第一章

入学編 ①




 遠い昔




 この地に6人の悪魔が舞い降りた




 悪魔の地を踏みしめる響きは人々から安眠を奪い




 悪魔の鳴らす喉は人々の血をも凍らせ




 悪魔が齎す暗雲は人々の心を狂わせ




 悪魔の織り成す破壊は自然の調和を乱し




 悪魔の作った檻は此の地に住む生きとし生ける者にとっての地獄を形作った




 悪魔は人を喰らい、獣を生み、人々を絶望の淵へと追い詰める




 そんな中、ヒトの中から立ち上がる者あり




 此の天地を見守る主神グリムの恩恵を受けた12人の勇者




 男女入り混じる彼の者らはグリムの賜物を錬磨し、旅し、悪魔の軍勢に立ち向かっていく




 そして長い死闘の末、遂に悪魔を打ち倒した




 12人の男女はお互いに交わり、此の国の礎を築いた




 人呼んで六家ろっけ




 悪魔を倒し、此の地を救った神の使徒、その一族である




  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆




「なんか用か」


 ボロい宿のこれまたボロい寝台に寝そべり、仕事明けの酒を煽っていると、突然の来客があった。


「はじめまして、ではないわね。また会えて嬉しいわ」


 薄青色の長髪を靡かせながら入って来たのは、一人の女性。

 万人が視線を固めるに相応しい見目麗しさを埃臭い室内に振り撒き、さざ波のように波打つ長髪に月光を絡ませたその女は、白色の制服に身を包み以て微笑み、俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。


「是非貴方に聞いていただきたいお願いが――」

「帰れ」

「……話だけでも聞いてほしいわ」


 にべもなく突き放すも少したじろぐだけで、女は一度吐いた言葉と笑顔を引っ込めない。正直、気に食わないツラだ。


「結果的にとは言え、命救われといて更に要求か。下劣な品性してんな」

「……救う気などなかったくせに」


 物言いが癇に障ったのか、女は被っていた外面を少し外してみせた。


「それでいい。よそ行きの顔してる奴とは話したかねえ」

「……それは失礼。でも」


 女はまた一歩歩み寄り、尚一層俺の目を見つめ、言い放つ。


「後ろめたさで引くわけにはいかないの。それが、私の使命だから」


 使命……その大仰なセリフに少し興味と関心を覚える。


「ジンさん、と言われましたね。私は貴方に、征道士せいどうしになってほしいの」


 【征道士】

 我が国における治安と公安の維持を生業とした司法の先兵にして、ヒトの生命を脅かす悪しきモノを屠ることを義務付けられた国に選ばれし戦士達、その総称。


「……意味がわからん」

「数多ある公的機関において最高権力と最大派閥を有する【征道協会】、その本部に籍を置く者としては、貴方の才覚をそのままにしておくなどできません」

「アホくせえ」


 吐き捨てるようにそう言って酒を煽る俺を見つめる女の視線は言っている……それが当然の反応だ、と。その通り、この俺が征道士になるなど荒唐無稽な話だ。


「そもそも俺は貴族じゃない。堅気でもない。クソ征道士に毛ほどの興味もない」

「クソ、ですか。どうしてそう思われるのかしら」

「平民を餌に魔獣をおびき寄せ討伐するクソども、いい女と見るや強権で手篭めにして孕ませても堕胎させて女衒に卸売るクソども、商人に怪しげな薬を作らせて裏で売り捌くクソども、その罪すら平民へ擦り付けるクソども。そんな貴族どもは魔法の才覚と高い地位に自惚れ、平民を人とも思わず踏ん反り返る白痴だ。あんなクソどもになるくらいなら死んだほうがマシだと言える。俺みたいなクズにクソだと思われるってのはよっぽどだ」


 この物言いに対し、女はただ押し黙った。だがそこに怒りや否定などはなく、物言わぬ同意が込められているようだった。


「人殺しという意味では、貴方も同類ではなくて?」

「同類ではあっても同種じゃない。俺は俺の法に従って生きている。金やら女やら権力やら、対外的なものに依存しないって違いがある。傍から見れば大して変わらないだろうがな」

