第9話 遭遇
ざわざわ、と草木が色めき立った。
梢は激しく揺れた音を鳴らし、風に巻き上げられた枯れ葉が宙を乱舞する。
そんな鬱蒼とした森の中に一人の少女がいた。
「うわっ、寒い」
強い風に吹かれ、露出していた金色の髪がハラハラと揺れる。
足を止め、ローブの上から腕を擦ったミリアは、右に左にと辺りを見回した。
「うぅ、何でミーシャは今日みたいな日に風なんかひいちゃうかなぁ……天気も急に変わっちゃうし」
来た時よりも更に黒の帳を重ねたマギラの森は、不気味な程に静まり返っていた。
木漏れ日もなく、生き物の気配すらも感じさせない強い孤独感。
その寂しさを紛らわせるように愚痴を零したミリアの瞳へ、今朝、申し訳なさそうな表情で謝って来た親友の咳き込む姿が
「……もうちょっとだけ歩いてから帰ろ」
羽織った紺色のローブは、期待を裏切った親友の代わりに拝借した代物。
そのローブの端を、ミリアは握り締めた。
小さな胸に宿した、一
それだけを頼りに。
少女は、深淵を覗かせる森の奥へと、一歩を踏み出した。
☆☆☆
溢れ出る涙を流しつつ、暗がりの道を一人で歩いたあの日。
拠点にしていたボロ家の扉を開けた先で待っていたのは、他でもない、唯一無二の親友である少女ミーシャだった。
「あ、ミリアちゃんおかえり。今日は遅かったね」
いつも鈍臭くて。
いつも失敗ばかりの癖に。
でも、
「そうだ! ミリアちゃん見て見て。今日ね、野菜がすっごく安く売ってたから買ってきたの! 明日はこれで野菜の美味しいスープ作ってみるね」
小さな明かりと、丸くて小さなキャベツを片手に一つずつ。
人一倍優しさが暖かいミーシャの笑顔は、打ちのめされたミリアの心を、ゆっくりと包み込むように癒してくれた。
生憎とその日はもう一人の親友は疲れて眠ってしまっていた。
だから、ミリアはその日にあった出来事をミーシャにだけ話した。
その時に見たミーシャの顔は、今もまだ、覚えている。
「そっか……その人が私達のクランに入ってくれれば良かったのにね……」
明るい笑顔が消えて、浮かび上がったのは悲しそうな表情。
そこで、ミリアはハッと我に返った。
――ここで、諦めてしまったらダメだ、と。
ミリアには物心が付いた時から、今も胸に秘めている大切な夢がある。
けれども、それと同じくらいに大切な夢がもう一つ。
それは、
『光の妖精達』を世界で一番のクランにすること。
始めてこの街に来て、ギルドでクランを結成して。
そうして皆で一緒になって決めた夢がそれだった。
ミリアの夢は、世界で一番の魔法使いになること。
でも、皆で決めたその夢は、ミリアだけのモノじゃない。
だから、ミリアは覚悟を決めた。
ギルドで酔っ払い相手に喧嘩を売ってしまったあの日。
どこからともなく現れて助けてくれたオウル・ソフィリアナという不思議な青年。
その青年を絶対に仲間にしてみせる、と。
理由なんかわからない。
どうして、などと考えたこともない。
オウルが『Dランク』の魔法使いだった、なんてことも知らなかった。
どこのクランにも入っていない『無所属』であることさえも知らなかった。
むしろ、後からそのことを知って少し感動したほどだ。
けど、
(絶対に……諦めない!)
