話すはひとつ、聞くはふたつ。

皇 将

第1話 ファンタジーじゃない

 私の名前は『松本まつもとかおる』。どこかの異世界に転生した訳でもなく、特殊な異能力で無双をしている訳でもない、一般社会においてごくありふれた、普通の会社員です。

 もちろんこの世界には、ドラゴンも精霊もいない、ごくごくありふれた普通の現代です。

 そしてここは、私が働いているオフィスです。雑居ビルの二階の一部をお借りして事務所にしていて、そこで私は社員6名ほどのベンチャー企業の事務員として働いています。もっぱら私の担当は、会計ソフトへの入力や事務所の掃除、書類整理やお茶くみなど、雑多な仕事に追われています。


 そんな私に、ちょっとした転機が訪れる事になるとは、この時は思ってもみませんでした。


「松本さん、ちょっと聞いた?」

 私に話を振ってきてくれたのは、私より先に入社した遠藤さん。とは言っても、入社時期は数ヶ月しか違わないので、ほぼ同僚として交流しています。

「な、何をです?」

 社内政治にうとい私にとっては、社内で起こっている事のほとんどを把握している訳ではありません。むしろ話を聞いていない事の方が多いです。現に社内恋愛だったり誰かのミスだったり、そういう事は随分と後になってから聞く事がほとんどです。

「そこの六丁目の角の雑居ビル、一階はバイクとかの物置になってたじゃない。あそこにコーヒースタンドができたのよ」

 唐突に振られた遠藤さんの話は、今回は社内の事情ではなく、社外の事のようでした。六丁目の角の雑居ビルの一階と言えば、そこのオーナーさんがご自分のバイクを置いて整備をする駐車スペースとして活用していた所で、そこまで広い所ではなかったという記憶がありました。


「あ、はあ」

 私は要領を得ないまま、生返事で返答をしてしまいました。いけませんね、こういう時にこそ話題を広げるコミュニケーションが重要になってくるのは。

「でね、そこの店員さんがイケメンでね。「はい、どうぞ」って、笑顔で手渡してくれるのよ〜♪。もうそれだけで癒やしだわ〜♪」

 遠藤さんは、うっとりした顔で両手を組んで、イケメンの容姿を思い出して余韻に浸っている様子でした。遠藤さんはいわゆる『男性アイドルオタク』なので、そういった美形の男性の情報には、かなり敏感なのです。

「はあ、なるほど……」

 やっぱり私は要領を得ない生返事になってしまい、いまいち会話の流れに乗れていませんでした。

「ねぇ、今度は一緒に行ってみない? 目の保養も、休憩のうちよ」

 私はそこまでメンクイという訳でもないですし、今はいかに給料を上げてもらうかの方が大事な事です。ただまあ、いつもの缶コーヒーでは飽きてきた所なので、気分を変えるにも良い機会だと思いました。そんな訳なので、そのお話に乗ってみる事にしてみたのです。

「……じゃあ、お昼休憩の時にでも」

 お弁当を作ってこれるほど料理の腕前がある訳ではなし。いつもならコンビニのお弁当で済ませてしまう所。追加でコーヒーを買う事には抵抗はありませんでした。という事で、遠藤さんと一緒にそのコーヒースタンドに行って、コーヒーをテイクアウトする事になったのです。

「六丁目なら、歩いてもそこまで遠い所じゃないし、一緒に行きましょ」

 遠藤さんの方は、ノリノリです。そのイケメンという人に、どうしても会いたいみたいです。


 これが、私の生活に彩りと苦味を与えてくれるキッカケになってくれるとは、思ってもみませんでした。

 これはコーヒースタンド『ピーベリー』にまつわる、人間模様のお話です。

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