第24話 アメリカン
そんな焙煎の作業を見学した夜が過ぎ、明けて次の日の朝は、相変わらずの晴天で、雲ひとつ無いまさしく『抜けるような青空』でした。
そんな気持ちいい天気とは裏腹に、通勤電車の混雑具合は相変わらず。ぎゅうぎゅうに詰め込まれて運ばれ、まるで通信販売で送られる日用品です。いえ、その日用品の方が、まだ空間に余裕のある運ばれ方をしてるでしょうか。ともかく会社に出勤し、いつもの朝の準備をして、その日の仕事が始まりました。
午前中には昨日の日報を書き終わり、次の日の会議の予定をリスケジュールして三日後に変更し、問題無く午前中に片付ける仕事は終わりました。そんな訳で今日もまた、コーヒースタンドに行って美味しいコーヒーを飲みながら昼食を取ろうと、遠藤さんと共にコーヒースタンドに行ってみました。
その日も4人のお客さんが並んでいて、コーヒーが出来上がるのを待っていました。私たちもその列に並び、自分たちの順番が来るのを待っていました。
そんな時です。
前に並んでいたご婦人。歳の頃は60代半ばといった所でしょうか。きれいな紫の色に髪を染め、お祝い事なのでしょうかキッチリとした桃色の礼服に身を包んだ一人の女性が、自分の順番になった所でメニューが書かれたイーゼルスタンドを見ながら、こう注文したのです。
「こちらって、『アメリカン』はあるかしら? 久しぶりに飲んでみたくなりまして」
突然の注文に、イケメン店員の石原さんは「えっ?」と固まり、ゆっくりと後ろを振り返って言葉を奥に渡します。
「アメリカン……って……何???」
奥の店員さんは「やれやれ」といった顔で、ドリップしている作業テーブルから前に出て、カウンターの所まで出てきてそのご婦人の注文に、イーゼルスタンドのメニューを指さしながら解説を始めました。
「アメリカンは扱ってないのですが、近い味を出す事はできます。そちらのメニューの『中炒り』をご注文して頂くと、アメリカンに近い味が出せます。それでよろしいですか?」
「ええいいわ。それじゃ、それでお願い」
ご婦人はその説明に納得されたようで、注文を終えてカウンター脇にある席に座って、コーヒーが出てくるのを待ってました。
奥の店員さんは作業テーブルに戻って、コーヒーを淹れ始めました。少しの時間があって、奥の店員さんがコーヒーを淹れてプラスチックのフタを被せた紙コップを持って、カウンター下をくぐってご婦人の前に
「お待たせしました。アメリカンです」
ご婦人はフタの隙間から漏れ出る香りを味わい、一口すすって味を確かめました。
「ああ。懐かしい味だわ。これよこれ」
どうやら、お気に召した様子でした。
しかし『アメリカン』とは何?
そんな訳で私たちの順番になってから、改めて奥の店員さんに、聞いてみる事にしたのです。
「すいません。アメリカンって何ですか?」
相変わらずイケメン店員の石原さんは、それが何なのかわからず、奥の店員さんに目をやるばかり。本当に知らないようです。奥の店員さんが「こんなくらい知っとけよ」とボヤキつつ、私たちにアメリカンが何なのか教えてくれました。
「アメリカンっていうのは、まだコーヒーを飲めるのが『純喫茶』くらいだった頃のコーヒーです。浅炒りのコーヒー豆を粗めに挽いて、温度の高いお湯でサッと抽出した、少し薄めでサッパリとしたコーヒーの事なんですよ」
『純喫茶』という言葉がかなり古いのはわかりましたが、そんな時代のコーヒーを求める声がまだある事は驚きでした。奥の店員さんは続けます。
「このスタンドでは、アメリカン用に浅炒りのコーヒー豆を用意してませんから、代わりに中炒りのコーヒー豆を荒く挽いて、湯温高めでサッと抽出したんです。お好みに合って良かったですよ。ホッとしました」
なるほど。味の再現をするので、お湯の温度やコーヒー豆の挽き方を変えたのですね。こういう応用が利くのは、ハンドドリップならではですね。
と言う事で、私たちの注文なのですが、俄然その『アメリカン』というコーヒーに興味が沸いてしまい、飲みたくなってしまいました。
「あの、もし大変じゃなければ、私も今日はアメリカンで」
「あ、アタシも」
遠藤さんも興味があるようでした。
「じゃ、アメリカン“もどき”をふたつで」
奥の店員さんは、苦笑いをしつつ、私たちの注文に応えてくれました。コーヒー豆を挽いてドリップする。そこの工程はいつも通りな様子でしたが、ちょっと時間が早かったように感じました。
「はい。アメリカンふたつです」
カウンター越しに紙コップをふたつ差し出してくれる、奥の店員さん。そのコーヒーを受け取って、「ありがとうございます」とお会計をして、カウンター脇にそれます。その間、イケメン店員の石原さんはなす
そして初めて飲む『アメリカン』です。一口すすってみると、いつもの柔らかくてどっしりした苦味は全く無く、少し薄めの軽やかな苦味が口の中で踊っていました。これはこれでなかなか美味しいです。
遠藤さんと「美味しい」と感想を言い合い、今日のお昼のちょっとした事件は終わりました。ひとつコーヒーについて勉強になった、そんなひとときでした。
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