第156話、胸に抱く
「・・・おい、今何か幻聴が聞こえたなぁ・・・そこの小娘が何か言ったか?」
私の発言に男性がゆらりと動き、私へと視線を向ける。
その目は鋭く敵意に満ちていて、目の前にいる人間が敵だとはっきり感じられた。
敵なら、倒せばいい。闘技場の舞台で倒せばいい。そして、食らえば、良い。
『グ、グロリア、落ち着・・・いてはいるのか? 飛び掛かりそうな気配は無いし・・・』
ガライドの言う通り、今闘う気は無い。だって彼とは闘技場で戦うのだから。
私の闘う場所はあそこだ。だから今は大人しくしてないと怒られる。
「殺す、とか言ったか? なあ、まさか本気で言った訳じゃねえよなぁ?」
男性は目は鋭いまま、口の端だけ上げて私に近付いて来る。
その目は知っている。覚えてないけど覚えている。あの怖かった時を思い出す。
そうだ。あの目だ。あの目が怖くて、ただ怖くて、私は拳を振るった。
あの時はきっと身を守る為だけに、がむしゃらに手足を動かして。
間合いも解らず、相手を真っ直ぐ見る事もできず、だから殺さずに済んだんだろう。
武器を破壊し、防具を破壊し、相手が戦意を喪失した事で試合が止まったんだと思う。
だけどもし、あの時今のように動けていたら、そして空腹だったなら。
「―――――貴方を、殺して、食らいます」
そうだ。戦わないと。戦って勝たないと。倒して、食べないと。おながか、空く。
「・・・へえ? 成程ねぇ」
『不味い。飛び掛かる気配は確かにないが、頭に血が上っている・・・! グロリア、少し落ち着くんだ。こんな所でこんな男を殺しても仕方ないだろう』
ガライドは何を言っているんだろう。私はここで戦う気は一切無いのに。
男性は私の発言に今度は愉快気に笑い、そして満面の笑みで頷きはじめた。
そして暫くウンウンと頷いた後、お爺さんへと顔を向ける。
「つまり気が済むまで嬲って良いんだな、この小娘。なあジジイ。良いんだよな。これだけコケにされてただで済ませるとは思ってねえよな。試合の棄権も絶対に認めねえぞ。もし棄権したら街中で襲う。徹底的に潰してやる。二度と舐めた口が・・・いや、口もきけねえようにな」
『馬鹿か貴様、今のグロリアを挑発するな!』
挑発、なんだろうか。男性はさっきまでとは違い、とても穏やかな様子だ。
ただ内容は私との試合を臨むもの。私を徹底的に潰すつもりらしい。
構わない。別に何の問題も無い。棄権する必要もない。
「構わん。やれば良いい。試合を臨んだのはこの小娘だ。どうなろうと自己責任だ」
「へぇ。どうしたよジジイ。何時もの偽善者が随分な事を言うじゃねえか。この小娘か親族に恨みでもあんのか? いや、良いか、どうでも。俺はそいつを潰せれば何でも良いからよ」
はっはっはと笑いながら、男性は部屋の端にあった荷物を拾う。
そして肩に担いだら扉に向かい、出る直前でこちらを向いた。
「・・・試合が止まると思うなよ。お前が壊れるまで、今日の試合は終わらねぇ」
そう言って男性は部屋を出て行き、扉は静かに閉められた。
同時に安堵の息を吐く様子があちらこちらから聞こえ、ただお爺さんはため息の様だ。
「増長したもんだ・・・反則負けで上に上がれん阿呆が。現実を知るのはお前だ」
その小さな呟きは私にはっきりと聞こえ、お爺さんと目が合った。
「嬢ちゃん。この国の闘技場で殺しはご法度だ。たとえ相手が殺しに来たとしても、闘士として誇りがあるなら、絶対に相手を殺しちゃいかん。今の嬢ちゃんには何か誇りは有るか?」
「誇り・・・ですか?」
「そうだ。嬢ちゃんは何の為にここで戦うと決めた。人を殺す為か。もし理由がそれなら、俺は命を懸けて嬢ちゃんを舞台に上げる訳にはいかん。だが違うなら、教えてくれないか」
「・・・私が、闘技場で、戦う、理由」
帝国に居た頃の私じゃないと見せる為。私を鍛えてくれた皆に証明する為に。
ううん。一番は自分の為なのかもしれない。私はもうあの頃とは違うと思う為かも。
そう思って欲しいと願う人が居る。少なくとも今日私を傍で見てくれている人が居るから。
「・・・私が、この国で、生きて、行けるって・・・そう、思って貰う、為、です」
リズさんは何時も私を心配している。彼女だけじゃない。リーディッドさん達もだ。
私がこの国で生きて行ける様に、帝国での生き方のまま動かない様に、色々教えてくれた。
リーディッドさんは『私の為でもありますからね』何て言うけど、きっと違う。
勿論彼女がただの優しい人だとはもう思ってない。けど彼女は凄く優しい人なんだ。
教えなければ何も解らない私に、利用できた私に知識を与えてくれたんだから。
まだちゃんとその知識を使えてる自信はない。人の考えと感情がまだ上手く理解出来ない。
それでもリーディッドさんの教えがあったから、私はきっと今この国で生きていられる。
キャスさんも、ガンさんも、私が当たり前に生活できるように、色々教えてくれた。
「大好きな、人に、恩返しが、したいです」
そうだ。私は何の為に戦うんだ。今日はリズさんに見て貰う為だろう。
だったら殺意を持っちゃいけない。人を殺しちゃいけない。
ちゃんと手加減をして、人の社会で生きていける所を見せなきゃ。
「お爺さん、ありがとう、ございます。落ち着き、ました」
「ジジイの言葉が役にたったなら幸いだ。あのクソガキも嬢ちゃんぐらい素直ならなぁ・・・」
お爺さんはニカッと笑い、けれど扉の向こうに目を向けて溜め息を吐いた。
もしかしてさっき出て言った人の事だろうか。ガキというには大分大人な気がするけれど。
「・・・嬢ちゃん。奴との試合は、奴が折れるまでは止めん。だが最後まで嬢ちゃんは嬢ちゃんらしく戦うんだ。良いな」
「はい。わかり、ました」
オジサンの言葉に力を込めて頷き、一度深呼吸をしてぐっとこぶしを握る。
また私は我を失っていた。闘技場の舞台に立てばまた同じ状態になるかも知れない。
けれど忘れない様にしなければ。私が何の為に舞台に立つのか。
『・・・また私は何の役にも立たなかった・・・』
「が、ガライド?」
でもその前に、何故か落ち込んでいるガライドの機嫌を取らないと。
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