第12話 決死の冒険

 その後が、ひと悶着だった。

「何で行くんだお前は! そんな危ない所に!」

 当然、親父と大喧嘩になった。

「心配なんだよ、学校が!」

 嘘だった。本当は、岬さんが心配だったのだ。もし、あの通話の中断が事故のせいだったら? 

 今朝早く、日本の同盟国に向かって発射された弾道ミサイルを迎撃しようとしたミサイルの一部が飛ばなかったらしい。そのまま地上に落下して爆発事故を起こし、周辺が吹っ飛んだらしい。その近辺には住宅なんかないけど、記念公園のある辺りは、どうやら被災範囲に引っかかっているみたいなのだ。

 僕が向坂の告白を断らせなければ、こんなことにはならなかった。いや、もしかすると事故には巻き込まれていないかもしれない。それなら、まだ止めることができる。

 日が暮れるまでに向こうに着いて、岬さんの安否を確かめるのだ。電話はあれっきり、もう通じない。直に会って、向坂さんの告白を断っちゃダメだと説得するのだ。

 友人として……。

 ただし、両親が僕を家から出すわけがない。オフクロも、許してはくれなかった。

「明日でいいでしょ!」

「それじゃあ間に合わないんだよ!」

 日が暮れたら、僕は死んでしまうのだ。そのくらい、ヨウコが好きだってことは自分でもはっきりしていた。死ぬの生きるのはもう、関係ない。たとえ僕の目の前から消えても、ずっと心の中から消えはしないだろう。

 少なくとも、日が昇っている間は。

 ヨウコはというと、僕の部屋から一歩も出ないで困り果てていた。

「どうすんのよ、お兄ちゃん」

「僕を連れて瞬間移動……とか。」

 神社から僕を運んでこられたのだ。もしかすると、事故現場までもできないかと期待したのだが、ヨウコは眉をひそめた。

「何それ」

「だってお前……神社から……」

 ヨウコはきょとんとする。

「それアタシじゃない……知らないうちに」

 あんなことが他の誰に、と考えているヒマはなかった。ヨウコが真顔でツッコんだのだ。

「だから、どうするの!」

「どうしろったって……しょうがないだろ、お前のこと」

「それ以上、言っちゃダメ」

 そう言いながらも、ヨウコは笑っている。でも、悲しそうだった。

「狐龍になれればいいんだけどな」

「何で?」

「もう、アタシじゃなくなるもん。そしたら、契約外の女の人、好きになったことにならないでしょ?」

「あと900年あるだろ」

 僕の命はあと1日もないっていうのに、よく言う。ヨウコは済まなそうにうなずいた。

「そうなのよね。絶対に今日中には死なないわけよ、アタシ」

 するするとすり寄ってくるのを、片腕で抱えた。畳んだ布団を枕にして、1人と1匹で横になる。

「バカ……あ~あ、可愛いって罪よね」

「そうだよ……こんなことになるんなら、あのとき連れて戻るんじゃなかった」

 寝そべったまま、お互いに強がってみせる。

 だが、ヨウコのほうはいつになく、先に折れた。

「ごめんね……だって、お兄ちゃん、かわいそうで何とかしてあげたかったんだ」

 ちょっと拍子抜けしたが、ここで僕まで沈んでしまうわけにはいかない。

「お前がそんなウソつくからこんなことに」

 たまに喧嘩するときの口調でふてくされてみせた。

 ヨウコはヨウコで、いつもどおり口答えをしてくる。

「だって……狐は人を化かすもんじゃない?」

 開き直るのを、横から指で小突いてやった。

「じゃあ、お仕置きだ。日が暮れるまで、僕と一緒に……」

 そこまで言って、はっと気づいた。

 1つだけ、方法がある。

 僕とヨウコが、一緒にいなければいいのだ。


 そんなわけで、僕は軍の車両が行き来する昼下がりの国道で、バスに乗っていた。

 動ける一般の自動車なんか限られてるし、バスも時間通りには来ない。それでも僕は、午前中から何とかバスを乗り継いで、少しずつではあるけど学校のある町へと向かっていた。

 何でそんなことができるかというと、首から下げた絵馬のおかげだ。

 そう、狐ネットワーク。

 なぜ僕がそれを持っているのかというと……。

「じゃあ、これ預けるね」

 臭いと言いながらも昨日の服を着たヨウコは、僕の姿で絵馬を僕に手渡したものだ。

「事情は仲間に話しておいたから、ちゃんと動いてくれるはず。指示通り動けば間違いないって」

 別にいらないと言ったが、聞いてはもらえなかった。

「持ってって。最後の1日は一緒にいられないわ、お兄ちゃんは思い残したこと抱えて死ぬわじゃ、目も当てられない」

 単純な話だった。


 ……狐は、人を化かすもの。

 

 ヨウコが僕の身代わりになって両親の目を引き付けてくれればいいのだ。

 僕は自分自身に見送られるようにして、すんなり自宅を出ることができた。1時間に1本しかないバスは、やっぱり路線の途中で止まったけど、あとは絵馬のメッセージが誘導してくれた。


