第144話 「俺のために死んでくれ」
夜、皆が寝静まった頃。佐三は一人でその遺跡に来ていた。
既に動かし方は確認している。日中に実際に起動してもらってもみた。その扉の向こうには、かつて佐三が見たあの東京の景色が広がっていた。
佐三はその他の準備を終え、最後にスイッチを押せば起動するというところで不意に手を止めた。
「こんな夜更けに散歩か?フィロ」
佐三が振り返る。暗い影からフィロが歩み出てきた。
フィロも佐三も、何を言うわけでもなく互いをみつめていた。フィロには佐三が何をしようとしているのかは分からない。ただ寝付けなくて外に出たら、佐三の姿を見たのである。これは完全に偶然だった。
「どうしたんだ?何か用があったんじゃなかったのか?」
佐三が低い声で質問する。その声は冷たく、どこか他人行儀であった。
「佐三様こそ、こんな夜更けに何を……」
フィロはおそるおそる尋ねる。きっと、聞くべきではないことである。夜更けにわざわざ一人動いているのだからそれぐらいは察しがついた。
「俺はちょっと寝付けなくてな。興味本位で遺跡まで来たんだ」
嘘だ。フィロにはそれが分かった。
無論佐三の方も取り繕う気などなかった。もとよりこのスイッチ一つ押せば、この世界から帰ることができるのだから。しかし万が一うまく起動しない可能性だってある。帰れない可能性もだ。だから一応言い訳が立つように、見え見えでも嘘をついている。
「少し、お話しませんか?」
フィロが提案する。正直、今の佐三は見るからに恐ろしい。何を考えているのかまるで見当がつかないのだ。
しかしそれでも、離れる気にはならなかった。それは同情か、はたまた危険な恋心か。いずれにせよフィロには既に覚悟が決まっていた。
「何を……考えていらっしゃるのですか?」
フィロが佐三に尋ねる。
「これからの事は他言しません。王家としての誇りと、我が命にかけて」
フィロが胸に手をあて、そう宣言する。しかし佐三はそれを鼻で笑った。
「王家?既に王家の人間ではないだろう」
「……」
「それに王家もへったくれもない。いずれ侵略され、そんなものは傀儡にされる。そしたら尊厳も残らないさ」
佐三の目は既にすさみきっており、フィロの方を見ているようでその先を見ているようであった。間違いなく対面しているはずなのに彼のその存在がどこまでも見えなかった。
「あとな、フィロの命一つで何になる。人の命も替えがきく」
「…………」
フィロは何も言わない。彼女は既に佐三の異変に気付いていた。少なくとも普通であれば、他者の尊厳を少しでも蔑ろにすることを佐三はしない。今の佐三は明らかに異常であった。
フィロはただ静かに佐三をみつめる。いかなる結末になろうとも私はこの人についていく。フィロはそう決めた。
(つくづく……お母様の血筋ね)
フィロは母のことを思い出す。どんなに自立していても、自分が女であることは変わらない。母様がそうであったように、自分もそうなのだ。
フィロはにっこりと佐三に微笑んだ。
(一体俺は何をしているんだ)
何度目だろうか。佐三は自身に問いかける。
情は経営判断を鈍らせる。組織を生かしておくために、自らが生き残っていくために、時には残酷な決断が必要なことは競争社会においては当然であった。
だからこそ自分に言い聞かせ続けた。『物事には代わりがある』と。それを理解しているからこその自分であり、成功であったのだ。
それなのに自分はいまスイッチ一つ押せないでいる。誰に止められるでもなく、今目の前にあるというのに。体は異常な程佐三に抵抗していた。
(合理的な判断をすれば、いずれにせよしなければならない。あの扉にどの程度の信憑性があるかはわからないが、少なくとも今ここで治療を受けなければ死ぬ可能性が高い。それに何より自分の元いた世界に帰れるのだ。迷う理由はない)
佐三は自分の中でそう唱えるも、一向に体が動かない。フィロが黙って自分を見ていることも既に眼中になかった。
(クソ……腹部がうずく……)
それは既に痛みへと変わっている。事態は一刻を争う。佐三自身それが嫌という程わかっていた。
「私は……」
唐突な声に佐三が頭をあげ、フィロの方を見る。フィロはこちらをまっすぐ見て続ける。
「私は……貴方を好いております」
「っ!?」
思いがけない言葉に佐三が少し固まる。しかしフィロは話を止めない。
「きっと、愛しているのだと思います」
「フィロ……俺は……」
「分かっております。佐三様の……貴方様の気持ちを私がとらえようなどとは思っていません」
フィロのハッキリとした言葉に佐三はただただ言葉を失う。
「でも、貴方様が悩んでいるのであれば私はそれに従います。貴方がどのように考え、行動しようと、私はそれについていきます」
「フィロ……」
「これは契約ではありません。私自らの……欲のようなものです。貴方様が気にする必要もありません」
フィロはそう言って近づき、佐三の手を取った。
「イエリナ様のいないところで、私は卑怯な女です。高貴でも何でもない、ただの女です」
「…………」
「私は愛する人に好きなように生きて欲しい。貴方の望みに私ができることがあれば、何でも答えます」
「…………」
しばらく沈黙が続く。フィロはそっと佐三の手を放した。
佐三は何も話さない。ただ黙って、自問自答を繰り返した。
(俺は……)
答えを見つけるために過去の自分を思い返す。冷酷且つ合理的な判断で、次々と事業をおさめてきた自分。それが自分のはずであった。
(クソ……思い返すのは、この世界に来てからのことばかりじゃないか……)
ベルフとふざけ、イエリナと喧嘩し、アイファと笑い、ハチと協力した。チリウにリーダーというものを見出し、そしてフィロにここまで言わしめた。ナージャはいつまでもお転婆で、ドニー達ならず者もなんだかんだよく働いていた。
(違う……違う……)
情けない感傷を打ち消そうと、本来の自分を思い出そうとする。しかし脳裏に描くのはこの世界の日常であり、その光景であった。
『私を雇ってください』
『どっちが上とか下とかじゃない。信頼関係に基づく対等な関係を、俺は求めているんだ』
『だがそれ以外の生き方を私は知らない!』
『ならサゾーも同じだ。サゾーだから皆がついてきてくれるのだ』
『ははさま、ははさま……』
『確かに、お金を前にすると人の本性ってでるね!』
『佐三様』
『サゾー』
『主殿』
『サゾー』
『佐三様』
『サゾー様!』
『さよなら』
「なあフィロ、前に言ったな。俺の願い、一つ聞いてくれると」
「はい」
佐三の言葉に、フィロは優しく微笑んだ。答えが出たのだろう。佐三の顔には先程までの迷いはなく、それはフィロにも十分見て取ることができた。
「じゃあ、一つだけ……聞いてくれるか?」
「勿論」
フィロの言葉に佐三は一呼吸置き、まっすぐフィロをみつめて告げた。
「俺のために死んでくれ」
フィロが「はい!」と笑顔で答える。そんな様子に佐三はどこか呆れたように笑った。
無論彼女を一人で逝かせたりはしない。せいぜい足掻くとしよう。
佐三は遺跡の装置に軽く蹴りを入れて、フィロを伴い歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます