怨讐の先に
マティエがその姿を一目見て、ルースと同類だと察するにはさして時間はかからなかった。
だがその身体にまとわりついた匂いは、仇敵のそれと同じものだと知るまでは。
「はじめまして、かな。ソーンダイクの騎士さん」崩れ落ちた岩の隙間から、幾本もの太陽の光が差し込んでいる。
自分の目前の高台に立っているその男が、今日の主役だと思わせるほどに。
言うなれば、スポットライトそのもの。
「誰だお前は……」気絶したチャチャを抱き抱えていたマティエは、徐々に薄くなってきた空気の中、その言葉だけを口にするのがやっとだった。
「わかるでしょ、僕が誰だってことくらい」両目を覆う黒い布からは表情をうかがい知ることはできなかったが、そのいびつに歪んだ口元からは、彼女を嘲り笑っていることだけは容易に察することができた。
なるほどな、このアンティータの狂戦士を助け出そうとして崩落に巻き込まれた自分を助け出そうという気は毛頭なさそうだな、と。
背中には土砂がのしかかり、おまけに脚には大きな石が挟まっている。そして苦しくなる息。
そんな中、目の前に現れたルースと瓜二つの存在。
幻覚でも見えてきたのか。と最初彼女は思っていた。だがそれは完全に違っていた。
「前にあいつから聞いたことがある……お前、ヴェールか?」
大正解! 小さな手のひらがパチパチと拍手した。だが当の本人にとってはうれしさの欠片すらない。
「で……こんな状況でなにをしに来た?」
ふふっ、とヴェールの口の端の犬歯がきらめく。
「君をここで殺せるかどうか、見に来たんだ」
「!!!」稲光にも似た怒りの衝動が彼女を立ち上がらせようとした……が、背中に覆いかぶさった重さはそれ以上だった。
いや、いまここで抱きかかえているやつを退けさえすれば、自分だけでもどうにか抜け出すことができるだろう。
しかしそれは自分の精神に、引いてはソーンダイク家の家訓にすら反する行為だと、その邪な心を胸の奥へぎゅっと押し留めた。
「騎士さんって大変だね。僕だったら大したことない一人を助けるために自分の命を賭けることなんて到底できっこないもん」
「誰だって、そうするだろうさ……お前には分からないだろうがな」
まあそれはさておき。とヴェールはマティエの前にぴょんと飛び降りた。
「ゲイルから聞いたことあるんだけど、君……ルース兄さんと結婚するんだって?」
ゲイルという名前に、彼女は一瞬身構えた。確かマシャンヴァルに亡命した獣人だと。
仲間のラッシュとも以前剣を交えたと聞いたことがある。やはりこの男も一味だったか……
しかしなぜこんな時に結婚という話を? とマティエは訝しんだ。
「僕、それをずっと聞いてみたかったんだ」と、ヴェールは彼女の巻毛に積もった土くれを優しく払いとった。
「確かに以前、婚約はしたがな……だが今は違う」息苦しさで少しずつ意識が霧がかってきた。
「いまは違うの?」
「ああ。あいつにはもう別の女性がいる。つまり……」
「君は、ふられちゃったってこと?」
そういうことだ、と彼女はゆっくりうなづく。それが今できる精一杯の答えだったから。
「もし君が兄さんとまだ仲が良かったなら、ここで見捨てようかなって思ってたんだけどね。だったら……」
その先の言葉は聞き取ることができなかった。
ただ、彼が指をぱちんと鳴らしたとき、今にも押しつぶされそうだった背中の重圧が、瞬時に消えていた。
………………
…………
……
「マティエ! 大丈夫か!?」
頬を撫でる涼しい風と、少しばかり血の匂いの混じった空気。
彼女はゆっくりと目を開けた……ああ、また戻って来れたのかなと。
「よかった……土砂の中から誰かが助けを呼んでる声がするって教えてくれたので、行ってみたらあなたとチャチャがいたんですよ」
見回すとイーグにエッザール。それと見知らぬ黒豹の男女が彼女を囲んでいた。
しかし……と彼女は必死に意識を思い返してはみたが、一向に繋がりが浮かばなかった。
誰か、助けを呼んでくれたのか……?
自分の目の前に現れたヴェールという男は、幻だったのか、と。
だとしたら、あれは一体……
「あーっ! なんでこんなところにエッザーーーーーールがいるんだヌ!」
「やれやれ、君はもう一回気絶した方がいいとみましたね」
エッザールとチャチャとの小競り合いを横目にしつつ、マティエはあの幻が最後に口にした言葉を振り返っていた。
「ヴェール……か。私の仲に嫉妬していたのか……?」
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