イーグの危機 後編

だいたい分かる。こんな奴らになにを質問しても絶対口を割らないってことは。

無理を承知で「目的は?」と言葉少なに聞いたが、やっぱり無言のまま。

だが……今ここにいる人間の男の妙な感覚にイーグは戸惑った。

ー呼吸を、していない。

背後から首を絞めているにもかかわらず、だ。

だが黒いコートに身を包んだ男のギラギラした目は、相変わらずこちらを睨みつけたまま。


数えきれない戦場を生き抜いてきたであろう、彼の感じる違和感はそれだけではなかった。

たとえばその嗅覚。多かれ少なかれ、人は極度の緊張や焦りに直面すると、身体から発せられる匂いがわずかに変わる。

こいつにはそれが全くなかった。

緊張もせず、汗もかかず……とどめに、呼吸もだ。


「ガキたち、無事に逃げられているかぁ?」

ふと、男の固く閉じていた口から漏れ出た、あまりにも拍子抜けなその一言。

「な……!?」

瞬間、ゴキっと骨の外れるこもった音が。

あろうことか、こいつは……イーグの極めていた肩を、そして首の骨すら外し、まるで水のようにするりと流れ抜けていた。

「シネ! リオネングの獣人!」

関節が外れ、だらりと垂れ下がっていた手に握られた短剣が、ぶん! とイーグの耳元をかすめる。頭の中で判断が追いつかないが、少なくとも獣人特有の反射神経は無意識に働いていた。

ヤバい

もうなにを聞いても無駄

こいつは人間じゃねえ、死体に近い何かだ

子どもたちが危ない

イローナが危ない

それにチビが……


チビ!?


次々に飛んでくる不安意識を一蹴し、イーグは飛び膝蹴りで男の肘を砕く。そしてすぐさま顔面を掴み、地面に思いきり叩きつけた。

普通なら衝撃で意識はすぐに吹っ飛ぶ……が、この死体然とした奴にはなんの効果もない。

心臓? 首の血管? 額? おそらく全て通用しないだろう。

ならば、と。ありもしない角度に曲がっていた男の首に全体重を乗せ、男の首を刈り獲った。

切り口からはなにも出ない。血の一滴も。

手にした首は……やはり、にやけた顔でこちらを平然と見つめていた。

ぞわっと、イーグの背筋に普段は感じたことすらない冷たさが走り抜けた。

考えるのは後だ、こうしちゃいられない。

池のような水たまりだらけになった道をイーグはダッシュで駆け抜けた。道筋はわかる。子どもたちといつも遊びに行くお決まりの通り、だから……

心の中で軽く祈った。

「いや、どっちかといえば子どもたちの方……かな」

息を切らす暇すらないまま、路地へと入ったその先には……


「あらあなた、そっちは大丈夫だったの?」

薄暗がりの中、妻イローナは地面に広がる黒装束たちの遺骸の中、笑みを浮かべて一人立っていた。

イーグがさっき殺したであろう男と同じ服と装備。そして同様に一滴の血も流れてはいなかった。


もちろん、イローナも怪我ひとつなく。

「こ、子どもたちは……大丈夫なのか?」

「あら、私の方は心配してくれないの?」

妻の言葉にイーグは緊張が解け、ぷっと鼻で吹き出した。

「その姿みて心配もクソもねーだろうが」

微笑みをふふっと浮かべると、彼女は脱ぎ捨てていた上着を肩にかけた。


その身体からうかがえる彼女の二の腕……イーグのそれを遥かに上回る太さだった。

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