と個室で二人きりになるなど、危険ですからな」
鼻息荒くルガニは乱入。
「そ、そんな言い方……!」
「なぁに任せてください。下賎な犬になど、美しい貴女へ指一本触れさせません」
うぜえ、そしてきめえ。これ以上こいつを視界に入れたくねえ……排除だな。
「なるほど、理解しました」
突然そう言った俺に二人は向き直る。片や怪訝な目つき、片や申し訳なさそうな目と、対照的だ。
「ルガ二教官はローズ教官に恋心を抱いているのですね」
「なっ!?」「ふえっ!?」
二人は声を揃えて驚いた。いきなり核心突かれりゃそうなるか。
「ともすれば、自分のような者と二人きりになどさせたくないのも道理、是非同席していただきましょう。なんなら自分なんぞほっぽって、お二人で愛を確かめ合ってはいかがでしょうか」
「ふぇぇぇっっ!」
「な、な、なにを!」
ローズ教官は己が身を抱きながら後退った。あらら、脈なしだとさ。
「け、結構ですっ! 私だけで大丈夫でふから! さぁルーヴスくん! 行きまそう!」
カミカミだな。ダメ押ししとくか。
「ルガ二教官、上手く想いが伝わってないようですが、よろしいので?」
「な、ば、バカなことを言ってないでとっとと行けっ!」
◇ ◇ ◇
教官室:個室
「うう……」
キモい教官を置き去り、ようやく奥の個室へ入る事ができたが、入室するなりローズ教官は小振りな尻を向けつつ、応接用の椅子にへたり込んだ。
「失礼いたしました、ローズ教官。なにやらお困りだったようなので、デマカセを言ってしまいました。あまりお気になさらずに」
「無理ですよぉ……ぅぅ」
「しかし、時間もあまりないのでは?」
「う、そうね。はぁ、気まずいなぁ……」
「概略だけお話しいただければ結構ですので」
長机を挟み、ローズ教官の対面に位置する応接用の椅子に腰を下ろす。
「ん、んん! では、気を取り直して。改めて入校おめでとうございます、ジン・ルーヴスくん」
「ありがとうございます」
これよりローズ・フィリプ教官による征道士訓練校の概要が説明される。
昨日のコウラ・レドのように意味不明な内容ではない、しっかりとしたものであることを切に祈ろう。
「此処、征道士候補生訓練学校はその名の示す通り、日々征道士になるための訓練・勉学・試験に励む国営機関です。学年は1〜3学年と割り振られています。征道士試験は条件さえ整えば在学中、誰でもいつでも受けられます。在校中に征道士になれなかった者は留年、もしくは退学となります」
簡潔でわかり易い説明に安堵しつつ、続きを傾聴。
「征道士試験合格の条件とは、三つ星を取得すること。其々の取得条件は以下の通りです」
一つ星、筆記試験に合格。
二つ星、教官や生徒会長、他の一級征道士からの推薦。
三つ星、征道協会から派遣された一級征道士と摸擬戦を行ない、その内容によって試験官本人から合否が為される。
「稀ですが、派遣された征道士に勝利する事でいきなり一級の称号を賜る事もあります。殆どが善戦しての三級か二級からです」
一級征道士――。一般的な征道士の中で最高位に位置する神の御子は、高い魔力と魔法技能を有している。
中級以上の魔獣戦において必須の人材ではあるが、絶対数は少ない。ましてや学生の内に一級になるってのは高い才覚の証明にもなっている。昨日のコウラ・レドがその稀な例となる。
だが予てより俺個人、たかが16、7のガキでも一級征道士になれるヌルい試験になんざ意味があるとは思えなかった。たとえ高い才覚が伴っていたとしても、所詮ガキはガキ、精神性はやはり未熟なのだから。
故に、この試験内容も俺にとっては慣例が生む馴れ合い以外の何物でもない。要は推薦さえ取れればあとは馬鹿でも一級になれるってことであるし、権力が介入できる隙間は大きく空いている。
そして今後も改善はされないのだろう。神に優遇されている貴族社会には――"肩書はその者の価値をなにも保証しない"、という俺にしてみれば当然の通念が絶望的に欠けているのだから。
高い才覚と豊かな生活環境に自惚れて、己の弱さを決して認めようとはしないその自己愛と惰弱性を、こともあろうに社会全体が肯定してしまっている。
その理由もまた、己の価値が下がることへの恐怖と抵抗にある。そしてそれらがなにより"自身が弱者である"ことの証明になっていることに気付くこともない。――それが現代社会の本質であり、病気だ。
相変わらずの軟弱っぷりに内心辟易とする俺に気付くことなく、ローズ教官の説明は続く。
「勿論ルーヴスくんのように魔法が使えない方でも、豊富な知識を前提とした研究職として征道士になって活躍されている方もいます。これらは後ほど資料をお渡しします」
貴族はほぼ全ての者が魔力を持ってはいるが、魔法が使えない者も多くいる。あくまで『魔法』は戦闘技能が主な使い道だ。魔力を使った技術面ではローズ教官の言う研究者達が文明発達の基盤を支えている。だがあくまで貴族の、だ。平民にその恩恵は届かない。
