第11話 ほんとうの、気持ち

 結果から先に言うと、僕は日曜日の間に学校へは戻れなかった。バスが、途中で止まってしまったのだ。軍の車両が移動するので、道路を空けなくてはならなくなったらしい。結局、スマホで親父に連絡を取って、迎えに来てもらった。

 出がけに玄関であんな「幻」を見た後だからだろう、恥ずかしそうな気まずそうな、変な顔をしていた。帰ってからは、オフクロも黙々と、中学まで使っていた僕の部屋で布団を準備していた。

 その夜は、眠れなかった。

 ヨウコが気になって仕方がなかったからだ。

 最初に出会った夜はともかく、ヨウコが妖狐だと分かってからは、僕はしっかり自分の布団で寝ていた。ヨウコはというと、狐だという分を弁えて、すぐそばで丸くなって寝ていた。

 それで、よかったのだ。

 ところがその晩に限って、僕は妙にヨウコを女の子として意識していた。遠慮するのを強引に僕の布団で寝かせて、自分はその傍で一晩中、腹筋背筋腕立て伏せをやって過ごしたのだ。

 狐の嫁入りの話なんか聞いたせいかもしれないが、結局、途中で息が苦しくなって気を失い、気が付いたら朝になっていた。

 だが、僕を叩き起こしたのは、スマホからのコール音だった。

「岬さん……何で?」

 朝っぱらから何だ、という意味じゃない。

 今までメールでしかやりとりしなかったのは、携帯番号を聞き出す勇気も教える度胸もなかったからだ。

「昨日、電話のそばに書いてあるの見たから」

 大した瞬間記憶だった。こっそり、携帯電話に打ち込んでない限り。

「どうしたの?」

 似たような問いだったけど、これは本当に用件を聞いたのだ。わざわざ電話をかけてこなければならない用事といえば、ひとつしか思い浮かばなかった。

「断ってくる」

 言葉が出なかった。まさか、こんなに早く決断するとは……いや、そうじゃない。たぶん、岬さんも一晩中悩んだのだ。

 すぐ後ろで、くぐもった声がした。

「やったね、これでアタシも」

「バカ、黙ってろ」

 振り向いた先では、布団にくるまったヨウコが、顔半分だけ出してこっちを見ている。スマホからは、怪訝そうな声が聞こえた。

「浅賀君?」

 岬さんに誤解されるまいと、向こうからは見えるわけがないのに、ヨウコからは背を向ける。

「ああ、何でもない、親父オフクロがさ……」

 電話の向こうで、クスっと笑う声が聞こえた。

「妹さんに宜しくね」

 やっぱり、聞こえていたのだ。首だけ回してヨウコを睨みつけると、ムキになるか、しらばっくれるかと思いきや、なんだか寂しそうな顔をしていた。

「あ、そうそう」

 思い出したように岬さんが言うのが聞こえて、僕は再びスマホに向き直った。こんな大事な話の後で、何か軽く付け加えられるのに、ちょっとガクっときていたりする。

「……何?」

「今日、学校来なくていいみたいだよ。メール見て」

 それだけ言って、岬さんは電話を切った。その通り確かめてみると、学校からの全体メールが来ていた。


〈情勢静観のため、安全を考慮して本日休校とします〉


 1日もうけた。こんな言い方は何だが、戦争さまさまだ。いくら岬さんのためとはいっても、日曜を丸一日使って、次の日に登校というのはちょっときつかった。

「よかったじゃない」

 ヨウコは布団の中から言ったけど、それはもちろん、メールの件じゃない。電話のほうだ。でも、僕としては両手に花と言ってよかった。

 バスが復旧するまで、岬さんからの報告をじっくり待てばいいのだ。向こうに戻れば、僕が告白するチャンスが確実にやってくる。

 それまでは、実家の上げ膳据え膳でゆったり過ごせばいい。どうせ、バイトはクビだ。今日1日は、ヨウコとのんびり過ごせる。

 あれ? これもやっぱり、両手に花……?

