「私」が「私」であるために
青星円
1
朝、わざとダラダラ起きた。憂鬱であった。
目はとっくに覚めていた。
12時に布団から這い出し、小部屋でiPadでシナリオを打ち出す作業の続きをしていた。
14時になったら準備して、徒歩20分の病院にわざとゆっくり歩いていけばちょうど良く10分前くらいには着くだろう。
2時間は、何度も推敲などを繰り返しているうちに過ぎた。
え?と思ったがどう確認しても13時54分だ。
ちょうどひと区切りついたところであった。
惜しむようにしっかりと保存されていることを確認し、iPadを閉じると立ち上がった。
私はいつもの青いキャスケット、黒いパンツ、黒のタートルネック、青のスリッポン、黒のコートを着込んだ。
そして今読んでいるイーガンの「祈りの海」をお守りとして鞄に入れ、準備をしたが自分が一番落ち着いてないのは明白だった。
手袋かたいっっぽしか持ってない。スマホさえポケットに入れ忘れている。何度も出かけようとして忘れ物、トイレにも行っておこうと用を済ませ
「いってきまぁす!」わざと大きめの声で同居人に言う。
病院に行く道は二通りあった。自分は同じ道を通るのは嫌いなのだ。
途中ポストに寄らなくてはならないこともあって、行きは単純に「線路沿い」の道を選んだ。それでも意味を見出そうと写真を撮った
空が綺麗だった。
私はGoogleマップを頼りに(極度の方向音痴なのだ)病院のある角までついた。平坦な道を折れると突然急坂があり、それを超えると病院なのだ。
私は鍛えられてないからだをうんうん言わせながら坂を登った。角度がすごいだけで短い坂なのだ。
それで疲れたのかむしろ病院が見えて落ち着いたのか、私は突然吐き気をもよおし、植え込みに吐いた。最近ほとんどご飯を食べない(一日一食くらいで、夜しか食べまない)今日は何も食べてないからほとんど透明の液体が出ただけだった。持っていたポカリで汚い部分を流す。吐き気止めを持っていなかったことに対し不安を感じたが、もう吐くものもないし大丈夫だろう。
そうして病院のドアから中に入り受付を済ます。程なく名前が呼ばれる。
この前の先生ではない、私より若い女性の先生だった。
先生はMRIの結果を指し示す
「卵巣にある腫瘍なんだけどね、これはまあ手術でいずれ取らないとダメだけど急ぐことはないねぇ」
「はい」
「で、こっちの子宮の腫瘍なんだけどね、2つあるの。この黒い影がそう。こっちも良性で急いで取ることは全くないねー」
ほっとしたわけではない。私は子宮は出来れば臓器ごと取ってしましたい部分なのだ。
まだ35歳で、晩婚が多い昨今となっては、40過ぎてもこどもをもうける人もいるし、子宮を取ることは反対されることだとわかっていた。
母にも反対されるだろうから母には「子宮を全摘しなきゃいけなくなった」といって手術費の一部を負担してもらおう。
「で、うちには手術する施設はないから、このMRIと所見を持って紹介ってことになるね、○大病院に自分で予約してもらうことになる」
「わかりました……」
まず体に異常が現れたのは去年の11月だ。
なんとなく下腹部が痛い。生理痛のような感じだったけど、持病というか、腸に閉塞しやすい部分があって、腸炎になりやすい私には両方の間のように感じた。
まあよくあることだろ、とは思っていたけどそれが10日ほど続いた。
そうチャット仲間に相談すると、ガンで胃を全摘した子や自分のせい(みんなシナリオや漫画やライターを生業としているせいかみんな出不精でひとりやもめで不摂生なのだ)で糖尿にかかった人もおり、「もう何があってもおかしくない年だから」となるべく早く病院に行って欲しいと言われた。
私は病院は嫌いなのだ。親が姉の子育てで飽きてしまったのか、私が小学校1年生から年に2回くらいの割合で40度越えの熱を出すのに共働きで世話をされたことはなかった。私は自分で氷を削り、冷たい水でおでこを冷やしたり、高熱によって汗をかいて何度も着替えたりするのを自分で行っていた。
それが腸に閉塞しやすい部分があり、それが炎症を起こして発熱してると知ったのは一人暮らしをしていて夜中に5時間吐き続けた後高熱が出て、お腹の痛みが止まらず泣き叫びたいくらいの痛みになってタクシーで救急病院に行ったときだ。
「君の腸、閉塞している部分があるね」
そう言われてもなんだかわからなくて痛み止めを点滴されながら、優しい看護師さんに「朝9時までいれば1日分以上の薬をあげあられるから、眠れるなら少し眠ってなさい、どうせ点滴はそれくらいまでかかるわ」と言われた。
それからたびたび腸炎になった。どうやら癖になるらしい。
いつぞやは「なんで入院しないんですか!?」と看護師にヒステリックに叫ばれた。え?これは入院するような病気なの?