半ば直感のように湧いたその想いは、皆で決めた夢を思い出した瞬間、ミリアを動かす熱い大きな力になっていた。
その日からミリアは、オウルを探し始めた。
ギルドの相談窓口に通い詰めては困り顔の職員にオウルのことを根掘り葉掘り質問を重ね、酒場に飛び込んではすまし顔のマスターを相手に小一時間問い詰める。
果てには道端で叫ぶ商人にオウルのことを聞いては押し退けられたりもした。
そうやって、泥臭く足掻き続けた先で、やっと掴んだ糸の切れ端。
あとは、直接会って、あの日伝えた言葉をもう一度叫ぶだけだ。
想いが、その心に届くことを願って――
☆☆☆
「蝋燭、持ってくれば良かったなぁ……」
しばらく歩き続けたミリアの口から弱り切った呟きが出ていた。
周囲は闇に染まり、慣れたはずの目でも見えるのは足元の地面が精々。
森の奥は既に黒一色で、まるで別の世界へと繋がっているようにすら思える。
「……もう、帰ろ」
ずっと進んでいた足が、遂に止まった。
慣れたと思っていた森の中は、いつの間にか知らない世界になっていた。
相変わらず風は強く吹いているが、耳に入るこの騒めきが一体どこから来たのか、わからないほどだった。
(流石にこんな場所まで来てないよね……)
これ以上は進んでも意味がない。
そう思ったときには、すでに足は来た道へと踵を返していた。
「うわっ」
来た道を覆い隠すように、闇が広がっていた。
目印なんてものはない。
自分の足で、暗闇の中を進んでいくしかなかった。
(ほんっとうに蝋燭を持ってくれば良かった……)
いつも、誰かが一緒だった。
誰かがいつも一緒にいてくれたから、ミリアには怖いモノがなかった。
けれども、今は、誰もいない。
暗い世界の中で、たった一人。
その場に立ち尽くし、強い孤独感に襲われたミリアは、自分の両肩を震える手で握り締めた。
(みんな……)
ミーシャの、暖かい笑顔が見たかった。
もう一人の親友の、驚く顔が見たかった。
そして、オウルの、穏やかな優しい顔が、見たかった。
ただ、それだけだったのに。
「っ、何!?」
カサリ、と不意にどこかで音がした。
体を強張らせたミリアが、声のした方に顔を向ける。
(……何も、ない?)
どこまでも広がる闇。
ふと吹き付けた風が、黒く染められていた草木を揺らした。
空高くからカサカサと何かの擦れる音がする。
遠くからカタカタと何かがぶつかり合う音もする。
その中で、
「――っ!?」
ミリアは見た。
いや、見てしまった。
黒く染められた草むらの中に浮かぶ、紅い二つの双眸を。
「っ!」
息を飲んだミリアの頬に、小さな雫が流れ落ちた。
血色の眼光が、逸れることなくミリアの瞳を射抜いている。
姿は闇に紛れており、輪郭すらもわからない。
けれども、時折耳へ伝わるか細い吐息を。
この刃を突き立てられているかのような鋭い気配を、ミリアは知っていた。
「ヴォ……ルフ?」
かつて、村でお転婆をしていた頃に一度だけ。
大人達の狩りへ勝手に付いて行った時に、出会った一匹の魔物。
黒く痩せこけた姿に、鋭く伸びた爪と牙。
そして、鈍い光を放つ二つの飢えた瞳。
(逃げ……なきゃ……)
その姿を幻視したミリアは、目をわななかせながら一歩二歩と後ずさった。
あの時は、武装した大人達や魔法の使える自警団がいた。
守ってくれる人達がすぐ近くにいてくれた。
罠もあったし、注意を引くための餌だってあった。
だから、大丈夫だった。
しかし、今は――誰もいない。
「逃げ……なきゃ……」
カサカサと、草の揺れる音がした。
赤い双眸に睨まれ、震える口元から呟きが零れる。
ゆっくりと低く持ち上げた足を、後ろへ下げ、
「っ!」
か細い何かの折れる音が響く。
その音を聞いた瞬間、ミリアは地面を蹴っていた。
ローブが大きく翻り、足元に散っていた土が飛沫を上げる。
それと同時に、
二つの足音が、後を追いかけるかのように地を蹴った。
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