第15話 閉店過ぎの漏れる灯り

 それから私は、コーヒースタンド『ピーベリー』にはかよわなくなりました。またカウンターの向こうから店員の石原さんが、声をかけて迫ってくるのではと思ってしまって、怖くてお店に近づく事すらできませんでした。

 お昼休みでは、コーヒースタンド『ピーベリー』のある六丁目角とは反対方向のコンビニを利用し、通勤に使っていた路地は少し遠回りになりますがお店前を避けて、通勤していました。朝と夜はコーヒースタンドは開店していない事は知っていましたが、それでも怖い思いをしたのは忘れられないもので、なるべく近づかないように気を使っていました。


 なのですが、一度覚えた本格ドリップコーヒーの美味しさというものは忘れられないもので、コンビニのマシンコーヒーや、ましてや缶コーヒーなど飲めたものではなくて、代わりに飲んでいたペットボトルのお茶で我慢するしかなかったです。それが意外なストレスになっていて、やはり私にはコーヒーが必要なんだと再認識したのです。







 そんなこんなでコーヒースタンドに行かなくなって、3週間は経ったでしょうか。

 その日はなぜか書類仕事が立て込んでいまして、いつもなら定時で帰れる所、いつまでも終わらなくてかなり遅くまで残業をしていました。

 普段は飲まない缶コーヒーですが、この日ばかりは身体に気合いを入れる事が必要だと感じましたので、自販機で缶コーヒーを買って飲んで、仕事に打ち込んでいました。トゲトゲしい苦味を舌の上に感じながらの仕事というのは、結構なストレスにもなりますので、ちょっとイライラしながらの書類仕事になってしまいました。

 そしてその仕事もようやく終わり、フウッとひと息吐き出して、書類を片付けてパソコンをシャットダウンして、事務所の鍵をかけて帰路についた訳です。時間としては午後11時を回った所です。


 一歩外に出ると、わずかに風を感じられ、ほんの少しの肌寒さを感じたのです。

 そんな時です。例の六丁目角のコーヒースタンド『ピーベリー』から漏れ出る、煌々とした明かりを目にしたのは。

 すでに閉店の時間は過ぎていますので、営業しているはずがないのです。しかしなぜか明かりは付いている。当然不審に思いますよね。また例の店員の石原さんが居るとも限りませんし、ここは見なかった事にして退散するのが良いとは思いました。でもなぜかその時は、「一体何をしているのだろう」という好奇心の方が勝ってしまい、そろりそろりとコーヒースタンド『ピーベリー』に、足音を立てないようにして近づいて行きました。

 また店員の石原さんが立っていたら、その時はその時です。回れ右して逃げればいい訳ですしね。


 お店のすぐそばの横にまで近づいた所で、店内からは「チャリッ……チャッチャッ……」という、小石を弾くようなかすかな音が聞こえてきました。一体何をやっているのか皆目見当がつかないので、そろりと脇から顔を半分だけ出して、店内を覗いてみました。

 そこに居たのは奥の店員さん一人だけで、テーブルに向かって何かを選別しているような手作業を行っている様子でした。

 もっとよく見ようと思った瞬間、私の気配を感じたのか、奥の店員さんが顔を上げて私の方に視線を送り、バッチリと私達の視線が合ってしまったのです。

「あ……」

 店員の石原さんでなかった安心感と、奥の店員さんに見つかってしまった緊張感とがないまぜになって、思わず声にならない声が出てしまいました。

「あ、お疲れ様です。残業ですか?」

 奥の店員さんが、ゆっくりとささやくように、でもよく通る低音の声で、私に挨拶をしてくれました。その声でちょっと緊張感がほぐれ、隠していた半分の顔をすべて出して、ちょっと会釈をしました。

「ええ。そうなんですが……。何をしているんですか?」

 私の質問に嫌な素振りは微塵も見せず、奥の店員さんははっきりと答えてくれました。

「『ピッキング』です」

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