その6

ドアを開けると、薄暗い食堂の中央では、トガリが黙々とメシを食っていた。その向かいの椅子にはチビが……って⁉

「え、なんでチビ……??」俺は急いで二人の元へ向かった……が、一切応えてくれない。

 まるで俺が存在していないみたいな、そんな空気すら漂っている。


「おい、返事してくれたっていいじゃねえか、なんでチビがここにいるんだよ!」腹が立って俺は思わず声を荒げた。が……

「約束したよね、ラッシュ」と、淡々とした口調でトガリがつぶやいた。

「へ、約束?」なんなんだいきなり。

「ほらね、やっぱりもう忘れてる」

「つーか、俺とお前でなんか約束したっけか?」

意味が分からねえ、なんなんだ約束って。行きがけにそんなことしたか?

 チビにも問いかけてみてはしたが、トガリ同様、ムッとした顔。さらには俺と一切目すら合わせてくれない。ただただ黙々とパンを頬張っていた。

「チビちゃんを育てるときに、僕とジールで約束したこと、すっかり忘れてたんだね。もう父親失格!」

 そう言われて俺は急いで頭の中の記憶を掘り起こしてみた。約束……約束ってなにしたんだっけか。

 ……って、なんか食堂の奥の方が妙に酒臭いんだけど、まあそんなことはどうでもいい。約束ってどういうのだったっけ。


「ひとつ。仕事がなくて晴れた日は毎日外へ遊びに行かせること」

 あ……!!!!!

「ふたつ……毎日必ずお風呂に入れること……か!」そうだ、思い出した!

 チビをここで育てるにあたって、ジールがいろいろ取り決めを教えてくれたんだ! それを俺にもやりやすいようにってことで、約束として、俺に……

「で、みっつめは?」怒りを静かに抑えたトガリの言葉が、柔らかな灯りが灯った静まり返った食堂に響く。

 ヤバい。トガリは怒らせたくない。もっともこいつが怒ったことなんて一度も見たことないけど……いや違う、昔親方が言ってたっけ。

「トガリの野郎は絶対に怒らすんじゃねえぞ。優しく気弱な奴ほど牙をむくと恐ろしいんだ」って。

「みっつめ。絶対に一人ぼっちにさせない……だろ」すんでのところでようやく思い出せた。

 トガリはゆっくりうなづくと、で、なんでこういうことになったのって追い討ちをかけてきた。

 無論俺も弁解した。例のディナレ教会でチビが入るのを嫌だって拒んだから。

「相当待たされたらしいよ。陽が沈んでも全然ラッシュは帰ってこなかったって。おまけに誰も通りにはいなかったって言うし」

「よろいきたおっきなひとがね、いっしょにかえろうってきてくれたの」チビが初めて口を開いてくれた。だけどなんかよそよそしい口ぶりだ。

「鎧を着た大きな人……? 誰だ一体」

「ほんと、たまたま通りがかった人が親切だったからいいものの、もしこれでチビちゃんが誘拐でもされたらどうするの?」

 俺は言い返せなかった。この街はまだまだそういう変な連中がうろついていないからいいものの、一歩郊外へ出れば、人さらいや人買い連中がチビみたいな子供を狙ってくることだってある。そう。だから絶対に一人にするなって言い聞かされてたんだ。


 それに……


「誰だって一人にさせられるのは嫌でしょ? まあラッシュは別にそんなこと平気かもしれないけれど、チビちゃんはずっとラッシュの背中を見て育ってるんだ。一人にされることがどれほどまでに辛いか、きちんと肝に銘じておかなきゃダメじゃない!」

「わ、悪かった……」今はそれしかいうことができなかった。

「あやまる人が違うよ、ラッシュ」

「あ、ああ……ごめん。チビ」俺は小さなチビの背中に向かって、こくりと頭を下げた。

「おとうたんなんてだいきらい!」手にしたスプーンをバン! とテーブルに叩きつけると、そのままチビは一目散に階段を駆け上っていった。

「……まあ、当分はあの調子かもね。修復するには時間かかること、ラッシュは十分覚悟した方がいいよ」

「ああ……」俺はチビを追いかけていく力もなかった。いや、別に走っていけば普通に捕まえられるんだが、嫌いという言葉が、まるで鋭い切っ先を持った矢のように、胸にぐさりと突き刺さったみたいで……おまけに、抜くこともできない。


 呆然とチビの消えた階段を見つめる俺に、トガリは「ぼくも明日から手伝うから」と言ってくれた。

 信用を失うようなことはしちゃダメだからね、ってきちんと付け加えて。


「ああ……」俺のひざから一気に力が抜けた。俺もメシ食わなきゃ。

「あ、そうそう。罰として今夜の食事は抜き。それくらい分かるでしょ」


 地獄だ。

淡々と食器の片づけをしているトガリの背中が恨めしく思えてきた。

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