「そうね。貴方も確かに悪党だわ」

「その悪党を征道士に? 笑かすな」


 そう言いつつもう一つ酒を煽ると、女は真顔を少し笑みへと傾け、次なる問いを投げてくる。


「彼等の、貴族の病巣は何だと考える?」

「……言葉では足りんが敢えて言うなら、神に寄生するところだ」

「寄生……」

「【主神グリム】の賜物、【魔法】の元となる魔力を持つ貴族は【神の御子】なり。その免罪符を活用し、責任を全て神になすりつけ、持ち得る全ての感情と欲望を無節操に曝け出す。そんな自慰を覚えて盛った猿のような有様全てが度し難い」

「……否定できないわね。でも、だからこそ、だからこそ毒をもって毒を制したい」


 貴族であるはずの女は俺の意見を否定しない。その不自然さは胡散臭く意地の悪そうな笑みに表れた。


「毒に毒を混ぜても猛毒にしかならん。もういいだろ、帰れ」

「いいえ、やはり貴方には征道士になってほしいわ」

「しつけえぞ」

「ならば、貴方流に言い方を変えましょう」


 吐き捨てる俺に女は更に表情を変え、提案する。その顔は清廉とは言い難い、何事かを目論む者の表情だった。


「貴方の意思は最大限尊重し、身元も保証いたします。相応の報酬も前金でお支払いします。その代わり、少しだけ私のお願いも聞いてほしい。要するに、私に雇われませんか、ということです」


 やけに食い下がる……。どうやら俺でなければならないはかりごとがあるようだな。

 何が目的か知らんが、俺を喰えると思ってんなら大間違いだ。


 喰われるのはいつだって――弱きを是とする弱者てめえらだ。


「征道協会本部勤めの征道士は豪気だな。というか、物理的に可能なのか?」

「なんとかします。一級征道士の矜持にかけて」

「カッコつけんじゃねえ。やることは根回しと捏造と買収だろうが」

「意地悪ですね」

「誰に言ってんだ」

「とは言え、今はなんの持ち合わせもありません。準備が出来たら、また来ます」


 女は流麗な長髪をふわりとはためかせながら背を向け、部屋を出て行こうとする。

 俺はその背に、新たなしがらみになりえるのか未だ解らない、それの名を問う。


「ミネラ・スイ、20歳です」

「ジン、だ。姓はない。年は多分18、9辺りだ」

「……年下には到底見えないわね」

「ほっとけ」

「というか、何故曖昧なの?」

「それが――平民だ」




 ◆◇ 彼の者は空を撃ち、鮮烈な色を灯す ◇◆




 時は6月。

 ミネラ・スイとの邂逅から半年が経った今、俺は乗り合い馬車に乗り、真横に流れる色彩鮮やかな景色を眺めている。

 すっかり自然界の色は最盛期たる夏に向けてその若々しい緑色を強調し始めていた。

 そんな活力煽るる風景とは裏腹に、俺の胸中には些か陰鬱な気分が湧いてもいた。


 これからの生活を思うと気が滅入るが、これも自らの選択、是非もない。

 だが荷物の中にあるミネラから手渡された征道士訓練学校の制服と身分証明書、そして訓練校への入学願書が煩わしく感じるのもまた事実。

 鞄を開け、それらを取り出し、改めて内容を確認しておくことにした。


 ジン・ルーヴス、17歳。元三流貴族の長男。

 家は既に没落しているが、後見人の好意的采配により入学の推薦を得た。つまり現在の地位は平民だが、生まれは貴族という設定だ。

 当初、ミネラは現二流貴族の設定を推したが俺が拒否。嘘とは言え、貴族を名乗るのは抵抗があると主張した。

 かと言って、本来は貴族しか征道士はおろか訓練校にも入れない。ミネラがギリギリで捻り出した折衷案となる。

 本当は貴族を名乗る事に抵抗なんざないが、早々簡単に制御出来ると思われては困る。


 平民である、という肩書きは武器になる。――俺はそう判断した。


 そんな物思いに耽りながら一路、東方指定都市セイルゥへ向かう。


   ◇   ◇   ◇   


 東方指定都市セイルゥ


 図々しくも東の神の名を冠するこの都市は、此処ヒュムズ国において、政治、軍事、宗教に関する重要指定都市。他にも西方、南方、北方にも指定都市は設けられ、ヒュムズ中央に位置する王都グリムの手足として機能している。