 そんな妄想を断ち切るかのようにお、僕の頭にTシャツとハーフパンツが降ってきた。ヨウコの仕業だ。

「お前!」

 振り向こうとして、はたと気付いた。これ脱いじゃったら、ヨウコは……。

「お兄ちゃん……」

 囁く声に、僕はじたばたとのたうち回った。替えの服なんか、オフクロがどこにしまったか分からない。

「何やってんだ、これ着ろコレ早く!」

 目を固く閉じて叫んでいると、そのオフクロが襖の向こうから眠たそうに言った。

「朝から何騒いでんの?」

「ああ、今日、学校休みだってメールが」

「どれ」

 襖を小さく開けて、スマホを差し出す。もう片方の手を振って、昨日の服を着ろとヨウコに促した。

「いやだ汗臭いし」

「我慢しろ」

 ヨウコとのやり取りする僕の声が聞こえたのか、オフクロはスマホを返しながら言った。

「仕方ないね、今日1日はゴハンの面倒見てあげるよ」

「感謝感謝!」

 適当なことを言って恐る恐る振り向くと、セーラー服姿のヨウコがちょこんと正座していた。どうやらこの服装が、人間に変身した後のスタンダードらしい。

 安心したけど、ちょっと残念な気もした。

 でも、この畏まった態度は、どこかで見た気がする。そう、契約を交わしたあの朝だ。

 あの朝と同じように、ヨウコは三つ指ついてあの仁義を切った。

「信夫ヶ森の百年狐、一宿一飯の恩義を果たさせていただきました」

 最後だけが違う。

 そう、「す」じゃなくて「した」……つまり、近い未来の意思表示じゃなくて、過去形。

「た……って何? た……って?」

 しどろもどろに尋ねると、ヨウコは満面の笑顔を浮かべた。

「任務完了! お兄ちゃんも、よく我慢しました」

「我慢って? 僕、何を我慢?」

 考えてみれば、散々振り回されてきた。むやみやたらと機械は逆転させるし、岬さんとの二人きりの時間は邪魔するし、バイト先までついてきて、2つともクビにさせて、ろくなことがなかった気がする。 

 でも、楽しかった。1人しか入居できないアパートでこっそり2人で暮らして、ふざけあったりじゃれあったり喧嘩しては仲直りしたり、、こんな日がずっと続けばいいと、いつしか思っていた。

