ロリババアに考古学はいらない
饗庭淵
1話「二千年前? ついこの前じゃな」
(二千年前? ついこの前じゃな)
ヴァイスマン教授の考古学講義の教室はガラ空きだった。受講者はほんの数名、中央の席を陣取って頬杖をつく少女――
(考古学とはのう。生き証人がここにいるとは知らずに滑稽なものじゃ)
彼女にとっては、すべて知っている話だったからだ。
「本講義の主題となるのは騎竜時代に残された数々の王墓です。騎竜時代というのは、2200年前から1900年前までの約三百年間を指します」
(ほう、あの時代をそう呼ぶのか)
と、思っていたらさっそく知らない単語が出てきた。とはいえ、当時にその時代を示す「○○時代」という言葉があるはずもないのでこれはノーカンだ。
「各地に点在する王墓は大小様々ではありますが、いずれも一つの建造物といえるほど巨大なものであり、複雑な迷宮構造を持つことが特徴です。その構造の意味と、なぜ点在して立地しているのか。これらは現在でも明らかになっておらず、考古学上で大きな謎の一つとなっています」
(大きな謎じゃと? 見てわからんものかの)
ヴァイスマン教授が黒板に王墓の模式図を描く一方、雅はノートもとらずにまたひとつ欠伸をした。王墓の意味など彼女にとってはあまりに明白だった。それが二千年も経てば「謎」になるのか――というのは少しだけ興味を引いたが、欠伸を止めるほどではない。
「いくつかの王墓には副葬品として竜具が見つかっており、壁画には竜に騎乗する人の姿が描かれていることがあります。これが騎竜時代と呼ばれる所以です。ただ、竜の実在を示す生物学的な証拠――すなわち骨や牙などは現在までほとんど見つかっていないことから、竜はあくまで架空の存在、竜具は象徴的なものだったと今では考えられています」
(いや、おったけどな。竜)
証拠が残っていないだけで「いない」ことにされる竜も哀れだな、と思った。すでに頬杖どころか机の上にべたりと頭が落ちていた。
(あいつのこととかどう伝わっておるんじゃろうな。子供のころから泣き虫でビビりだったのになんか運よく治世が成功して調子に乗っておった
あの時代のことはよく知っているし、なんなら竜にも乗った。功績を考えれば自分の名前が出てきてもおかしくないはずだ。まだかまだかと、彼女はかろうじて眠気をこらえていた。
「このように謎だらけの王墓ですが、文献を紐解くうち、その謎を解く鍵となりうるある人物の名が浮かび上がってきます。数々の王墓の設計を指示したとされる人物です」
(お、わしの話じゃな)
「それがエンゲルハルト氏です」
(誰!?)
眠気が飛んだ。
王墓の設計指示というか、原型を考案したのは自分のはずだ。雅がこの退屈そうな講義をわざわざ聞きに来たのも、そのあたりが聞けるのではないかと期待していたからだ。現在に至ってどのように話が伝わっているのか――そこに興味があった。
それがこの結果だ。
「王墓の迷宮構造には多くの盗掘者が苦戦し、ときには命を落としています。一説には、このような盗掘者対策としてわざわざ複雑な構造にしたともいわれています」
(いやいや、そんなはずないじゃろ……というかエンゲルハルト氏って誰?! わしそんな名前のやつ知らんのじゃけど!)
間違って伝わっているのか。どこかで偽史が紛れ込んでいるのか。
気が気ではなかった。王墓の設計に誇りを持っているとか名誉を汚されたとかではないが、歴史がまったく知らないものとすり替わっているのは気持ち悪くて仕方なかった。
(おのれエンゲルハルト……いや待て、わしの名前がなんか間違って伝わったのか? “ミヤビ”がこう、なまって……ミヤゲンハルト……無理じゃ……)
集中力を乱され、以降の講義は頭に入って来なかった。ただ、特に問題はないと思った。彼女の心は決まっていたからだ。
久方ぶりに現世に降り立ち、どの程度の変化があったものかと学ぶため正体を偽り王立学院へと潜入した。勝手がわからずどうにも外見年齢を若くしすぎたようで、背が低く童顔なだけだといいわけするには厳しいほどに幼い。学院生制服である外套も不釣り合いだ。しかし、短く切り揃えられ洗練された髪型、黄金のような輝きを秘めた瞳、自信に満ちた表情からは小さな身体に閉じ込めてはおけない威厳が滲み出ていた。ひっそりと一般学生として潜んで穏便に過ごすつもりだったが、偉大過ぎる存在にはそれも難しいようだ。
いくらかフラフラと講義を受けてみて、魔術理論も実践も思ったより発展がなく、失望していた先でからかい目的で受けに来たのがこの講義だ。
(適当な講義をしおって……待っておれよ)
彼女の心は決まっていた。
ヴァイスマン考古学研究室への配属を志願し、間違った知識を披露するたびに論破して馬鹿にして遊んでやる。
新しいおもちゃを見つけて彼女はほくそ笑んでいた。
***
「いやぁ〜、本当によかったよ。このまま志願者が一人もいないんじゃないかと不安だったんだ」
埃くさい研究室だった。