 いかにも平民らしい、茶革の上着に枯葉色のズボンを黒革靴に差し込んだ見窄らしい格好で、襷掛けの鞄を揺らしながら街へと入る。南端に位置する馬車停留所を下車、中央通りを北へと歩く。


 他の街に比べて清潔で綺麗な街並みや、そこかしこから漂ってくる贅の香りはとにかく鼻に付く。道行くどいつもこいつも、その顔と頭には不幸せという言葉がカケラも見受けられない。

 指定都市は貴族の認可がなければ商人や平民は入れない。常々入ってみたいとも思ってはいたが、もう既に帰りたい。

 こんな所で何年もやっていくのか、と思わず視界を地に向けかけるが、自分が何故遜らなければならないのかと奮起し、賑やかな街を更に行く。

 

 指定都市は全て同じ作りになっているらしく、円形の街を十字に大通りが区切っている。

 その中央に位置する大鐘楼を西へ進むと、段々と喧騒は落ち着き始め、幾つかの角を曲がっところで目指す建物が遠巻きに視界に入った。


 その建物は大きな4階建ての集合住宅。正門横の外壁には【征道協会東方支部・征道士訓練生男子寮】の文字が掲げられている。


「ここ、か」


 正門をくぐって玄関横の受付窓口に立ち、窓を叩くと、部屋の中から管理人と思しき初老男性が席を立ち、呼びかけに応じた。


「どちらさん?」

「今日から入寮することになっている、ジン・ルーヴスだ」


 名乗りつつ書類を提出。中身に目を通した初老の男は吟味した後、嘆息交じりに口を開く。


「ああ……没落貴族の、ね」


 詳細は伝わっているらしく、早速目に侮蔑を込めてきた。この蔑むような目が平民に対する一般的な貴族の目と言えるだろう。


「部屋に案内してくれ」

「ちと頭が高いんじゃないかぁ? 平民が」


 男はそう言いながら窓を開き、身を乗り出す。


「平民落ちした魔力も持たない元三流貴族だろう? わしは65を過ぎとるが、こう見えて現三流貴族だ。相応の態度を――うおッ!?」


 偉ぶるジジイの胸ぐらを掴み、此方側の地面に引き倒し、喧を放つ。


「仕事しろジジイ。目ん玉くり抜かれてえのか?」

「きっ、貴様ぁ! ぐぅえッッ!」


 更に首を締め上げると、段々とジジイの顔色は赤に近づいていく。


「老いぼれに目なんざ要らねえか。なら捨てといてやる」


 眼窩に指をかけ、くちゅっと音を鳴らしながら力を込めると、途端に「ひぃぃッ!」とジジイは慄き出した。碌に抵抗もできねえなら喧嘩売るなってんだ老害が。


「なにをしている」


 ふと、本当に抉ってやろうかと考えていた俺の背後から堂々としているがどこか辟易とした声が掛かった。


「挨拶、だ」


 そう言いつつ振り向くとそこには……一人の女が立っていた。


 頭頂部の紅が下りるにつれ黒色になる階調を描く肩までかかる頭髪。それに見合わない不自然に短く切り揃えられた平行な前髪。凛々しさすら漂う真摯な眼差し。腰に差した剣。これらを携えた女は膨よかな胸を隠すかのように腕を組んでいた。