「これから貴方には2年1組に入っていただきます。そこで己を鍛え、是非優秀な征道士になってください。ここまでで質問はありますか?」
質問を促されたので、最初にしようと思っていた質問を投げてみる。
「ローズ教官は自分の来歴を把握してらっしゃいますか?」
「……はい。元貴族ですが、今は平民も同然であると。そして魔力を持たない、とも」
「そんな自分が征道士になれると思いますか?」
「…………」
さぁ、どう答える。
「本音を言えば、難しい。いえ、おそらく無理なのではと思います。高い成績を残したとしても、他の理由で……」
平民とはグリム教曰く――不徳の顕現、だもんな。
「ですが、私個人としてはなってもらいたい、ですね」
その不徳の顕現に対し、およそ征道士が吐くとは思えない台詞をローズ教官は吐いた。その理由を問うてみる。
「私はなるべく、貴族と平民の間にある不要な垣根は取り払うべきだと考えています。現在、ヒュムズを支えるあらゆる技術や利益は貴族の独占状態にあります。ですがそれでは、いつまでも進歩しません。その歩みは、鈍重と言って差し支えないでしょう」
ローズ教官は寂し気な口調でそう心中を吐露した。
先ほど俺が脳内で考えていたことほどではないにしろ、その方向性は同じものだ。
「いつか貴族も平民もなく、才覚と情熱ある者がこの訓練校に通う、そんな日が来たらなとは思います。あ、内緒ですよ」
口元に指をやりつつ、俯きがちにローズ教官はそう締めくくった。彼女ははにかむように、困ったように笑っている。
聡明な女だ。こいつは現実、そうはならない事を理解した上で言っている。だからと言って夢想してはいけないわけじゃない、そう割り切っている。そして何より……。
「お心遣い感謝します、ローズ教官」
「いいえ、こちらこそ。んしょ」
ローズ教官は言葉を止め、その愛くるしい顔を俺に近づけ、そっと囁く。
「さっきはありがとう。でも、他にやり方はなかったの? もぉ」
……天然か。こりゃ懸想する奴も出るわ。
◇ ◇ ◇
話も早々に、ローズ教官と共に個室を退室し、隣り合って廊下を歩く。
目指すは俺が編入する2年1組、担任であるローズ教官が俺の紹介をするのだそうだ。
「緊張してる?」
「いえ」
「そう? 全然表情が変わらないからそうなのかと」
「愛想がないのは生まれつきです」
「良かった。繊細な子だったら、きっと耐えられません」
だろうな。教室に入ってからの展開なんざ考えるまでもない。
「覚悟はできてる、ってことですか?」
「いえ、平民にとっては日常的なことなので、覚悟を決める必要すらありません」
「そう……。でも、辛くなったら言ってくださいね?」
「前向きに検討します」
「それ言わない人の台詞ですよね!?」
そんな軽口も程々に、【2年1組】の札が掲げられた教室の前に立つ。
ローズ教官は先に入室、俺は中から聞こえてくる予定の合図を待っている。
「みなさん、おはようございます。休みで疲れは取れましたか? 早速ですが、本日は編入生を紹介します。凛々しくて背の高い男の子ですよ」
俄かに教室がざわめきだした。
ついでにローズ教官は余計な一言を付けてくれた。ならば、ご期待に添えよう。
「では、どうぞ」
戸を開き、入室。訝しむ視線を全て受け流し、教壇の脇に立つ。
目にする光景は想定内のものだった。30人ほどの面子、8割が女で残りは男。魔法の素養は女の方が高いからこその光景だ。
「ジン・ルーヴス、ど平民だ」
腕を後ろに組み、胸を張り、見下すように不遜に名乗る。
一気にざわめきは大きくなり、あちこちから戸惑いと罵声が上がり始めた。
「は? 平民?」
「嘘でしょ?」
「しかもなにあの態度!」
「波打つ黒髪が陰気……罪人みたいな目付き」
「おいローズ教官! 平民ってマジかよ!?」
「なんで野良犬なんかと同じ教室で授業受けなきゃならないの!?」
「てか平民ってうち入れんの!? 嘘でしょ!?」
ガタガタうるせえ。
「ガタガタうるせえ」
しん、と教室内は静まり返った。
つい想いが口に出た。でもうるせえからしょうがない。
「俺の席は?」
「あ、え、えと。あ、あそこの窓際です」
ローズ教官が指差す方向に目を向けると、中央の列の窓側だった。
「え、えと、説明、致しますね」
呆ける人間を全て無視して席に着いた頃、ローズ教官は慌てながら皆に俺の来歴を説明。
「――ということなので、ちゃんと貴族から推薦があっての入校です。平民だからと分けずに、平等に接してあげてください」
無駄と知りつつも担任教官としては言っておく、か。ご苦労さん。
「で、では、歴史座学を始めます」
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