壁には所狭しと本棚が並び、隙間なく本が収められている。本の上に無理矢理詰め込まれている本もある。長机の上にも雑多に本や書類が積み重なっていた。部屋の主はひとまず文書の山を横にずらしてスペースを空け、どうにもならない部分はそのまま別の棚に移し、椅子を引いて歓迎の姿勢を見せた。
オースティン・ヴァイスマン教授。年齢は三十代半ばくらいか。教授にしては若い。ただ、だからといって特段有能には見えなかった。金縁の丸眼鏡から覗く青い瞳は弱々しく、眉は下がり頬は痩せこけていた。無精ひげもぽつぽつと生え、シャツもよれよれで身だしなみもだらしない。
「まあ、面接というわけでもないけど志望動機とか、そういうのを聞きたいな。もちろん、それで落とすようなことはないというか、むしろ是が非でも入ってもらいたいんだよね。どちらかというと僕が面接される側かな? はは」
たかが一学生にこの態度だ。しかも、雅の姿は学院生に見えぬほど幼い。あるいは、やはり人の姿をしていても隠しきれぬ威厳、滲み出る美貌と魔性を無意識に感じ取って萎縮しているのやも知れぬ――と雅は思った。
「エンゲルハルト、じゃったか。講義に出てきたじゃろ。あれが気になってな」
「へえ! そこに興味を抱くなんて珍しいね。でも、残念ながら彼に関する記述はどの文献でも少なくてね。ただ、複数の文献でまたがって言及されているから重要人物であるのは間違いないはずなんだ。生年も没年もまるでわからないんだけど、たとえば――」
(……実在しない人物ならそうであろうな)
早口で捲し立てられたが、要約すれば「よくわからない」とのことだ。
当時にも文字文化はあった。ただ、残されている文献のほとんどは口伝をもとに書かれた後世のものであるらしい。そこに出てくる名が「エンゲルハルト」だ。雅の立場がそのまま乗っ取られているようでもあり、そうでもないようでもある。聞くほどによくわからなくなっていった。
「っと、話すぎた……。ミヤビくん、だったかな。コーヒーでも? その席には座ってくれて構わないよ」
「いや、いらんよ。あれ苦いし……」
「そ、そう……」
雅は着席することもなく研究室の内装をじっとり眺めていた。そのうち、奥の棚に木箱が収められているのが目についた。ラベルが貼ってある。おそらく、発掘された遺物が収蔵されているのだろう。
「ああ、そのあたりはデノンの王墓跡から見つかったものだね。興味があるのかい?」
「まあ、なくはないの……」
と答えるや否や、ヴァイスマンは木箱の一つを取り出して机に置いた。中にあったのは一見してガラクタに見えるものばかりだった。
「デノン王墓跡は……ちょっとした魔術事故があってね。軍部の実験さ。それがきっかけで遺跡が見つかったともいえるんだけど、ほとんどが吹き飛んでしまったんだ。ここにあるのはその一部だよ。欠片を合わせてある程度の復元はできたけど、このあたりが限界かな……」
欠片はそれぞれ几帳面に仕分けされ、番号が振ってあった。甕か壺かの一部、あるいは自然石にも見えるものまである。興味を示す対象を間違えたと雅は思った。
「おぬしの専門は騎竜時代の王墓――ということでいいのかの?」
「そうだね。いやぁ、僕の講義で興味を抱いてもらえたなら嬉しいな。特に、竜はいたのかいなかったのか、いたとしたらどこへ消えたのか――このあたりを研究テーマにしていてね。ただ、講義でも話した通り実在を示す証拠はほとんどない。とはいえ、まだ見つかっていないというだけなのかもしれない。考古学において“出土していない”ことを論拠にするのは危ういからね」
「つまりおぬしは――“竜はいた”と?」
「どうかな……。仮にいなかった場合、それを証明するのはむずかしい。ひとまずは“いたかもしれない”という立場で調査を続けるほかないと思っているよ」
(おったんじゃけどなー! 証拠が見つからん理由も察しはつくんじゃけどなー!)
これだ、と雅は思った。
なんでもないことを「謎」と呼び、あんなガラクタをかき集めて「真実」を追い求めている。今やあの時代はそれほどまでに遠い。
自分だけが「史実」を知って、無知なる現代人が右往左往に頭を悩ませる様を高みから眺める。これはなかなかの娯楽だ。
「ところで、その話し方……ずいぶん古風だね。北部キダー地方の訛りに近いような……そのあたりの出身かい?」
「ん? お、おう……そのへんじゃな」
特に意識していなかったが、これは騎竜時代の口調だ。当時は一般的だったが、確かに
(話し方の癖というのはなかなか抜けんもんじゃのう)
とはいえ、今さら改める気もない。現世にも学院にも遊び半分で訪れただけだ。正体が気づかれるおそれはないし、それで困るなら帰ればよい。〈認識改変〉魔術で仕切り直してもよい。
「それにミヤビという名前も珍しい響きだね」
「そうじゃろ? 珍しいじゃろ? 唯一性が高いじゃろ?」
「――っと、出身を詮索するのは不躾だったかな。とにかく、今後ともよろしく頼むよ」
いずれにせよ、人間ごときに気を使う必要はないのだ。
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