 いや、終わるなんて思っていなかったのだ。

 だって、岬さんが振り向いてくれるなんて、本当は思ってなかったから。

 ヨウコは、永遠に続くはずだったその契約を、改めて口にした。

「決して、他の女に二心を抱かざること。移さば、その日没に死すべし」

 そんなこと、有り得なかった。いくら諦めているからって、僕の目には岬さんしか見えていなかったのだ。

 でも。

「ちょっと待ってよ、まだ僕は……」

「あれ、OKのサインだからね。アタシにはわかる」

 ひとりで腕組みして、ヨウコはもっともらしく目を閉じると、うんうんと頷いた。

 告白もその成就も、チャンスはすぐに巡ってくるということだ。

「これでほとんど間違いないでしょ。あとは、自分でやんなさい」

「あとは、って、お前どうすんだよ」

「決まってるじゃない」

 とん、と畳を叩いて宙返りしたヨウコは、スカートの裾を器用に押さえて、素足で爪先立ちした。

「百年狐は信夫ヶ森に帰ります。すぐそこだし」

 スカートの下から、狐色の尻尾がふわりと垂れた。ウインクすると、似合いもしないセクシーポーズ何かとってみせる。

「恋しくば尋ね来て見よ 信夫なる稲荷の森のうらみ葛の葉……なんてね」

 どこかで聞いた歌をもじったヨウコは、急に腰に手を当てて、めっ、という顔をする。

「来るな、絶対に」

 その目から、一筋の涙がこぼれた。それを受け止めようとするかのように、俺はヨウコの足元に飛び込んだ。

「行かないでくれ」

「バ……バカ、どこ座ってんのよ変態ヘンタイ変態!」

 慌ててしゃがんだヨウコは、僕の身体を抱き起した。

「岬さんに告白して、あとはラブラブになるよう頑張って、とにかく、アタシいらないじゃない、このこのこの色男!」

 バンバン背中を叩かれているうちに、だんだん胸が苦しくなってきた。僕は返す言葉もなく、ヨウコのちいさな膝の上に身体を折った。

「どうしたの、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「苦しい……死にそう」

 本当に、そんな気がした。心臓がねじ切れそうだった。肺が無限に膨らみそうな、いや、どこまでもしぼみそうな感じがした。

「何で? どうして? まさか、本当に浮気とか?」

「しない! しない! 絶対に!」

 命が懸っていた。苦しい息の下で、僕は必死で弁解する。

「いつも一緒にいたくせに、分かんないのか! 僕の周りに、岬さん以外の女がいたか?」

 そこで、僕ははたと気付いた。

 自分で口にした謎が、単純なパズルだということに……。

「そうか、そういうことか」

 僕は、ヨウコの膝の上でころりと寝返りを打った。涙を目に浮かべた可愛らしい狐娘の顔が見える。たぶん、僕と同じ結論にたどりついたのだ。

「バカ……言ったじゃない、日が暮れると死んじゃうんだよ」

 落ちた涙は、熱かった。それを拭うつもりかどうなのか、妖狐のヨウコは僕の頬を小さな掌で撫で続けた。

 どのくらい、そうしていただろうか。

 日が沈むまでは、と思っていた。ヨウコのほうは、どうだか分からない。日が沈んだ後のことは、考えたくなかった。残される両親のことも、岬さんのことも、最後の最後までは頭の隅に追いやっていたかった。

 だが、岬さんだけは僕の意識のど真ん中に自力で現れたのだった。

 スマホが急に鳴っても、僕は取る気がなかった。勝手に取って出たのは、ヨウコだった。

「あ、岬さんですか?」

 はすっぱな日ごろの物言いからは信じられないほどのしとやかな声に、岬さんも親し気に応じる。

「あ、妹さん? 昨日はごめんね」

 昔からの知り合いのように言葉が交わされた後、スマホは僕に手渡された。

「どうしたの?」

 努めて冷静に尋ねたのは、本当の気持ちがもう、岬さんに向いてはいないということが分かったからだ。

 今しか、言うときはない。向坂の告白を断った後、僕が死んだりしたら、どれだけ深い悲しみが襲ってくることだろうか。

 いや、まだ告白していないんだから、それは自惚れというものかもしれない。でも、死ぬと分かっていて、将来性のある男との交際をやめさせることはない。

 ややこしい言い方になるけど、「断るのをやめろ」と言わなければならないのだ、今。

 だが、岬さんはもう、その行動を半分だけ起こしていた。

「今、記念公園」

 軍のミサイル基地のあたりに、昔あった帝国陸軍連隊の顕彰公園がある。憲法が変わってすぐ、できたものらしい。でも、誰もそんなこと気にしていない。5月の連休なんかは、そこで軍の人も屋台出したりして、なんだかんだとイベントが開かれる。

「向坂さんを呼び出したの。大事な話があるって」

 まだ間に合う。それは交際OKって返事の可能性もあるからだ。

「その話なんだけど、実は……」

「あ、向坂さん来た、じゃあ、また、後」

 僕の話を遮った岬さんの言葉は、中途半端なところで途切れた。

「どうだった?」

 思いっきりニヤニヤ笑いを繕ったヨウコが、僕の真下から顔を突き出した。 

「ダメだよ、そんな一時の気の迷いで命投げ出しちゃあ……」

 そこへ勢いよく襖が開いて、ヨウコは僕の胸にすがりついてきた。慌てて抱え込んで隠した僕だったが、もう尻尾は見えなかった。うまく姿を消したらしい。

 駆け込んできたのは、オフクロだった。

「えらいことになったねえ、今日、学校休みでよかった」

「な、何があったの?」

 何があろうと、まず、この場から引っ込んでくれればそれでよかった。だが、それで済まないことが起こっていたのだった。

「学校の辺にミサイル基地あるだろ」

「ああ、あるけど」

 だから、休校になったのだ。関係の車両で、道路はごった返しているだろう。今日は、出歩かないほうが無難だろう。

 その判断は、オフクロの報告で裏付けられた。

「あの辺、その爆発で吹っ飛んだんだって」

「え……?」

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