その名はラザト

そして翌朝。




 腹減った……全身に力が入らねえや。


 こんな時に敵襲なんかされたりでもしたら、間違いなく俺の首は獲られちまうだろう。


 しかし、これほどまでにひどい空腹感を味わったのは生まれて初めてかも知れない。マジで死ぬ、絶対死ぬ。




 さてさて、あれから……といえば、チビは結局俺のベッドに来ることはなく、別の部屋で一人で寝てたみたいだ。


 トガリが言うには「あの子も少しずつ成長してるんだね」って。いまいちその意味が分からないから聞いてみると、鈍感だね、と吐き捨てるように言われた。


 ムカつくからいつも通り一発殴ろうとした……けど、今の俺はスプーンを持つことだけで精一杯だ。だから殴る力すら残されてはいない。




 でもってその当本人はといえば、朝早くにさっさと飯食って、また部屋に引きこもったらしい。ドアには鍵がかけられてるし。まあぶち破っても別に構わないんだが。




「昨日渡すの忘れてた。これ」トガリ特製のパンの味に感動しながら食っていると、あいつは俺に一枚の紙切れを渡してきた。


「昨日話したでしょ。チビちゃんが鎧着た人にここまで送ってくれたって。その人がラッシュにって」


 そういやそうだったな。けど鎧の人っていったい……? トガリにそれを聞いてもさっぱりだった。


気づいたときにはドアの前にチビが一人、ぽつんと立っていたって。


 でもチビいわく、俺らと同じ獣人じゃなかったそうだ。知っての通り俺に人間の知り合いなんていないし。ますます訳が分からなくなってきた。




 一枚の大きめの紙を折ったもの。そこには流麗な字で「ラッシュへ」と書かれていた。つーか読めた。これも勉強の成果だな。




 だが……


 肝心の手紙の中身、それがさっぱりだった。


 同じくペンでさらりと書かれた、一言の文。俺が見てもすごいきれいな字……なんだが。




 ……読めねえ。


いや、字が綺麗すぎて、ってことじゃない。見たことのない字体なんだ。


 それはトガリも一緒だった。あいつは故郷の国が違うし、いろんな国と交易もしていた。だから別の国の言葉に関してもある程度ならわかるとは言ってたんだが……


「ごめん、これ僕が知りうる国の文字じゃない」だそうだ。


かといって落書きとも思えない。俺が悩んだって仕方がないにしろ、トガリまで知らないとは……ほかのやつに聞いてみっか。




 なんてあれこれ考えあぐねていたときだった。


「あー、これオコニドの文字だな。お前ら読めなくて当然だ」


 俺とトガリの間に割って入った、酒臭いもじゃもじゃの固まり。しかし毛だらけとはいっても俺たちの種族じゃない。


 人間だ。伸び放題の髪を散らかした酒臭く、むさ苦しい風体の男だ。


 つまり……昨日の酒臭い犯人はこいつだったってことか!




「誰だこいつ?」


 とりあえず心を落ち着かせて、トガリに一言。


「うん、昨日僕が働いてた酒場で酔いつぶれてたんだ。泊まる場所がないっていうんで、連れてきたの」


「まあそーゆーことだ、よろしくな、デカ犬」


 俺ら二人の耳元でガハハとでけえ声で笑う。つーかめっちゃ酒臭え! 俺ですら吐きそうだ。


「しかし……こういう奇跡っつーのもあるんだな。アラハスのガキに連れられて来た場所が、よもや兄ィの家だったなんてなァ」


「どういうことだ?」酒臭い男のことはこの際置いといて、まずは経緯だ。


「話せば長くなるんだけどね。要はこの人、昔傭兵ギルドやってたみたい」


「つまり、親方と同じ仕事してたってことか」


「うん……だけど、僕らと同じく仕事がなくなっちゃって仕事たたんだらしいんだ。それで酔いつぶれていたところを僕が……」


 トガリもお人よしが過ぎる。なんでまたこんな奴を……


 あ……そういや、いま兄ィって言ってたっけか。




「おいデカ犬。もしかして俺の顔忘れちまったのか……? まあ無理はねえか。俺がここ出て行ったのはお前がまだちっこい頃だったし」


 と言って、俺に酒臭い顔をグイっと近づけてきた。


「思い出したか、ん?」


 陽に灼けてパサついた長い黒髪、それも癖がかなりついており、あちこちでツタのようにくるくるとカールして腰のあたりまで伸びている。ぱっと見まるでジールみたいだ。


 年齢的には……おそらく親方と同じくらいか。そこそこ老けてはいるが、長い髪のおかげでちょっと若く見える。


 そして切れ長の目に彫りの深い鼻筋……あまりこの辺では見ないタイプの男だ。


 でもダメだ。思い出せねえ。


「これでもわからねえか……それなら!」


 男は顔の右半分にかかっていた長い前髪を払いのけた。




 深い刀傷が右目に縦に走っている。


こいつ、隻眼……




 ………………あ!!!




「昔と変わらず鈍感だなあ、ええ、デカ犬よぉ?」


 そうだ、バカ犬といいデカ犬といい、俺のことをこう呼ぶ奴なんてそうそういない。


 俺がラッシュって名前で呼ばれるようになったのはまだ十年そこそこ。それまではこの男のように、デカ犬とかバカ犬とか、いわゆるあだ名で呼ばれていた。


 それを知っている奴なんて、親方か、この……


「え……っと、なんだっけ、あんたの名前」


 つぶやいた直後、ゴン! と俺の頭にゲンコツが落ちてきた!


「あだあ!!!!!」痛い。めっちゃ痛い。まるで親方の岩石みたいな硬さだ。


「目上の人にあんたはねーだろ! お前の頭ン中には馬の糞しか詰まってねーのか!」




 あ、そうだ……この乱暴な口ぶり! 思い出した!!




「ラザトか! お前、ラザト……って痛ぇ!!!」名前を言ったとたん、さらなるゲンコツが直撃した。


「だから呼び捨てにするンじゃねぇクソ犬! ラザト親方って言え!」




 え、おやかた……?

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