第146話 馬鹿二人








「いよいよまずくなってきたな」


 佐三は舌打ちをしながら呟いた。












 二人だけの抵抗は少なくない効果があった。相手の進軍は明らかに遅くなり、確実に時間を稼いでいる。膠着した状況は戦場に限らず人間のやる気をそぐものであるし、精彩を欠いた動きを招きやすい。佐三はそう考えていた。


「しかし相手がさらに増えてくるのは……痛いな」


 佐三は情報を整理しながらペンを走らせる。フィロの力によって相手方の情報は筒抜けにできる。だからこそこれまでの行動は全て成功することができたわけであり、リスクも極限にまで少なくできた。


 どう見ても理不尽な能力。だが、それでさえもこの状況をひっくり返すことは難しい。情報が入手できたとしても、それに対処できるかは別問題なのだから。


(相手方の人数はおよそ千人から二千人。しかしこれはあくまで現状の話だ。先程の一般兵がどこまで本当の情報をもっていたかは分からないが、情報が本当ならさらに五千以上来る。そうなればもう手の打ちようがない)


 佐三の目的はあくまで敵の戦意喪失とこちら側の戦意高揚である。しかし援軍が来れば両方の目的が同時に頓挫する。


(それに俺は軍人でもないただの商人だ。現代の経営者でも、流石に戦術なんか知らん)


 佐三は頭をかきながら「あーでもないこーでもない」と考え続ける。フィロはそんな佐三を黙ってみつめていた。


 しかし幸いなことに相手方は佐三達の事を認識できているようではなかった。現在の所彼等が少数の精鋭部隊に襲われていると勘違いしている。それもそのはず、人を操ることができる相手を、普通は想定したりしない。


(だが相手も馬鹿じゃない。今までは互いの拠点がある程度離れていたから成功したが、今は拠点同士の間隔を狭め、一部隊単位の規模も大きくしている。これでは各個撃破が難しい)


 敵の進行速度が遅くなったとはいえ、此方の民衆及び領主達が戦う意思を見せるには相手の被害が少なすぎた。加えてこれから敵の援軍が来れば、状況の打開はますます不可能になる。


(となれば……)


 佐三は頭の中に『決戦』の二文字を思い浮かべる。敵に一気に打撃を与えるには、相手方の戦力を集めなければならない。大量の敵に大打撃を与えることができれば、それだけで士気が逆転する。


 しかしそれはあまりにも分が悪い賭けだ。ビジネスを知るものであれば、ましてや日本人であれば、一発逆転の決戦というものが如何に悪手か理解している。社運を賭けた事業なんてものはその多くは頓挫するし、旧日本軍は大東亜戦争で悉く決戦に敗れてきた苦い記憶がある。


 ハッキリ言ってとりたくない選択肢であった。


「フィロ、体調は大丈夫か?疲れていないか?」


 佐三は隣で地面に腰を下ろしているフィロに問いかける。草原を吹き抜ける風の中髪の毛をかきあげながら、フィロはただ「大丈夫です」と答えた。



「次がおそらく、最後の作戦になる。もう少しだけ頑張ってくれ」

「はい!」


 そう言って二人は立ち上がり、馬にまたがる。もう個別の拠点を攻撃する必要はないが、いくつか情報を流しておかなければならない。そのためにもう一仕事必要であった。


『西側の町にて現地軍が抗戦の構えあり』。この情報を流せば、敵は戦力をまとめて町を制圧しに来るだろう。戦力が優位であれば、分散されるよりも一気に叩く方が良い。それにいつ襲われるか分からない襲撃から早く逃れたいという心理も働くはずだ。十中八九のってくる。佐三はそう考えた。


(問題は、どこまでもつか……だな)


 佐三の容態は日に日に悪化している。それはフィロでさえも気付いていた。既に体重もかなり落ちただろう。食欲も減ってきた。


 佐三はまさしく生命力を削って戦っていた。

















 拠点近くのいくつかの村落や町を回り、フィロの力も使いながら情報を拡散していった。おそらく近いうちに相手には伝わるだろう。そうすれば軍を集めて進軍してくるに違いない。


 移動の最中、フィロは馬に揺られながらぼんやりと思索にふけっていた。


(今の私を見たら、母様はなんて言うだろうか)


 フィロは少し前を進んでいく佐三の背中を見る。フィロの目から見ても明らかにやつれている。既に体力はなく、およそ気概だけで生きているような様子であった。


(その心を支えているのは、きっとイエリナ様の……)


 フィロは心臓が締め付けられるような思いがした。


 自分が狂おしいほど愛してしまったその男は、自分ではない想い人のために死のうとしている。そして自分は、そんな男のために命を捨てようとしているのだ。


(端から見れば私は、相当な馬鹿に見えるでしょうね。……母様のことなんか笑えないわ)


 フィロは手綱を握りしめながらじっとその背中を見る。彼は何かしら体に異常があるのだろう。それはいつぞやの傷によるものか、はたまた病気によるものか。だとすれば今すぐにでも休んで欲しい。命を大事にしてほしい。フィロはそう願わずにはいられなかった。


 しかし止めることはできなかった。彼のその思いに水を差したくないという思いはある。しかしそれ以上に彼に必要とされているこの時間が何よりもフィロにとっては幸せであった。自らの命を差し出しているというのに、それでも幸福を感じている自分を認めざるをえなかった。


(本当に……馬鹿な女)


 フィロはそう自嘲して空を見上げた。馬の足音が小気味よく聞こえてくる。現在の状況、そして佐三が言った「最後」という言葉。十分に頭の良いフィロには次が死地であることは当然に理解できた。


「本当に……馬鹿な人」


 フィロはその背中をもう一度みつめて、小さく呟いた。












 その言葉は佐三には聞こえなかった。いや、聞く余裕すらなかったのかもしれない。佐三はただ狭い視界の中、目的地へと進んでいった。


 しかし迷うことはない。何故ならそれは幾度となく帰った場所であり、この世界でもっとも親しみをもった場所なのだから。


 決戦となる場所は、地理上の用地でありこの周辺でもっとも防御力の高い町。つい最近防壁の修理をした、手頃の場所があった。


 その場所は長い間猫族によって統治され、運営が行われてきた。大領主に自治を認められ今尚存在している。


「結局ここに帰るとはな……」


 誰一人いない暗い町が、静かに二人を迎えてくれた。






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