結局私は入院するまで悪化させ、そこからやっと全てを知り、もう腸炎が来そう、と思ったら病院でも出している「ブスコパン」という薬が薬局で売ってることを知り、それを飲めば閉塞している腸の部分が炎症を起こさず熱も出ないことを知った。
小さい頃40度超えの熱をだしていたのはこれが原因だったのだ。
父母のどちらかが幼い頃に病院に連れて行っていたら、こんなことにはならなかったろう。
それ以来、(歯医者以外の)病院には行っていない。
今の同居人と付き合い出して3年、2年前に川崎から巣鴨に引っ越してきて巣鴨の駅から5分、地下鉄の駅までは3分という好立地に住んでいた。
どの病院も知らない私は駅前に新しくできた2Fから5Fまでが全て病院、1Fが調剤もできる薬局という合理的さが気に入ってそのビルの内科に決めた。
客は誰もいなかった。初診です、とつげ、太めの男に保険証を出した。
「これに記入お願いします」と紙を渡される。バインダーにはさまれたそれに記入をしていく。
名前、生年月日、住所……それから今日なぜここに来たのか。
妊娠している可能性はありますか?のところには即いいえに丸を付けた。
10年ほど前から婦人科を頼りたくなく、海外輸入でピルが買えることを知り、そこから世界は変わった。男とセックスして中出しされようとも妊娠の危険はほぼ0で、そもそも私は男に生まれたかったのだ。
だからピルを輸入して、月1500円程度で(婦人科に処方してもらうと4000円くらいかかるらしい)生理をコントロールできる上にすごく重かった生理がとても楽になり、異常な眠気も多すぎる血の量も、不安定すぎる生理の周期も自分で管理できるようになった。
男の人は簡単に考えていて「ピル飲んでたら生理来ないんじゃないの?」と聞き呆れた。そんな簡単には出来ていない。
残念ながらピルで引き伸ばせるのは生理の正しい周期である28日(生理でない日が21日、プラス生理である7日)(この日は薬を飲まなくていい)のうち生理出ない日で21日分を21日経っても飲み続け、その3回分である63日までである。しかも黄体ホルモンとやらのせいで、63日まで生理をあと伸ばししていても来てしまう時もある。早めに気づいて多めに飲んだりすれば止まる時もあるが、止まらない時もある。だから自分は63日を超えないように適当にピルを飲み、適当に飲まない7日間(の間に絶対生理はくる)を作るようにしていた。
そうやって好きなようにピルを飲んでいてもピルを飲んでいる限り妊娠の心配はない。たまにピル飲んでも妊娠するとかいう話が出てくるはそれは「飲み忘れ」のせいである。単なる女の勘違いだったってことで、ピルの避妊率は100%だ。
私は寝る前に飲む薬と一緒に飲むことにしているので自由業であって曜日や日付け感覚がなくっても、シートの薬の数で日数がわかるようになっている。
男に生まれたかったと言ったがそれは父のせいである。兄が死産し、次のこどもが女(姉)で、私は母からもお腹の中にいる時から男だと思われていた。今のように内視鏡で男か女か早くわかる時代ではなく、母は2人を身篭った経験で私の性別を当てていた。「兄の時もわかったし姉の時もわかったのよ、だけどお前はやたら腹を蹴ってくる元気な子で、これは男の子だと確信したわ、でも生まれてきたのは女だったのよね」
私を産んで母はそれ以上子をもうけなかった。父は「お前が男だったらなー」と言いつつも私を溺愛していたが、小さな私の心は傷ついて育ったし「自分だって好きで女に産まれきてきたわけじゃない」と思うようになった。でも、私が産まれたのは兄が死産したせいであることに間違いはなかった。
男が欲しくて2人目を産んだのだから兄に感謝するべきなんだろうと思っていた。が、実は私は男に生まれたかった以上に希死念慮を持っており「なんで産んだんだよ」という気持ちを持っていた。
自分は絶対こどもを作らないし、万が一妊娠したら自殺するということも9歳で決めた。9歳児にそれを決めさせることがいかに残忍であったかは誰もわからないだろう。
そんなことを思い出してしまい、ハッと記入の手を早めた。さっさと提出する。
しばらくして名前を呼ばれ、部屋に通された。
下腹部が痛いので心配で来ました、というと私より若く見える先生はベッドに私を横にさせた。触診だ。下腹部を軽く指で押していく。思ったことは反射的に口に出てしまうタイプの私だ。意外なほどではないが痛かった。
「痛いです」
じゃあここは?反対側の下腹部も押される。やはり痛い。「痛っ」もっと感情的な声が出た。
あといろんなところを押されたがやはり下腹部が痛い。
触診は終わり、先生が血液検査をすると言ってきた。
血液検査には準備がいるらしく待っている間に先生は
「えーっとね、CTでもっと精密な検査をしたいんだ。だけどうちにはそんな機材はないから、紹介になるんだけどいつでもいいから、好きな日にCTを受けてきて欲しいんだ」
レントゲンでも撮られておしまいだと思っていた私に試練がやってきた。
老看護師が優しく「あなたのいい時間でいいのよ」というので次の日を指定した。病院は駅から反対、巣鴨から駒込方面に17分歩いて行ったとこにあった。自分は気ままな作家暮らし(売れているわけではないが、同居人がマンションの家賃を出してくれているので、自由になる金と時間には困らなかった)でいつでもよかったので早い方がいいと次の日の15時に予約を取った。そして血液を取られて
「今日できることはここまでです 明日CTを取るなら来週の月曜以降なら結果が出てるから都合のいい時に結果を聞きにくればいいですよ」
若い先生の口調は優しかった。
私はまた病院に行くことに疲れを感じ、その日はゆったりと過ごした。
(次の日も病院なんだ……。嫌いな病院2連続ねえ…)
5歳下の同居人と寝る前恒例になっている抱っこしてもらってキスする行為をしたあと、私たちは眠りについた。
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