〈はろー、こちら鳴物ヶ野の白狐。乗客化かして1台空にしたから〉

〈おけー、こちら虚空蔵寺の古狐。道は空けたぞおーらい〉


 そんな感じで、何時何分にどこでどのバスに乗れという指示まで受けて、僕は着々と目的地へと向かっていた。

 事故のニュースは、バスの中の電光掲示板で知ることができる。乗り換えるたびに車内設備は新しくなり、情報源もLEDの文字から、液晶画面の動画へと変わっていった。

 事故現場では、死傷者が出ているようだった。多くは軍の関係者だったが、その周辺施設でも仮の救護施設が置かれて、絶えず応急処置や搬送が行われている。

 被害にあった人たちの名前も次々に報告されたが、そこには由良岬という漢字もユラミサキというカタカナもなかった。

 まず、記念公園にたどり着かなくちゃ始まらない。狐ネットワークの指示するバスを乗り継ぎながら、心の中で僕は焦った。

 だが……バスよりも時間の流れのほうが速かったのだった。

 日がだいぶん傾いたというのに、学校辺りの最後のバス停までもう少しというところで、車の流れは完全に止まってしまっている。たぶん、ミサイル暴発事故の処理で、軍関係のいろんな車両が出入りしているのだ。

 もしかしたらと岬さんに電話したりメールしたりしてみたが、どちらにも反応はない。狐ネットワークの指示するバスを乗り継ぎながら、心の中で僕は焦った。

 まず、記念公園にたどり着かなくちゃ始まらない!

 だが、バスよりも時間の流れのほうが速かったのだった。

 絵馬には、「狐ネットワーク」のメッセージが現れては消える。


〈動けるバスあるか?〉

〈もうダメだ、ワシらの力じゃどうにもならん〉


 街道沿いの、いや、日本のあちこちで姿を消し、あるいは人間の姿でひっそり暮らしている狐たちが、人間でしかない僕のために力を貸してくれている。


〈諦めんな!〉

〈でも……〉


 どれほど知恵と幻術の限りを尽くしても、できることには限界がある。それは当然のことだ。いや、ここまでしてくれたことを、ヨウコとその仲間たちに感謝すべきだった。

「……ありがとう!」

 僕はバスを降りた。もう、走るしかない。ヨウコがやったように絵馬を服の中に入れて、僕は全力で駆け出した。勘として、記念公園までは走って着けないことはなかった。

 ただし、どのくらいかかるかは分からない。最短コースを走るしかなかった。

 

 最初は、マラソン大会にでも出たように、道なりに走っていればよかった。だけど、街を分断して流れる大きな川が見えてくると、そうはいかない。

 堤防沿いを走っていると、滔々とした川の流れは穏やかに見える。だが、その流れは見かけより速く、水面下は複雑な流れの渦が荒れ狂っているという。実際、川の怖さを知らない他所の人が、ここで毎年1人は溺れて死んでいるのだ。

 自分からフラれに行くというのに、やらなくちゃいけないことは命懸けである。割に合わないといえば、これ以上のことはないだろう。

 泳ぐわけにもいかないから、橋を渡るしかない 心臓がバクバクいうのを感じながら、誰もいない欄干際の歩道を、力の限り走る。間に壁を挟んだ対向2車線ずつの橋は、車がぎっしりと詰まって渋滞していた。

 さらに、その先がややこしかった。

 なにぶん、川沿いの山にトンネルを幾つも強引に掘って、その麓にある公道とつなげているものだから、その道のりは立体迷路並みに入り組んでいた。

「このトンネル通って、高架橋の右端の道通って、一方通行の公道下りて、ぐるっと回って反対方向に出て……」

 走りながらということもあって、車のぎっちり詰まったトンネルの中では、考えるのも煩わしかった。公道の上に架かったバイパスから下を見ると、トレーラーやダンプカーといった軍の車両がものすごいスピードで行き来している。飛び乗れるものなら、飛び乗りたかった。

 ……やってみるか?

 そんなことを考えたのは、ある確信があったからだった。

 高架橋の端によじ登って、軍の車両が来るタイミングを待つ。失敗して事故っても、死ぬことだけはない。

 なぜなら、ヨウコとの契約はこうなっていたからだ。

「決して、他の女に二心を抱かざること。移さば、その日没に死すべし」

 僕の心はもう、ヨウコに移っている。岬さんのもとへ急いでいるのは、言ったことへの責任を果たすためだ。

死んでしまったら、向坂の告白を断れという言葉を取り消せなくなる。

 タイムリミットは、今日の日没だ。日が沈んだら、僕は死ぬ。

 だが、こういうことも言える。

 日が昇っている間、僕は何があっても死なないのだ。飛び移っても、命は保証されている。飛び移った車両の進行方向さえ間違っていなければ、そのまま、ある程度まで運んでもらうこともできるのだ。

 そこまで考えて、僕は高架橋の端っこに足を掛けたが、そこではたと踏み止まった。

 ……死なないんだよな。でも。

 怪我をしない、ということではない。瀕死の重傷を負っても、生きていることには違いないのだ。たとえ命があっても、記念公園まで、そして岬さんのもとまでたどり着けなければ意味がない。

 ……地道に、走るか?

 太陽の光を感じる方向に振り向いてみた。公道を挟む山の端に、そろそろ近づき始めている。日没までは時間があるけど、徒歩で移動したことがないから、よく知らない迂回ルートを通って間に合う保証はない。

 ……決めた!

 高架橋の下を、あの何とも言えない暗い色をした軍の大型トラックが通過する。僕はその荷台にトランポリンのように掛かったシートを大きく息を吸い込んで見据えると、道の端にあるフェンスを乗り越え、思いっきり両腕を振って飛び降りた。

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