 服装は訓練生用の灰色の制服を着ているが、腕には征道士の腕章が巻かれている。


「放してやれ」

「こいつが仕事するならな」

「レド様!? この者がわしに狼藉を!」

「貴方も、彼は入寮者だと知っていたのでしょう? ならば余計な口を開かずに仕事をした方が良いのでは?」

「は、ははぁっ!」


 三流が傅く、か。中級、もしくは上級貴族か。


「貴方も、乱暴者に征道士の資格はない。以後このようなことはないように」

「善処する」


   ◇   ◇   ◇


 男子寮内


 管理人のジジイの代わりに部屋への案内を買って出た女は、俺を連れ立って寮内へと入った。

 そして階段を上がり、最上階の廊下を歩きながら初の会話が始まる。


「貴方のことはミネラ・スイから聞いている」


 その最初の一言は自然に納得できるものだった。征道士が狼藉者に味方する理由がないからだ。


「貴方がどういう人物で、ミネラとどのような繋がりがあるのかまでは聞いていない。ただ、良くしてやってくれと」

「そうか」

「ただ、一つ言っておく」


 廊下をずんずんと歩く女は足を止め、俺に向き直った。その視線には先ほどのジジイよろしく、僅かばかりの侮蔑も含まれている。


「元貴族とは言え、魔力を持たず、魔法も使えない平民がやっていけるほど此処は甘くない。そして征道士になれる道理もない。そのことは理解して――」


 寝言を言い終わる前に女の首をシュッと素早く指で掠る――。


「っっ!」


 慌てた女は後ろに退がりつつ片手で首を押さえ、腰の剣に空いたもう片手を伸ばした。その表情は段々と驚きから喧へと変化していく。


「魔法も使えない平民へ簡単に首を晒すお前は、じゃあなんだ」


 俺にそう問われた女の苦虫を噛み潰したようなツラの中には確かな戦慄も表れていた。まさか平民相手に死線を潜らせられるとは思わなったんだろう。

 これは決して大袈裟な表現じゃない。これが指でなくて刃物だったなら致命傷なのは明らか。剣に通ずる者ならば尚更、だ。


「痴れ者め……!」


 女は俺に向け悪態を放つが、当然俺は意に介さない。


「余計な口を開かずに仕事なさい、ってのは誰の言い分だったか」


 さらに顔を顰めた女は剣から手を放し、姿勢を正した。斬りつけてくるほど理性の持ち合わせがないわけではないらしい。


「私はコウラ・レド、一級征道士だ。名乗れ」

「ジン・ルーヴス、17歳。平民だ」

「舐めるがいい、これでもかという辛酸を」


 以降、会話がないまま最奥の角部屋へ辿り着く。女が鍵を開け、入室。


「ここが貴様の部屋だ。部屋と言っても、元は物置だがな」


 貴方から貴様に降格か、と思いつつ部屋内を観察してみる。

 そこは窓と机と棚が一つずつ設置された簡素な木造りの部屋だった。俺の希望通り、質素な部屋で安心した。

 寝台も十分過ぎるほどの大きさで、右にも左にも寝返りをうてる程度の広さもある。


「上等過ぎる」

「こんな物乞いのような部屋がか」

「デカい寝台じゃないと眠れないのか? 随分と不自由だな、お前」


 荷物を床に置き、寝台に腰掛ける。


「一々癇に障る物言いだな」

「だったら余計な口を開かなきゃいい。お前が黙っていれば俺も何も言わん」

「はぁ……まったく、ミネラの頼みなぞ聞くんじゃなかった。だが、受けた以上全うする。訓練校の概要を説明する、よく聞け」

「ああ」

「明日早朝に訓練校の教官室へ赴き、担任から教室の割り振りを受ける。その後、教官と教室へ行き、自己紹介をして席に着け。なにか質問は?」


 …………は? 終わり?


「……今のが、"征道士訓練校"の説明か?」

「何かわからないところでも?」

「…………いや、わかった。ちなみに何時に行けばいい?」

「7時には教官室へ着いてくれ」

「了解」

「こちらからも確認だ。貴様がミネラと既知だということは内密に、と聞いている。相違ないか」

「ああ。絶対じゃないがな」

「よし! では私は行く。精々退学にならぬよう努めろ。あと私は18歳、貴様の1学年上だ。次に会う時までに敬語を習得しておけ」


 そう言ってコウラ・レドとやらは去っていった。

 あの女、説明が下手すぎる。なんであれで訓練校の説明が行えたと思えるんだ。


「ふぅ……」


 最低限の生活必需品を鞄から出し、部屋着に着替え、明日の準備も早々に床に着くことにした。

 消灯した室内、その寝台の上で開け放った窓から入る風に髪を揺らされながら、明日へと想いを馳せる。


 明日から征道士訓練生……"学生"か。人生なにが起こるかわからんもんだな。

 此処で俺に何ができるのか、何ができないのか、何が得られるのか、確と見定めるとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る